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山谷堀
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さんやぼり
ふりがな文庫
“
山谷堀
(
さんやぼり
)” の例文
通
(
とほ
)
りかゝるホーカイ
節
(
ぶし
)
の男女が二人、「まア
御覧
(
ごらん
)
よ。お月様。」と
云
(
い
)
つて
暫
(
しばら
)
く
立止
(
たちどま
)
つた
後
(
のち
)
、
山谷堀
(
さんやぼり
)
の
岸辺
(
きしべ
)
に
曲
(
まが
)
るが
否
(
いな
)
や
当付
(
あてつけ
)
がましく
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
今戸
(
いまど
)
の
渡
(
わたし
)
と云う名ばかりは
流石
(
さすが
)
に
床
(
ゆか
)
し。
山谷堀
(
さんやぼり
)
に上がれば雨はら/\と降り来るも場所柄なれば面白き心地もせらる。
半日ある記
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
向う河岸を
山谷堀
(
さんやぼり
)
に通う
猪牙
(
ちょき
)
の音の断続したのもしばし、やがて向島の土手は太古のような静寂に更けて行きます。
銭形平次捕物控:002 振袖源太
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
○
山谷堀
(
さんやぼり
)
にして、その幅甚だ濶からずといへども
直
(
ただち
)
に日本堤の下に至るをもて、
往時
(
むかし
)
は
吉原通
(
よしわらがよい
)
をなす遊冶郎等のいはゆる
猪牙船
(
ちよきぶね
)
を乗り込ませしところにして
水の東京
(新字旧仮名)
/
幸田露伴
(著)
そうしてつぎに……いや、それよりも、そうした木立の間から
山谷堀
(
さんやぼり
)
の方をみるのがいい。——むかしながらの、お歯黒のように澱んで古い掘割の水のいろ。
浅草風土記
(新字新仮名)
/
久保田万太郎
(著)
▼ もっと見る
優善は吉原の湊屋の世話で、
山谷堀
(
さんやぼり
)
の箱屋になり、
主
(
おも
)
に今戸橋の湊屋で抱えている芸者らの供をした。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
その頃江戸川
畔
(
べり
)
に住んでいた私は偶然
川畔
(
かわべり
)
を
散策
(
ぶらつ
)
いていると、流れを
下
(
お
)
りて来る川舟に
犢鼻褌
(
ふんどし
)
一つで元気に
棹
(
さお
)
をさしてるのが眉山で、
吉原
(
よしわら
)
通いの
山谷堀
(
さんやぼり
)
でも
下
(
くだ
)
る
了簡
(
りょうけん
)
で
硯友社の勃興と道程:――尾崎紅葉――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
待乳山
(
まっちやま
)
を背にして
今戸橋
(
いまどばし
)
のたもと、竹屋の渡しを、
山谷堀
(
さんやぼり
)
をへだてたとなりにして、
墨堤
(
ぼくてい
)
の
言問
(
こととい
)
を、
三囲
(
みめぐり
)
神社の鳥居の頭を、向岸に見わたす広い
一構
(
ひとかまえ
)
が、評判の
旗亭
(
きてい
)
有明楼であった。
明治美人伝
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
堀の太鼓持、つまり
山谷堀
(
さんやぼり
)
の太鼓持で、三八という奴です。
半七捕物帳:63 川越次郎兵衛
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
舟は、せまい
山谷堀
(
さんやぼり
)
へはいっていた。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
何故かというと、この渡場は今戸橋の下を流れる
山谷堀
(
さんやぼり
)
の川口に近く、岸に
上
(
あが
)
るとすぐ目の前に
待乳山
(
まつちやま
)
の堂宇と樹木が
聳
(
そび
)
えていた故である。
水のながれ
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
古本屋の店は、
山谷堀
(
さんやぼり
)
の流が地下の
暗渠
(
あんきょ
)
に接続するあたりから、
大門前
(
おおもんまえ
)
日本堤橋
(
にほんづつみばし
)
のたもとへ出ようとする薄暗い裏通に在る。
濹東綺譚
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
一しきり渡場へ急ぐ人の
往来
(
ゆきき
)
も今では
殆
(
ほとん
)
ど絶え、橋の下に
夜泊
(
よどま
)
りする荷船の
燈火
(
ともしび
)
が
慶養寺
(
けいようじ
)
の高い木立を
倒
(
さかさ
)
に映した
山谷堀
(
さんやぼり
)
の水に美しく流れた。
すみだ川
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
一しきり
渡場
(
わたしば
)
へ急ぐ人の
往来
(
ゆきゝ
)
も今では
殆
(
ほとん
)
ど絶え、橋の下に
夜泊
(
よどま
)
りする
荷船
(
にぶね
)
の
燈火
(
ともしび
)
が
慶養寺
(
けいやうじ
)
の高い
木立
(
こだち
)
を
倒
(
さかさ
)
に映した
山谷堀
(
さんやぼり
)
の水に美しく流れた。
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
土手八丁
(
どてはっちょう
)
をぶらりぶらりと
行尽
(
ゆきつく
)
して、
山谷堀
(
さんやぼり
)
の
彼方
(
かなた
)
から吹いて来る
朝寒
(
あさざむ
)
の川風に
懐手
(
ふところで
)
したわが肌の
移香
(
うつりが
)
に
酔
(
え
)
いながら
山
(
やま
)
の
宿
(
しゅく
)
の方へと曲ったが
散柳窓夕栄
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
嘉永三年の頃には既に閉店し、対岸
山谷堀
(
さんやぼり
)
の入口なる川口屋お直の店のみなお
昔日
(
せきじつ
)
に変らず繁昌していたことが知られる。
向嶋
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
長吉
(
ちやうきち
)
は
病後
(
びやうご
)
の
夕風
(
ゆふかぜ
)
を
恐
(
おそ
)
れてます/\
歩
(
あゆ
)
みを早めたが、
然
(
しか
)
し
山谷堀
(
さんやぼり
)
から
今戸橋
(
いまどばし
)
の
向
(
むかう
)
に開ける
隅田川
(
すみだがは
)
の
景色
(
けしき
)
を見ると、どうしても
暫
(
しばら
)
く
立止
(
たちどま
)
らずにはゐられなくなつた。
すみだ川
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
長吉は病後の夕風を恐れてますます歩みを早めたが、しかし
山谷堀
(
さんやぼり
)
から
今戸橋
(
いまどばし
)
の
向
(
むこう
)
に開ける
隅田川
(
すみだがわ
)
の景色を見ると、どうしても
暫
(
しばら
)
く立止らずにはいられなくなった。
すみだ川
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
昭和二年の冬、
酉
(
とり
)
の
市
(
いち
)
へ行った時、
山谷堀
(
さんやぼり
)
は既に埋められ、
日本堤
(
にほんづつみ
)
は丁度取崩しの工事中であった。
里の今昔
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
三囲
(
みめぐり
)
、
橋場
(
はしば
)
、
今戸
(
いまど
)
、
真崎
(
まっさき
)
、
山谷堀
(
さんやぼり
)
、
待乳山
(
まつちやま
)
等の如き名所の風景に対しては、いかなる平凡の画家といへども容易に絶好の山水画を作ることを得べし。いはんや広重においてをや。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
支那画家の一派も
亦
(
また
)
時としては
柳橋
(
やなぎばし
)
や
山谷堀
(
さんやぼり
)
辺りの風景をば、
恰
(
あたか
)
も水の多い南部支那の風景でもスケツチしたやうに全く支那化して
描
(
ゑが
)
いてゐるが、これは当時の漢詩人が
向島
(
むこうじま
)
を夢香洲
虫干
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
王子
(
わうじ
)
の
音無川
(
おとなしかは
)
も
三河島
(
みかはしま
)
の野を
潤
(
うるほ
)
した其の末は
山谷堀
(
さんやぼり
)
となつて同じく船を
泛
(
うか
)
べる。
水 附渡船
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
王子
(
おうじ
)
の
音無川
(
おとなしがわ
)
も
三河島
(
みかわしま
)
の野を
潤
(
うるお
)
したその末は
山谷堀
(
さんやぼり
)
となって同じく船を
泛
(
うか
)
べる。
日和下駄:一名 東京散策記
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
根岸の
藍染川
(
あいそめがわ
)
から浅草の
山谷堀
(
さんやぼり
)
まで歩みつづけたような事がある。
葛飾土産
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“山谷堀”の解説
山谷堀(さんやぼり)は、かつてあった東京の水路。正確な築年数は不明だが、江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られた。現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの約700mが台東区立の「山谷堀公園」として整備されている。
(出典:Wikipedia)
山
常用漢字
小1
部首:⼭
3画
谷
常用漢字
小2
部首:⾕
7画
堀
常用漢字
中学
部首:⼟
11画
“山谷”で始まる語句
山谷
山谷通
山谷戸
山谷橋
山谷等
山谷間
山谷風
山谷険難
山谷勘兵衛