奏聞そうもん)” の例文
天子へ奏聞そうもんいたして、かならず栄職を授け、またこの都の内に、宏壮な庭園や美しい邸宅に、多くの召使いをつけて住まわせるが……
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たゞしあらためあしき御政事おんせいじ當時は何時にても此皷このつゞみうち奏聞そうもんするにていたとへば御食事おんしよくじの時にてもつゞみおとを聞給ひたちまち出させ給ひ萬民ばんみんうつたへ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それは実朝の御台みだいを迎えに往くためであった。実朝の御台は奏聞そうもんを経て、坊門大納言信清卿ぼうもんだいなごんのぶきよきょう息女そくじょを迎えることになったので、鎌倉では容儀ようぎ花麗かれい壮士そうしを選んでそれを迎いに往かした。
頼朝の最後 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
竇は読みおわって顔の色が土のようになった。その時宮女がはしって来て奏聞そうもんした。
蓮花公主 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
荒廃のままに放置された斑鳩宮あとは、聖武しょうむ天皇の天平てんぴょう十一年、行信ぎょうしん法師の奏聞そうもんによって漸く復活した。現存する夢殿は幾度の補修を経てはいるが、このときの創建に成ったものといわれる。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
そこで慶喜は十月十三日、京都二条城に群臣を集め、大政奉還の議を諮詢しじゅんした。その結果翌十四日、いよいよ大政奉還の旨を朝廷へ対して奏聞そうもんした。一日置いた十六日朝廷これを嘉納した。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
堀河の典侍は帝の寵妃ちょうひであるから、この人の奏聞そうもんには帝も御耳を傾けられた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
帝はその奏聞そうもんを得て大いに笑った。すぐに寧王のもとへその事を知らせてやって、君はかの悪僧らをうまく処置してくれたと褒めた。少女は新しい唄を歌うのが上手で、莫才人囀ばくさいじんてんと言いはやされた。
供頭ともがしらの口からその趣をしかじかと帝へ奏聞そうもんした。
きりしとほろ上人伝 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
呉の孫策そんさく、度々、奏聞そうもんをわずらわし奉り、大司馬の官位をのぞむといえども、ご許容なきをうらみ、ついに大逆をきざし、兵船強馬を
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
拜し玉ふ時は此笏を持事もつことの叶はぬ故御笏代りとて御裾おすその後に笏を持ち控居て餘所乍よそなが玉體ぎよくたいを拜するを得者うるものなり拙者先年多病にて勤仕なり難きゆゑ九條家を退身のせつ北の御門へ奏聞そうもん
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
今や御親政の初めにあたり、非常多難の時に際会し、深く恐懼きょうくと思慮とを加え、天下の公論をもつて奏聞そうもんに及び、今般の事件を御決定になった次第である、かつ、国内もまだ定まらない上に
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
貴君のことについては、特に帝へ奏聞そうもんしておこう。そのうちに明朗な恩浴をこうむることもあろうから、まあ気を腐らせずに待つがよい
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
支配するわけは天子若關東をはからせらるゝことありては徳川の天下永く續き難き故東照神君の深慮しんりよを以て比叡山を江戸へ移し鬼門除に致したしと奏聞そうもんありしが許されず二代の將軍秀忠公へ此事を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そこもとはいうまでもなく、黄文炳こうぶんぺいなる者の功も、奏聞そうもんに入ってあれば、他日かならず、恩賞ならびに、はえ叙任じょにんもあらむ。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ならん。いなやをいうなら、朝廷に奏聞そうもんして、魔霊まりょうまつるものと、おおやけにするぞ。なんじら、数珠じゅずつなぎとなって、上饒江じょうじょうこうの河原に、さらし首を、ならべたいのか」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これは東国の新田小太郎義貞よりつかわせられた急使の者です! 一刻もはやく奏聞そうもんにとの主命により、いそぎのぼってまいりました。——路傍ながら御侍者ごじしゃまで!」
お心落しなく、元弘二年の新玉あらたまをお迎えあらせらるるよう、何とぞよしなに、ご奏聞そうもんのほどを
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがて次々つぎつぎから、関白まで、取次がとどく。基通は、またその由を、御簾ぎょれんのうちへ奏聞そうもんした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そのご容態とあれば、一両日中には、岩松の使いの儀も、ご奏聞そうもんに入れられましょうか」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「まったく、其許そこ一人の智謀がよく今日を招来したのじゃ。勲功随一と申してよい。早々に、伯耆ほうき船上山せんじょうせんのみかどの御本営へ、事のよしを使いにのぼせ、奏聞そうもんに達しおくぞよ」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
直々じきじき奏聞そうもんにおよびたいとは、いかなる儀か、それにて申しのべたがよろしかろう」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
庁の中務省なかつかさしょうへゆくまでは範宴にも分らなかったが、出頭してみると、意外にも、奏聞そうもんによって、範宴を少僧都しょうそうずの位に任じ、東山の聖光院門跡しょうこういんもんぜきせらる——というお沙汰さたであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、初めてこのことを、帝劉禅りゅうぜん奏聞そうもんに入れて、万端のそなえを打ち明け、最後に
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
御心みこころやすらかに思し召されまするよう——右の趣、奏聞そうもんの儀、願わしゅう存じまする
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すると、行房の答えも、その奏聞そうもんもまたず、み車のうちで、後醍醐のお声がした。
上洛者のたれかれを問わず、これを奏聞そうもんに達して、それらの武門が望む叙爵じょしゃく栄職えいしょくの名を聴許ちょうきょし、武家の音物いんもつ黄白こうはくを収入とするのが、ともあれ、この人々の唯一な生きる道ではあった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これよりすぐ下山して、密かに禁中へまかり、花山院かざんいん(大納言師賢もろかた)か、万里小路までのこうじ宣房のぶふさ)へこの二通を手わたし、時をかず、奏聞そうもんに達せよと、くれぐれ申せ。——よいか、書中は重大だぞ
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「朝廷へは、わしから後に奏聞そうもんしておく。決して、卿にとがはかけない」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ奏聞そうもんにと、一種の獄臭ごくしゅうがこめている薄暗い奥へこけまろんで行った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何か、生活くらしにつらい事があったら、遠慮なく院へ奏聞そうもんせよ」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……さて。奏聞そうもんに達したてまつらねばなるまい」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「さっそく奏聞そうもんに」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)