初春はる)” の例文
「ええい、智慧のねえ奴だ。せっかく黄金こがねつるをひいて来た福運を、初春はる早々、追い払う阿呆があるか。飛んでもねえ馬鹿者ぞろいだ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どッ! と、浪のような笑声が、諸士の口から一つに沸いて、初春はるらしく、豊かな波紋はもんを描いた。が、笑い声は長閑のどかでも、どうせ嘲笑ちょうしょうである。愚弄ぐろうである。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
全躰あのおをどうなさる覺しめしぞや、初春はるの三日の歌がるたに、其うつくしきお顏を見せましたは私しの咎なれど、誠の罪は何處やらのお人と田原がことに話しの移れば
花ごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「何かお慰みにと、初春はるくさなど探させました。甘味は干柿の粉を掻き溜めたもの。甘葛あまずらとはまた風味もかくべつ違いますので」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
門松、注連繩しめなわを焼く煙りが紫いろに辻々を色彩いろどって、初春はるらしい風が、かけつらねた絣の暖簾のれんたわむれる。
我れながらしがたき心のいづ方に向ひてすゝむらん、あとにも先にも今日までに逢ひみしは初春はるの三日、年始まはりの屠蘇の醉ひ、目もとにあらはれて心は夢ところげこみし谷中のやどに
花ごもり (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
「すぐ初春はるだわ。春となっても、闘犬は見られんのか。踊りも踊れまいか。……いったい、いつまで軍勢を送りつづけるのだ」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
酒間には、法皇のお覚えよき寿王とかいう冠者の“落蹲らくそんノ舞”などあって、女房たちの座も初春はるらしい灯に笑いさざめいた。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初春はるの櫛だの、やれ下駄だの、扱帯しごきだのとねだられたあげく、小料理屋で飲んで喰って、すっかり財布の底をハタいてしまったいい気な客は
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれのうちに、烏丸家の奥から戴いたという初春はるの小袖を着、ゆうべは髪を洗ったりったりして、今朝を楽しみに寝もやらない様子であったのだ。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土着の人々の切ない気持も無下むげにできない気がして、初春はるには、北国を立つつもりでいた予定を云い出しかねていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何ですって、あの城太さんが私の子かというんですか。私はまだ、初春はるを迎えて、やっと二十歳はたちを一つ越すんです。そんなに年をって見えますか」
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう、結納ゆいのうもすみ、あの家では、初春はるの支度で、花嫁の準備で、友禅ゆうぜん小布こぎれや綿屑わたくずが、庭先に掃き出されてあるのでもそれが分る——と、云うのだった。
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、陽気にしてしまう清盛が、わけてもこの頃はご機嫌なのであるから、六波羅一かくのことしの正月こそは、まことに、初春はるらしい陽気にちあふれていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
淀のながれには、門松の輪飾りや、初春はるのものを乗せた小舟がせわしげにさおさしていた。それを見ると、朱実は
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はい、はい。またお世話になろうも知れませぬ。年暮くれから初春はるを越して、思わず三月越みつきごしになりましたのう」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
範宴は、網代牛車あじろぐるまを打たせて、青蓮院しょうれんいんの僧正のもとへ、これから初春はる賀詞がしをのべにゆこうと思うのであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうさ、初春はるだもの。開けておけばお獅子だの太神楽だいかぐらだの、お前さんみたいな長い顔だのと、ろくなものは舞いこんで来ないからめッ放しにしてあるんだよ。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれから初春はるを越すと、砂金のかねは半分以上も手をつけてしまっていた。——また、雪が解ける。四、五月が近い。黄金売かねうり吉次が京へ出て来る頃となろう。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ご遠慮のいる人物ではない。初春はるでもあれば、まあ、ゆるりとなされ」といった。範宴は、案内について
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただしく過去をかぞえれば、武家幕府の創始者、頼朝の没後から百二十二年目にあたる初春はるである。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その中に——やがて十二月も近い——すぐ来る次の初春はるを待とうともせず、しいんと、四十七名の老若の精神が、一つに凝り固まって、死のうとしているのであった。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初春はる迫る年越しを前に、秀吉は、江北ごうほくの一部にたいし、断乎だんこ重大な軍事行動を起していたし、同時に、徳川家康も、何を思うか、急遽きゅうきょ、浜松へひきあげを開始していた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
……去年こぞの冬から初春はるへかけて、都の御陣は、やごとなきあたりからあなたさまやら郎党たちまで、矢たけびのなかに明け暮れのおすごしとあるのに、河内の奥は何事ものう
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あんずるに、火の原因おこりは、昼、初春はるうたげに、たくさんな花籃はなかごが持ち込まれており、上には、蝶花の祭りかんざしがたくさんしてあったが、かごの底には、硫黄いおう焔硝末えんしょうまつ、火薬玉などが
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
記憶がふっとれている。そして、二十七歳の初春はるをもっていま生れかえった感じである。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
華やかに扮装いでたった鉄騎五百人と軍楽隊との“元宵げんしょうの行列”にまもられて城中の“初春はるうたげ”から退がってきた梁中書りょうちゅうしょの通過を、男女の見物人とともに見送っていたものらしいが
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長は、家臣へそう云いおいて、初春はる早々、三河方面へ、放鷹ほうようの旅に出立したという。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
必勝の進軍、間近し。初春はる三箇日さんがにちは、大いに飲み、大いに心胆を養っておくがよろしい
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この初春はるは諸事祝儀も一切、先のい年に延ばしたが、これは臨戦の門祝いである」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一色刑部いっしきぎょうぶの許へ助けて行かれ、そこで年を越え、次の初春はる早々、都へ出たのだった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と保身にあわてて、年暮くれから初春はるの極寒を、賀名生あのうの奥へ、そして、みかどの御母新待賢門院しんたいけんもんいんへ、とくにまた、北畠親房などへ、ごきげんをとり結ぶべく、われがちに上って行った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このあいだに、初春はるをまたいで、野は残雪まだらに、若草の浅みどりを呈していた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「もう明日あした明後日あさって、ふた晩寝るとお正月だな。初春はるには何か買ってやろうか」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と思うと、初春はる早々、湖を渡って来た大船はおびただしい建築の資材を浜に積みあげ、一帆また一帆、船のつくたび上がって来る人員は、忽ち近郷の民衆を、ひさしの端まで埋めてしまうほどだった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初暦はつごよみのうえに、元禄十六年の初春はるがもう二日、三日と数えられてゆく。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
よくぞよくぞ、これまでに励まれた。亡き良持どのがおしたら、いかばかり歓ばれようぞ。——さすがは、桓武帝の末裔まつえいたる御子将門どのよ。わしも、どんなにか、うれしいか知れぬ。よい初春はる
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこはかとなく、ほのかなしょくともされはじめている。女房衆の声かと思う。遠く近く嘻々ききとしたさざめきが洩れて来る。安土の奥の殿深くは、宵ごとにちかづく初春はるを待つ支度などに忙しいのであろう。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おつみは、その初春はる、初めてあかのつかない小袖を着たので
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(自分ですら、こうして、新しい初春はるに巡り会えば——)
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これがわしの待っていた正月なのだ。天下の初春はるだ」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それには、初春はるにかかっては、何かと、困り申すので
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つまり初春はるは二十日の七里ヶ浜大馬揃いなのである。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
初春はるなれや 明けたり
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)