“修(しう)” の例文
午後生田(いくた)さんが見えた。煙草(たばこ)のいろいろあるのを私と同じ程面白がつて飲んで下すつた。良人(をつと)の異父兄の大都城(だいとじやう)さんが修(しう)さんと一緒に来た。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
遠恥、名は恭(きよう)、号は小蓮(せうれん)、鈴木氏、修(しう)して木(ぼく)と云つた。所謂木芙蓉(ぼくふよう)の子である。仲彜は越後国茨曾根(いばらそね)の人関根氏であるらしい。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
吾(われ)聞(き)く、昔(むかし)は呉道子(ごだうし)、地獄變相(ぢごくへんさう)の圖(づ)を作(つく)る。成都(せいと)の人(ひと)、一度(ひとたび)是(これ)を見(み)るや咸(こと/″\)く戰寒(せんかん)して罪(つみ)を懼(おそ)れ、福(ふく)を修(しう)せざるなく、ために牛肉(ぎうにく)賣(う)れず、魚(うを)乾(かわ)く。
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
帰つて来て髪を解いたがいよいよ頭痛が烈(はげ)しくなつて身体(からだ)の節々も痛くてならなくなつて来た。修(しう)さんが来て短冊を欲(ほ)しいと云ふので五枚書いて渡した。
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
晝(ひる)は終日(ひねもす)兵術(へいじゆつ)を修(しう)し、夜(よる)は燈下(とうか)に先哲(せんてつ)を師(し)として、治亂(ちらん)興廢(こうはい)の理(り)を講(かう)ずるなど、頗(すこぶ)る古(いにしへ)の賢主(けんしゆ)の風(ふう)あり。
十万石 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
以來(いらい)、百家(ひやくか)の書(しよ)を讀(よ)んで、哲學(てつがく)を修(しう)する、と稱(とな)へて、別業(べつげふ)に居續(ゐつゞ)けして、窓(まど)を閉(と)ぢて、垣(かき)を開(ひら)いた。
みつ柏 (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
然しその話が外(ほか)から来たのではなし、汽車の旅を大反対の修(しう)さんの持つて来た話なのであるから、私は苦しんで居るのだ、出来さうにないわけだと私は思つて居た。茶の間へ来ると
六日間:(日記) (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
硬(こは)いのがごそりと脱(ぬ)げると……靴下(くつした)ならまだ可(い)い「何(なに)、體裁(ていさい)なんぞ、そんな事(こと)。」邊幅(へんぷく)を修(しう)しない男(をとこ)だから、紺足袋(こんたび)で、おや指(ゆび)の尖(さき)に大(おほ)きな穴(あな)のあいたのが、油蟲(あぶらむし)を挾(はさ)んだ如(ごと)く顯(あら)はれた。
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)
「……道(みち)は道(みち)だよ、修(しう)はをさむると、……恁(か)う云(い)ふ字(じ)だ。」
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花、泉鏡太郎(著)