)” の例文
昨日は一の代金二両二分の米が今日の値段は三両二分の高値にも引き上げたという。小売り一升の米の代が急に四百二十四文もする。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
白河以北破駅荒涼トシテ村落ノ如シ。ハ多ク牝馬ヲ用ユ。往往ノ尾ニキ乳ヲもとムルヲ見ル。須賀川すかがわノ駅ニ宿ス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「あの方は年に馬に一の蕃椒を食べるのださうだ」と人の云つたことを、刀自は猶記憶してゐる。壽阿彌の著てゐたのは木綿の法衣ほふえであつたと刀自は云ふ。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
うちたからうばわれでもしたように、藤吉とうきち地駄じだんで、あとから、土橋どばしをひとびにんでった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
トモからここまで運んで来た馬二の入費が十三ルピー、それを払いまして七月一日にその荷物を受取り
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
ばくちを打ち、辻褄つじつまの合わぬちぐはぐなぼらを吹き合う、そしてその揚句あげくのはては恐ろしい喧嘩けんかだ。
すると、ちょうど師走しわす二十日の夕方だった。——どこからか来た一の酒商人の者と、花山院の警固小屋の番士らとが、そこの門前で、何やら物議をかもしていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山田川で筏を組みますには藤蔓ふじづるを用います、これを上拵うわごしらえととなえ、筏乗の方では藤蔓のことを一二把と申しませんで、一タキ二タキと云います、一ずつ有りまして
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「いいえね。いくおもつてみても、そんなこと、あたしたちには目なんですもの……」
(旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
さうだ、しかしいくら高い山へてても雲がおほいとこぢや目だ
一、大滝壱岐守おおたきいきのかみ——三つ、および縮緬ちりめんぴき、酒五
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
鵞目てうもく一結ひとゆひ白米しらよね、白小袖一、送りをはんぬ。
幕府では木租の中をいて、白木しらき六千を木曾の人民に与え、白木五千駄を山村氏に与え、別に山村氏には東美濃地方に領地をも与えて
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
背中せなかぱい汚泥はねわすれたように、廊下ろうか暖簾口のれんぐち地駄じだんで、おのが合羽かっぱをむしりっていた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
羊毛はカリンポンといってダージリンの東に在る山都会に出て来る分が、毎年騾馬らばでもって五千以上六千駄位ある。それからブータンの方に出るのは一千五百駄以上ある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「——が、手ぶらでは参りません。さしずめ、御配下への手当やら軍費として、些少さしょうではありますが、三の駒に金銀を積んで来ました。御受領くださればありがとうぞんじまする」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こりや いくらあばれても目だ くやしいなあ
なんでも一もあるほどの小判こばんを馬につけまして、宰領の衆も御一緒で、中津川へお帰りの時も手前どもから江戸をお立ちになりましたよ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
やはりロシアの都で出来たものと信じて居るですが、その鉄砲の銘を見ますとアメリカ製であります。何千梃来たか分りませんが、駱駝五百の半分以上は鉄砲であったらしい。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「八しゃの米と十あわは、ご陣屋の兵糧ひょうろうとしてご使用くださいますよう」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう目よ あしもふるへてきたのよ
四月の二十二日には、寛斎も例の馬荷一に宰領の付き添いで、片側に新しい家の並んだ馬籠の坂道を峠の方から下って来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
行って見ると、京都の五条家からは奉納の翠簾すいれんが来てる、平田家からは蔵版書物の板木はんぎを馬に幾というほど寄贈して来てるというにぎやかさサ。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
森林保護の目的から伐採を禁じられている五木の中でも、毎年二百ずつのひのきさわらたぐいの馬籠村にも許されて来たことが、その中に明記してあった。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
ずっと以前の山地に檜榑ひのきくれ二十六万八千余ちょう土居どい四千三百余の木租を課せられた昔もあるが、しかもその木租のおびただしい運搬川出し等の費用として
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
のみならず幕府恩賜の白木六千は追い追い切り換えの方法をもって代金二百三十一両三分銀十匁五分ずつ毎年谷中へ下げ渡されたことは、維新の際まで続いた。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
八つ時過ぎまで四、五十の継立てもなく、人足や牛でようやくそれを付け送ったことがある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
半蔵は栄吉と相談し、年寄役とも相談の上で、おりから江戸屋敷へ帰東の途にある仙台の家老(片倉小十郎かたくらこじゅうろう)が荷物なぞは一時留め置くことに願い、三棹の長持と五の馬荷とを宿方に預かった。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)