トップ
>
遷化
>
せんげ
ふりがな文庫
“
遷化
(
せんげ
)” の例文
一四一
他
(
かれ
)
善果
(
ぜんくわ
)
に
基
(
もとづ
)
きて
遷化
(
せんげ
)
せしとならば、
一四二
道に
先達
(
せんだち
)
の師ともいふべし。又活きてあるときは
一四三
我がために
一個
(
ひとり
)
の
徒弟
(
とてい
)
なり。
雨月物語:02 現代語訳 雨月物語
(新字新仮名)
/
上田秋成
(著)
(越後に五年、下野に三年、常陸に十年、相模に七年也)
弘長
(
こうちやう
)
二年十一月廿八日
遷化
(
せんげ
)
寿
(
ことぶき
)
九十歳。
件
(
くだん
)
の
柿崎
(
かきざき
)
の哥も
弘法行脚
(
ぐほふあんぎや
)
の
時
(
とき
)
の作なるべし。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
又岩淵夜話に依れば、宗享禅師は泉州岸和田の城主岡部宣勝に扶助せられて極老に及び、岸和田に於いて
遷化
(
せんげ
)
したとも云う。
聞書抄:第二盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
「いや、その栄位も捨てて、
遷化
(
せんげ
)
する心だという者がある。四王院の
阿闍梨
(
あじゃり
)
や、青蓮院の僧正などは、それでひそかに、心配しているらしい」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
またある学者の説くごとく鑑真
遷化
(
せんげ
)
後の建立とすれば、如宝はすでに三十歳を超え、日本に十年以上の年月を送っている。
古寺巡礼
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
▼ もっと見る
それは五年ほど前に腹ちがいの兄、東福寺の雲章一慶が入寂し、引続いて同じ年に、やはり腹ちがいの弟の東岳
徴昕
(
ちょうきん
)
が
遷化
(
せんげ
)
して以来のことである。
雪の宿り
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
切髪となっていたお鯉は、越前永平寺禅師となって、つい先の日
遷化
(
せんげ
)
された
日置黙仙
(
へきもくせん
)
師について受戒し参禅していたが、女将もその悟道の友であった。
一世お鯉
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
「翁
遷化
(
せんげ
)
の年深川を
出
(
いで
)
給ふ時、
野坡
(
やは
)
問
(
とう
)
て
云
(
いふ
)
、俳諧やはり今のごとく作し侍らんや。翁曰、しばらく今の風なるべし、
五七
(
ごしち
)
年も過なば一変あらんとなり。」
芭蕉雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
了善上人には
御連合
(
おつれあい
)
も先年
寂滅
(
じゃくめつ
)
なされ、
娘御
(
むすめご
)
お一人御座候のみにて、
法嗣
(
ほうし
)
に立つべき男子なく、遂に愚僧を
婿養子
(
むこようし
)
になされたき由申出され候
中
(
うち
)
、急病にて
遷化
(
せんげ
)
遊ばされ候。
榎物語
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
四世紀の初め穴から這い出て多く僧衆を
聚
(
あつ
)
め、更に紅海際の山中に隠れ四世紀の中頃
遷化
(
せんげ
)
した。
十二支考:10 猪に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
俗曲の『
恋慕
(
れんぼ
)
』とは違いまして、『鈴慕』と申しますのは、御承知でもございましょうが、
普化禅師
(
ふけぜんじ
)
の
遷化
(
せんげ
)
なさる時の鈴の音に合せた秘曲なんでございます、人間界から
大菩薩峠:19 小名路の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
参禅の三摩地を味ひ、諷経念誦の法悦を知つてゐたので、和尚の
遷化
(
せんげ
)
して後も、団九郎は閑山寺を去らなかつた。
五蘊
(
ごうん
)
の覊絆を厭悪し、すでに一念解脱を発心してゐたのである。
閑山
(新字旧仮名)
/
坂口安吾
(著)
拾
(
ひろ
)
ひ揚て弟子とし參らせし處天道先年
遷化
(
せんげ
)
の
後
(
のち
)
天忠即ち
住職
(
ぢうしよく
)
仕
(
つかま
)
つり其
砌
(
みぎり
)
に天一坊樣を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
ただし貉が
勧化
(
かんげ
)
の使僧を
咬
(
か
)
み殺して、代ってこれに化けたというかちかち山式風説は認めず、中途で
遷化
(
せんげ
)
した和尚の姿を借りて、山門再建の遺志を果したという他の一説の方を
執
(
と
)
っており
山の人生
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
師僧
遷化
(
せんげ
)
芭蕉
(
ばしょう
)
玉巻く御寺かな
五百句
(新字旧仮名)
/
高浜虚子
(著)
(越後に五年、下野に三年、常陸に十年、相模に七年也)
弘長
(
こうちやう
)
二年十一月廿八日
遷化
(
せんげ
)
寿
(
ことぶき
)
九十歳。
件
(
くだん
)
の
柿崎
(
かきざき
)
の哥も
弘法行脚
(
ぐほふあんぎや
)
の
時
(
とき
)
の作なるべし。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
それは五年ほど前に腹ちがひの兄、東福寺の雲章一慶が入寂し、引続いて同じ年に、やはり腹ちがひの弟の東岳
徴昕
(
ちょうきん
)
が
遷化
(
せんげ
)
して以来のことである。
雪の宿り
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
「そうか。さすれば、
遷化
(
せんげ
)
するとか、京の六角堂へ参籠するため、夜ごとに通っているなどということも」
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
参禅の三摩地を味い、諷経
念誦
(
ねんじゅ
)
の
法悦
(
ほうえつ
)
を知っていたので、和尚の
遷化
(
せんげ
)
して後も、団九郎は閑山寺を去らなかった。
五蘊
(
ごうん
)
の
覊絆
(
きはん
)
を厭悪し、すでに一念
解脱
(
げだつ
)
を
発心
(
ほっしん
)
していたのである。
閑山
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
十七の一月三日、
暹羅
(
シヤム
)
皇太子が西本願寺を訪問され、武子さんも拝謁されたが、病いをおして歓迎、法要をつとめ、その縁談に進んで同意だった、父
法主
(
ほっす
)
が急に重態となり
遷化
(
せんげ
)
されたので
九条武子
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
拾
(
ひろひ
)
上げ
養育
(
やういく
)
して弟子と
成
(
なし
)
ける者なり天道
遷化
(
せんげ
)
の後は拙僧が弟子となして永年
召使
(
めしつか
)
ふ者なれば
何
(
いか
)
にも
不便
(
ふびん
)
には存ずれど大功は
細瑾
(
さいきん
)
を
顧
(
かへり
)
みずと依て
彼
(
かれ
)
を
殺
(
ころ
)
し其後吉兵衞殿に
剃髮
(
ていはつ
)
させ
面
(
おも
)
ざしの似たるを
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
此時七十
余
(
よ
)
の
老僧
(
らうそう
)
也しが、
前
(
まへ
)
にいへる
何村
(
なにむら
)
の人の
不幸
(
ふかう
)
に
比
(
くらぶ
)
れば万死に一生をえられたる
天幸
(
てんかう
)
といひつべし。
齢
(
よはひ
)
も八十余まで
无病
(
むびやう
)
にして文政のすゑに
遷化
(
せんげ
)
せられき。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
何事もなく一年すぎて千部
読経
(
どくきやう
)
のすみし月に
件
(
くだん
)
の石又川中にあらはるゝ、其翌年はたして
遷化
(
せんげ
)
なりと。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
何事もなく一年すぎて千部
読経
(
どくきやう
)
のすみし月に
件
(
くだん
)
の石又川中にあらはるゝ、其翌年はたして
遷化
(
せんげ
)
なりと。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
此石
出
(
いづ
)
ると
土民
(
どみん
)
ども温泉寺へしらせる事なり、きはめて
翌
(
よく
)
年住僧
遷化
(
せんげ
)
なり、則しるしに此石を立る。九代以前より始りしが代々九代の石塔、同石同様にて少しも
違
(
たが
)
はず
並
(
なら
)
びあり。
北越雪譜:06 北越雪譜二編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
“遷化”の意味
《名詞》
遷化(せんげ)
(仏教)高僧が死去すること。
(出典:Wiktionary)
“遷化”の解説
遷化(せんげ)は、高僧の死亡を、婉曲的に、かつ、敬っていう語。正しくは遷移化滅(せんいけめつ)で、遷化はその略語。死因については特に問わない。丁寧には御遷化(ごせんげ)という。
(出典:Wikipedia)
遷
常用漢字
中学
部首:⾡
15画
化
常用漢字
小3
部首:⼔
4画
“遷”で始まる語句
遷
遷都
遷延
遷幸
遷善
遷徙
遷宮
遷喬楼
遷座式
遷居