立騰たちのぼ)” の例文
山中の茶店などであろうか、蒸し上った饅頭の湯気ゆげが、濛々と春日の空へ立騰たちのぼる、あたりに桜が咲いている、という光景である。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
その気でおぜんに向った日にゃ、おつけの湯気が濛々もうもう立騰たちのぼると、これが毒のある霧になる、そこで咽死むせじにに死にかねませんな。
沼夫人 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
陽は午前の十一時に近く、川も町のいらかも、野菜畑や稲田も、上皮を白熱の光に少しずつ剥がされ、微塵の雲母きらゝとなって立騰たちのぼってるように見えます。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
濛々と立騰たちのぼ砂塵さじんをあびせて、ヨセフは眼に涙を浮べながら、腕の子供をいつか妻にきとられてしまったのも忘れて、いつまでもひざまずいたまま、動かなかった。
さまよえる猶太人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
廣庭ひろにはむいかまくちからあをけむ細々ほそ/″\立騰たちのぼつて軒先のきさきかすめ、ボツ/\あめ其中そのなかすかしてちてる。
湯ヶ原ゆき (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
我らは松原を通って波打際に出た。其処そこには夢のような静かな波が寄せていた。塩焼く海士の煙も遠く真直ぐに立騰たちのぼっていた。眠るような一帆いっぱんはいつまでも淡路の島陰にあった。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
ふらふらする足どりで、二階の窓際まどぎわへ寄ると、はるか西の方の空に黒煙こくえん濛々もうもう立騰たちのぼっていた。服装をととのえ階下に行った時には、しかし、もう飛行機は過ぎてしまった後であった。
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
海面うなもから立騰たちのぼる水蒸気が、乳色ちちいろもやとなって、色とりどりにのつけられた海浜のサンマー・ハウスをうるませ、南国のような情熱——、若々しい情熱が、爽快な海風に乗って、鷺太郎の胸をさえ
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
そういう低い家から濛々たる蚊遣の煙が立騰たちのぼる。ひさしの深い、薄暗い地盤の低い家が、この趣を大に助けているから面白い。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
ふもとを見ると、塵焼場ちりやきばだという、煙突が、豚の鼻面のように低く仰向あおむいて、むくむくと煙をくのが、黒くもならず、青々と一条ひとすじ立騰たちのぼって、空なる昼の月にうすく消える。
若菜のうち (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
濛々もうもうと煙が立騰たちのぼるばかりで、わたしのまわりはひっそりとしていた。煙の隙間すきまに見えて来た空間は鏡のように静かだった。と何か遠くからザワザワと潮騒しおさいのようなものが押しよせてくる。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
まして、一足靴を踏み抜く度びに、落葉の中に出来た窪跡から土に近い朽葉のやゝ醗酵した匂いが立騰たちのぼるのが、日本紙の生紙で顔を拭くような素朴で上品で、もの佗びた感じを伴います。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あるいはこの句は現在雨が降っている場合でなしに、雨がやんだばかりに日がさして、水蒸気が一面に立騰たちのぼるというような光景でもいいかと思う。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
で、立騰たちのぼり、あふみだれる蚊遣かやりいきほひを、もののかずともしない工合ぐあひは、自若じじやくとして火山くわざん燒石やけいしひと歩行あるく、あしあかありのやう、と譬喩たとへおもふも、あゝ、蒸熱むしあつくてられぬ。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
流石さすがに年頃まえの小娘の肩から胴、わき、腰へかけて、若やいだ円味と潤いと生々しさが陽炎かげろうのように立騰たちのぼり、立騰っては逸作へ向けてときめきもつれるのをわたくしは見逃すわけにはゆかなかった。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
七筋ばかり、工場の呼吸いきであろう、黒煙くろけむりが、こう、風がないから、真直まっすぐ立騰たちのぼって、城のやぐらの棟を巻いて、その蔽被おおいかぶさった暗い雲の中で、末が乱れて、むらむらと崩立くずれたって、さかさまに高く淀川の空へなびく。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
白い煙さえも液体に見えて立騰たちのぼっていた。
桃のある風景 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)