なん)” の例文
将門死して二十一年の村上天皇天徳四年に、右大将藤原朝臣が奏して云はく、近日人〻故平将門のなんの京に入ることをふと。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
いよいよお嫁合よめあわせの時刻じこくになると、その支度したく出来できたお座敷ざしきへ、いちばん上のにいさんから次男じなんなん順々じゅんじゅんにおよめさんをれてすわりました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
なん坪太郎つぼたろうと名づけ、鍾愛しょうあい此上無かりしが、此男子なんし、生得商売あきないの道を好まず、いとけなき時より宇治黄檗おうばくの道人、隠元いんげん禅師に参じて学才人に超えたり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
「支那の始皇帝の侍医であつた徐福が童なんによ六百人をれてつて日本の文明を開いた」とう云ふ調子ですべてが書かれて居たのでがつかりした。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
いつはりし佛罰ぶつばつにて空恐しき目に逢しならん早々御わびをすべしと下なん吉平へ申付て原澤村へ立歸たちかへりさせ番頭ばんとう忠兵衞へ内談の上金子を取寄せ身延山へも金十兩ををさめて御わびをなし漸々やう/\日數を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
明治めいじ十六(一八八三)ねん諭吉ゆきちは五十さいになっていましたが、このとしなつ、四なん大四郎だいしろうまれたので、諭吉ゆきちは四なんじょ、あわせて九にんという、おおぜいのだからにめぐまれました。
とき小田おだくん、きみはたしか三なんであったな。」と、きかれた。
空晴れて (新字新仮名) / 小川未明(著)
「はッは。たかが九州きゅうしゅう小大名こだいみょうのくせに、ばかなやつらだ。いったいおれをなんだとおもっているのだろう。子供こどもだって、りっぱな源氏げんじ本家ほんけの八なんじゃないか。」
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
下野國しもつけのくに日光山につくわうざん鎭座ちんざまします東照大神とうせうだいじんより第八代の將軍しやうぐん有徳院吉宗公いうとくゐんよしむねこうしようたてまつるは東照神君とうせうしんくんの十一なん紀伊國きいのくに和歌山わかやま城主じやうしゆたか五十五萬石をりやうするじゆ大納言光貞卿だいなごんみつさだきやうの三なんにて幼名えうみやう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
それこそ先祖せんぞ八幡太郎はちまんたろうけないほどのつよ大将たいしょうというのは、八なん鎮西八郎為朝ちんぜいはちろうためともでした。
鎮西八郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
掛くれば彼者かのもの自若じじやくとして予は大納言殿の三なん徳太郎信房のぶふさなり慮外りよぐわいすな此提灯このちやうちんあふひもんは其方どもの目に見えぬかと悠然いうぜんたる形容ありさまに與力は手荒てあらにすべからずと云付いひつけられたれば詮方せんかたなく立歸り奉行ぶぎやう大岡忠右衞門に此趣このおもむきを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)