年暮くれ)” の例文
「ちょうど、むすめも二十歳はたちをこえ、市十郎も、お役付きしてよい年配になりまする。では年暮くれのうちに、何かと、支度しておいて」
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十日ばかりというもの風ほこりも立たず雨も降らず小春といってもないほどあったかな天気のつづいた今年の年暮くれは見るから景気だって
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
作者が——いたくないことだけれど、その……年暮くれの稼ぎに、ここに働いている時も、昼すぎ三時頃——、ちょうど、小雨の晴れた薄靄うすもやに包まれて、向うやしきあかい山茶花がのぞかれる
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
心のわさわさするような日が、年暮くれから春へかけて幾日いくかとなく続いた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
と、武田勝頼は、父祖数代の古府——甲府の躑躅つつじさきからこの新府へ——年暮くれの二十四日というのに、引き移ってしまったのである。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
またかといってさぞ顔をしかめるであろうが、年暮くれに入用があって故郷くにから取り寄せた勧業銀行の債券が昼の間に着いたので、それを懇意な質屋にもって行って現金に換えた奴を懐中ふところに握って
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
ちまたの人間はいうまでもない、都じゅうが日ごろの姿一切を喪失そうしつし——春を待つ——そんな年暮くれ景色など見たくとも見られなかった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのうえ年暮くれごろから酸い物をこのみ、つわりを覚えるなど、あきらかに今年に入ってからは、身の受胎を知っていた小宰相なのだった。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれの町では、これらの好影響もあり、また余りに抑圧よくあつされた人間欲の反動からも、これまでにない活気と賑わいを見せていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そうしたうちに、年暮くれは迫って、何はあっても、江戸の町は、年の市、羽子板市はごいたいち、そして春を待つ支度に世間の物音はせわしない。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿能十は、いつでもと答え、ただし、その絵図面は、年暮くれ内もなるべく早めに手に入れたい。この月の十三日の晩、もいちどここで会おう。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「重々申しわけなく存じております。あれはつい百日ほど前の、左様左様、年の瀬もおしつまった年暮くれのことでございました」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十三名の決死組は、留守の鉄壁がこう固まったのを見とどけた上、年暮くれから春にかけて思い思いに伊丹の敵地へ立って行った。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『ちょうど、一月の十四日でござった。年暮くれに参って、この家で正月を越し、何事もなく見えました伜三平が、自刃いたしましたのは——』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「長いことだった。さだめしおまえ方のうちでも、正月の支度、年暮くれの始末もあるだろう。ご苦労。さあ家へ帰って、ゆるりと正月をしてくれ」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せっかく、年暮くれのうちからすこしよくなったお風邪かぜをぶりかえさぬように、弟子たちは、身をもって法然をかこみながら、念仏に和していた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
留守中、気がかりはたくさんあるが、ここまで良平が鞭打って来るほどの急用は、まさか年暮くれに迫っての負債とかり相談とも思われない。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何しろ、京都の帰りに、安土に列をとめて、信長がそこらの山や冬田や草原を一瞥いちべつしていたのが、つい年暮くれのことだった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たかい鼻すじからひたいにかけて、てらりと聡明が光っている。この年暮くれでちょうど五十四を越えようとしている光秀であった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれに押しつまって、家康の一子於義丸おぎまるが、表面は、秀吉の養子としてだが——実は、人質として——大坂城に着いた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はははは、よいご身分でござらっしゃるの、年暮くれの日をお忘れか、きょうはもう師走の二十四日でござりますわい」
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
赤飯こわめし小折箱ささおりを、一つずつ持って、煮しめ蓮根はすや、芋を、指で、つまんで食いながら「御嘉酒ごかしゅ」で、赤い顔をした兵が、年暮くれの市中へ、あふれて出た。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれのうちに、烏丸家の奥から戴いたという初春はるの小袖を着、ゆうべは髪を洗ったりったりして、今朝を楽しみに寝もやらない様子であったのだ。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれのうち長浜を収め大垣を攻めたあの振旅しんりょの帰途にも、秀吉はひそかにしずたけから柳ヶ瀬をあるいて京へ帰った。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「秋になるか、年暮くれになるか、やはり若殿も、その日がお心待ちには違いない。近頃は、われら雑輩の端にまで、よく御冗談など仰っしゃるではないか」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東国の常陸久慈くじ郡へは、一族のひとり楠木正家が彼の代官として年暮くれから下向していた。そこからの一便びんらしい。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
市民はよみがえった。——そしてこの年暮くれを平和のうちに送ったのも、信長の徳とし、この正月、婦人が夜道を歩かれるのも、織田軍のお蔭と随喜していた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
茶々も、しかし、この年暮くれを過ぎれば、もう二十の春である。生理的にも、女の自覚がめて不思議はない。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「はい、はい。またお世話になろうも知れませぬ。年暮くれから初春はるを越して、思わず三月越みつきごしになりましたのう」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれも十四日と迫っていたが、この雪に、世間の朝はひっそりして、どこかで朝稽古の三味線の音さえする。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すべて故正成の遺子わすれがたみ楠木正行くすのきまさつらの行動にあたるためだった。しかも山名、細川の大軍も、天王寺附近で大敗北を喫し、都の年暮くれは騒然たるものに変っていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれから初春はるを越すと、砂金のかねは半分以上も手をつけてしまっていた。——また、雪が解ける。四、五月が近い。黄金売かねうり吉次が京へ出て来る頃となろう。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時も時、年暮くれなので、歳暮の祝儀を述べるため、安土へ参向の諸侯が期せずして集まっているせいもある。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが年暮くれの乱だったが、市中警固の一方に当っていた藤吉郎は、固くいましめて、市民にも知らせなかった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
市中は、年暮くれが迫って、誓文払せいもんばらいの売出しだの、年の市だのが、やはり習慣的に、相応ににぎわっていた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その上、同じ弓取の源氏という一派の勢力までが、去年の年暮くれを限りに一掃されてしまったのである。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれの十二月二十九日からのことですぐ正月をまたいでいたのである。——生殺しの三日だった。仁木義長が尊氏に処置を仰いでいるものだろうとの想像はつく。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれから、ふっと、道場へお帰りがないので、若先生も、どうしたのかと口癖に申していました」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし彼自身にすれば、年暮くれいらい、考えぬいていたあげくのもので、とっさの狼狽ろうばいからではない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分の旧作に、「れもまた夜明かし癖か冬の蠅」とか「木枯らしや夜半の中なるわが机」とか、夜半の句が幾つもあるが、それをまたこの年暮くれには幾晩も味わった。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柵は、手薄です。大した兵力はありません。ちょうど、年暮くれの三十日には、炭倉へ千俵の炭を送り入れますから、その時、馬子や百姓の中に交じって、柵の内へ筑波の兵を
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊勢の荒木田神主かんぬしから届け物を頼まれて来て、城太郎の方は年暮くれから——お通はつい先頃から。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは明けて去年の何月かに美濃みのへ向けて出陣した後、そのまま木曾川の東岸に長陣していたのが、年暮くれに帰還を命じられ、ちょうどその朝未明に帰城して来たものであった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この険悪なかたちのなかに、義仲は年暮くれから初春はるを迎え、何の策もなく、わずかの酒の勢いで
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と保身にあわてて、年暮くれから初春はるの極寒を、賀名生あのうの奥へ、そして、みかどの御母新待賢門院しんたいけんもんいんへ、とくにまた、北畠親房などへ、ごきげんをとり結ぶべく、われがちに上って行った。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
年暮くれの松や竹も、眼に映らないのである。辻や、橋のほとりで、人だかりを見ると
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一時、天下を震撼しんかんさせた小牧こまきえきも、これで終った。かたちとして、暫定的ざんていてきに、ひとまず終った。信雄は、年暮くれの十四日に、岡崎へやって来て、押しつまった二十五日まで滞在していた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つい年暮くれの十二月、叡山えいざんの和議をれて総引上げとなるとすぐ正月であった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
戴宗たいそう浪子ろうし燕青えんせいと、武松は魯智深ろちしんと、朱同は劉唐りゅうとうと、史進は穆弘ぼくこうと、そして宋江は柴進さいしんと連れ立ち、年暮くれうちに山を出て、正月十五日の元宵節げんしょうせつを前に、一行は帝都の万寿門外の旅籠はたごに着いた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それ以来は藪山やぶやまの家に寝たっきりで——妻のおえつの看護みとりをうけていたが、年暮くれの寒さをこえて、この正月になっては、腹部にうけた槍傷が毎日痛むらしく、苦しげなうめきがのべつ洩れていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)