稍々やゝ)” の例文
繁の氣色の稍々やゝ動いたのを見たのであらう。お夏は慌しく三度口紅をつけた。そして三度振向いた、が、此度は恥し氣にではない。
葬列 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
ふすま手荒らに開かれて現はれたる一丈天、其のきぬの身に合はず見ゆるは、大洞おほほらのをや仮り着せるならん、既に稍々やゝ酒気を帯びたるかほ燈火ともしびに照らしつ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
大阪屋はその後を睨めながら、おきみが戻つて來るのを待つてゐたが、稍々やゝしばらくしても戻つて來ないので、これも立ち上つて、隣室へ入つて行つた。
天国の記録 (旧字旧仮名) / 下村千秋(著)
稍々やゝ役立つには役立つたが、此の無恋の、此の落寞たる心もちをいやすには、もう役立ちさうもなく見えて、何か変つた刺戟剤しげきざいを、是非必要としてゐたんだ。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
法身の価値を知ることが出来ないものである、フロオベルの生活などは、稍々やゝそれに近いと言つて好いと思ふ。
孤独と法身 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
彼の頭のなかでくる/\と動いてゐたものが稍々やゝ静まる時期に入るにつれ、和作は加納家に対してはじめて正体のはつきりした屈辱を感じるやうになつた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
絵画は稍々やゝ原始的な石版刷りで、恐らくインドラという神の図であった。笛は幾らか寸の足りぬ安価相な出来で、その末端に、素人細工しろうとざいくらしい赤銅の鎖が付けてあった。
ラ氏の笛 (新字新仮名) / 松永延造(著)
日本語に之を重訳ちようやくして罪過とふは稍々やゝ穏当ならざるがごとしといへども、世にアイデアル、リアルを訳して理想的、実写的とさへ言ふことあれば、是れまた差してとがむべきにあらず。
罪過論 (新字旧仮名) / 石橋忍月(著)
猫兒プスや』ねこに入るかうかはわかりませんでしたが、かくあいちやんはおそる/\びかけました。けれどもねこは、たゞ以前まへよりも稍々やゝひろしてせたばかりでした。
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
そして、自分ながら意気地いくぢなく、明日からまた気をとり直して、みつしり働かうといふ料簡れうけんになるのであつた。此の料簡は今から二年前、彼が此波止場へ着いた時の心持と稍々やゝ同じ者である。
煤煙の匂ひ (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
やうやく気を沈めて其人のさまをつく/″\打ち眺むれば、まがふかたなき狂女なり。さては鬼にもあらずと心稍々やゝ安堵したれば、何故なにゆゑにわれをむるやと問ひしに、唯ださめ/″\と泣くのみなり。
鬼心非鬼心:(実聞) (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
信一郎は、一寸おいてきぼりを喰つたやうな、稍々やゝ不快な感情を持ちながら、暫らく其処に佇立した。大学生に話しかけた自分の態度が、下等な新聞記者か何かのやうであつたのが、恥しかつた。
真珠夫人 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
つたが、まどけたひぢいて、唯吉たゞきちこゑ稍々やゝせはしかつた。
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
望月刑事は司法主任の榎戸警部に稍々やゝ得意そうに話していた。
青服の男 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
「まるで心狂しんきょうのようやが。」と母は稍々やゝ小さな声で言った。
恭三の父 (新字新仮名) / 加能作次郎(著)
待つ間稍々やゝ久しくして主人あるじは扉を排して出で来りぬ、でつぷりふとりたる五十前後の頑丈造ぐわんぢやうづくり、牧師が椅子いすを離れての慇懃いんぎんなる挨拶あいさつを、かろくもあごに受け流しつ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
「過去、眠れ」稍々やゝあつて彼は、激したやうに自分に云つた。「あんな過去……」
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
あいちやんは、しや料理人クツクがそれをさとりはしないかと、稍々やゝ氣遣きづかはしげにそのはうながめました、が、料理人クツクいそがはしげに肉汁スープまはしてて、それをいてないやうにえたので
愛ちやんの夢物語 (旧字旧仮名) / ルイス・キャロル(著)
二氏は如何にしてかくの如き謬見をいだきしや。吾人熟々つら/\二氏の意のところを察して稍々やゝ其由来を知るを得たり。けだし二氏は罪過説に拘泥こうでいする時は命数戯曲、命数小説の弊に陥るを憂ふる者ならん。
罪過論 (新字旧仮名) / 石橋忍月(著)
主人は黙つて其の紙包を開けり、中より出でしはしわクチヤになれる新聞の原稿なり、彼は膝頭ひざかしらにて稍々やゝ之を押し延ばしつ、口のうちにて五六行読みもて行けり
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)