狩野かのう)” の例文
甚五郎じんごろうの彫ったりゅうは夜な夜な水を吹いたという話だが、狩野かのうのほうにだって、三人や五人、左甚五郎がいねえともかぎらねえんだ。
狩野かのう派末期の高貴なる細工ものよりも、師宣もろのぶの版画に驚嘆すべき強さと美しさが隠されていた如き事も、世の中には常にある事だ。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
写山楼しゃざんろう画学斎ががくさい、その他の号は人の皆知る所である。初め狩野かのう派の加藤文麗かとうぶんれいを師とし、後北山寒巌きたやまかんがんに従学して別に機軸をいだした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
北斎は初め勝川春章かつかわしゅんしょうにつきて浮世絵の描法を修むるのかたわら堤等琳つつみとうりんの門に入りて狩野かのうの古法をうかがひ、のちみずか歌麿うたまろの画風を迎へてよくこれを咀嚼そしゃく
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
どこともなく、ただよいだした黄昏たそがれの色あい——すすけた狩野かのうふうな絵襖えぶすまのすみに、うす赤い西陽にしびのかげが、三角形に射している。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かく申込んだのは、この頃米沢に漫遊中の江戸の画師えし狩野かのうの流れは汲めども又別に一家を成そうと焦っている、立花直芳たちばななおよしという若者であった。
壁の眼の怪 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
ところでその金屏風の絵が、極彩色の狩野かのう何某なにがし在銘で、玄宗皇帝が同じ榻子いすに、楊貴妃ようきひともたれ合って、笛を吹いている処だから余程よっぽど可笑おかしい。
みさごの鮨 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
豊臣時代の狩野かのうの画家の名であることを知り、今日のこの時勢に、一枚の絵を見ようとして、陸奥みちのくまで出かける閑人ひまじん……一人の画工にあこがれて
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
たとえば狩野かのう派・土佐とさ派・四条しじょう派をそれぞれこの三角の三つの頂点に近い所に配置して見ることもできはしないか。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「兄上、ここを開けましたる次の部屋に置きます屏風は、狩野かのう法眼ほうげん永徳えいとくあたりが、出ず入らずのところと——。」
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
日本人は画の理解があればあるほど狩野かのう派とか四条派とか南宗とか北宗とかの在来の各派の画風に規矩きくされ
絵の方とてもその通り、雲谷うんこく狩野かのうびもよかろう、時にはわれわれの筆のあとの、絢爛けんらん華美の画風のうちにも、気品も雅致もあるのを知ってもよいと思うがな。
艶容万年若衆 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
また絵画における狩野かのう家のように、花道の記録に有名な池の坊の家元専能せんのうもこの人の門人であった。
茶の本:04 茶の本 (新字新仮名) / 岡倉天心岡倉覚三(著)
大橋流の書もいし、絵は木挽こびき町の狩野かのうの高弟で、一僊いっせんといって、本丸炎上の時は、将軍の居間の画を描いたりしたほど出来たし、漢学も出来る、手をとって教えてもらった。
絵で言えば土佐狩野かのうのように四角張ったものだが、鬢附油の匂いに至っては専ら中下の社会をて込んで作ったちょうど浮世絵様の物なれば、下品といえば下品なると同時に
定家を狩野かのう派の画師に比すれば探幽たんゆうと善くあい似たるかと存候。定家に傑作なく探幽にも傑作なし。しかし定家も探幽も相当に練磨の力はありていかなる場合にもかなりにやりこなし申候。
歌よみに与ふる書 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
「はあ、この方が林さん、私は大島と申します。何分よろしく」と言った言葉の調子にも世なれたところがあった。次に狩野かのうという顔にほくろのある訓導と杉田という肥った師範しはん校出とが紹介された。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
前に挙げた吉川家とともに狩野かのう家の分れである。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
血だ! 大きな床いっぱいのようにかかっている狩野かのうものらしい大幅の上から下へ、ぽたぽたと幾滴も血がしたたりかかっているのです。
こはあたかも土佐とさ狩野かのうの古画と西洋油画とを区別して論ずるにひとし。余は新旧両様の芸術のためにその境界を区別するの必要を感じてまず。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
拙者は木挽町こびきちょう狩野かのうでござるとか、文晁ぶんちょうの高弟で、崋山の友人で候とか、コケおどしを試むる必要はなく、大抵の場合、足利の田舎絵師田山白雲と
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
狩野かのうではござりませぬような……その絵具のお使い方は土佐をお学びでござりますか」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ぎょうの松にむかった方には狩野かのうという絵師の家が、鬱蒼こんもりした中に建っていた。
第四「馬の間」の襖は応挙、第五「孔雀くじゃくの間」は半峰、第六「八景の間」は島原八景、第七「桜の間」は狩野かのう常信の筆、第八「かこいの間」には几董きとうの句がある。
北斎は従来の浮世絵に南画なんがの画風と西洋画とを加味したる処多かりしが、広重はもっぱら狩野かのうの支派たる一蝶の筆致にならひたるが如し。北斎の画風は強くかたく広重はやわらかくしずかなり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
狩野かのう正信、元信などを祖とする狩野派が起り、土佐絵系の復興が見られ、また安土、桃山文化などの新時代の風潮に適応して興った永徳、山楽などの豪宕ごうとう絢爛な障壁画のある一方
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
狩野かのう、四条、浮世絵等についての概念を以て、人の高雅なりとするものは高雅なりとし、平俗なりとするものは平俗としていたのが、ここで思いがけない写生一点張りの画論を聞いて
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)