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狩野
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かのう
ふりがな文庫
“
狩野
(
かのう
)” の例文
左
甚五郎
(
じんごろう
)
の彫った
竜
(
りゅう
)
は夜な夜な水を吹いたという話だが、
狩野
(
かのう
)
のほうにだって、三人や五人、左甚五郎がいねえともかぎらねえんだ。
右門捕物帖:37 血の降るへや
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
狩野
(
かのう
)
派末期の高貴なる細工ものよりも、
師宣
(
もろのぶ
)
の版画に驚嘆すべき強さと美しさが隠されていた如き事も、世の中には常にある事だ。
めでたき風景
(新字新仮名)
/
小出楢重
(著)
写山楼
(
しゃざんろう
)
、
画学斎
(
ががくさい
)
、その他の号は人の皆知る所である。初め
狩野
(
かのう
)
派の
加藤文麗
(
かとうぶんれい
)
を師とし、後
北山寒巌
(
きたやまかんがん
)
に従学して別に機軸を
出
(
いだ
)
した。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
北斎は初め
勝川春章
(
かつかわしゅんしょう
)
につきて浮世絵の描法を修むるの
傍
(
かたわら
)
堤等琳
(
つつみとうりん
)
の門に入りて
狩野
(
かのう
)
の古法を
窺
(
うかが
)
ひ、
後
(
のち
)
自
(
みずか
)
ら
歌麿
(
うたまろ
)
の画風を迎へてよくこれを
咀嚼
(
そしゃく
)
し
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
どこともなく、
漂
(
ただよ
)
いだした
黄昏
(
たそがれ
)
の色あい——
煤
(
すす
)
けた
狩野
(
かのう
)
ふうな
絵襖
(
えぶすま
)
のすみに、うす赤い
西陽
(
にしび
)
のかげが、三角形に射している。
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
かく申込んだのは、この頃米沢に漫遊中の江戸の
画師
(
えし
)
、
狩野
(
かのう
)
の流れは汲めども又別に一家を成そうと焦っている、
立花直芳
(
たちばななおよし
)
という若者であった。
壁の眼の怪
(新字新仮名)
/
江見水蔭
(著)
ところでその金屏風の絵が、極彩色の
狩野
(
かのう
)
の
何某
(
なにがし
)
在銘で、玄宗皇帝が同じ
榻子
(
いす
)
に、
楊貴妃
(
ようきひ
)
ともたれ合って、笛を吹いている処だから
余程
(
よっぽど
)
可笑
(
おか
)
しい。
みさごの鮨
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
豊臣時代の
狩野
(
かのう
)
の画家の名であることを知り、今日のこの時勢に、一枚の絵を見ようとして、
陸奥
(
みちのく
)
まで出かける
閑人
(
ひまじん
)
……一人の画工にあこがれて
大菩薩峠:31 勿来の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
たとえば
狩野
(
かのう
)
派・
土佐
(
とさ
)
派・
四条
(
しじょう
)
派をそれぞれこの三角の三つの頂点に近い所に配置して見ることもできはしないか。
日本人の自然観
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
「兄上、ここを開けましたる次の部屋に置きます屏風は、
狩野
(
かのう
)
法眼
(
ほうげん
)
永徳
(
えいとく
)
あたりが、出ず入らずのところと——。」
元禄十三年
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
日本人は画の理解があればあるほど
狩野
(
かのう
)
派とか四条派とか南宗とか北宗とかの在来の各派の画風に
規矩
(
きく
)
され
淡島椿岳:――過渡期の文化が産出した画界のハイブリッド――
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
絵の方とてもその通り、
雲谷
(
うんこく
)
、
狩野
(
かのう
)
の
寂
(
さ
)
びもよかろう、時にはわれわれの筆のあとの、
絢爛
(
けんらん
)
華美の画風の
中
(
うち
)
にも、気品も雅致もあるのを知ってもよいと思うがな。
艶容万年若衆
(新字新仮名)
/
三上於菟吉
(著)
また絵画における
狩野
(
かのう
)
家のように、花道の記録に有名な池の坊の家元
専能
(
せんのう
)
もこの人の門人であった。
茶の本:04 茶の本
(新字新仮名)
/
岡倉天心
、
岡倉覚三
(著)
大橋流の書も
佳
(
い
)
いし、絵は
木挽
(
こびき
)
町の
狩野
(
かのう
)
の高弟で、
一僊
(
いっせん
)
といって、本丸炎上の時は、将軍の居間の画を描いたりしたほど出来たし、漢学も出来る、手をとって教えてもらった。
旧聞日本橋:22 大門通り界隈一束(続旧聞日本橋・その一)
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
絵で言えば土佐
狩野
(
かのう
)
のように四角張ったものだが、鬢附油の匂いに至っては専ら中下の社会を
宛
(
あ
)
て込んで作ったちょうど浮世絵様の物なれば、下品といえば下品なると同時に
十二支考:05 馬に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
定家を
狩野
(
かのう
)
派の画師に比すれば
探幽
(
たんゆう
)
と善く
相
(
あい
)
似たるかと存候。定家に傑作なく探幽にも傑作なし。しかし定家も探幽も相当に練磨の力はありていかなる場合にもかなりにやりこなし申候。
歌よみに与ふる書
(新字新仮名)
/
正岡子規
(著)
「はあ、この方が林さん、私は大島と申します。何分よろしく」と言った言葉の調子にも世なれたところがあった。次に
狩野
(
かのう
)
という顔に
疣
(
ほくろ
)
のある訓導と杉田という肥った
師範
(
しはん
)
校出とが紹介された。
田舎教師
(新字新仮名)
/
田山花袋
(著)
前に挙げた吉川家とともに
狩野
(
かのう
)
家の分れである。
名字の話
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
血だ! 大きな床いっぱいのようにかかっている
狩野
(
かのう
)
ものらしい大幅の上から下へ、ぽたぽたと幾滴も血がしたたりかかっているのです。
右門捕物帖:37 血の降るへや
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
こはあたかも
土佐
(
とさ
)
狩野
(
かのう
)
の古画と西洋油画とを区別して論ずるに
均
(
ひと
)
し。余は新旧両様の芸術のためにその境界を区別するの必要を感じて
止
(
や
)
まず。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
拙者は
木挽町
(
こびきちょう
)
の
狩野
(
かのう
)
でござるとか、
文晁
(
ぶんちょう
)
の高弟で、崋山の友人で候とか、コケおどしを試むる必要はなく、大抵の場合、足利の田舎絵師田山白雲と
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「
狩野
(
かのう
)
ではござりませぬような……その絵具のお使い方は土佐をお学びでござりますか」
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
お
行
(
ぎょう
)
の松にむかった方には
狩野
(
かのう
)
という絵師の家が、
鬱蒼
(
こんもり
)
した中に建っていた。
旧聞日本橋:12 チンコッきり
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
第四「馬の間」の襖は応挙、第五「
孔雀
(
くじゃく
)
の間」は半峰、第六「八景の間」は島原八景、第七「桜の間」は
狩野
(
かのう
)
常信の筆、第八「
囲
(
かこい
)
の間」には
几董
(
きとう
)
の句がある。
大菩薩峠:03 壬生と島原の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
北斎は従来の浮世絵に
南画
(
なんが
)
の画風と西洋画とを加味したる処多かりしが、広重は
専
(
もっぱら
)
狩野
(
かのう
)
の支派たる一蝶の筆致に
倣
(
なら
)
ひたるが如し。北斎の画風は強く
硬
(
かた
)
く広重は
軟
(
やわら
)
かく
静
(
しずか
)
なり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
狩野
(
かのう
)
正信、元信などを祖とする狩野派が起り、土佐絵系の復興が見られ、また安土、桃山文化などの新時代の風潮に適応して興った永徳、山楽などの
豪宕
(
ごうとう
)
絢爛な障壁画のある一方
随筆 宮本武蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
狩野
(
かのう
)
、四条、浮世絵等についての概念を以て、人の高雅なりとするものは高雅なりとし、平俗なりとするものは平俗としていたのが、ここで思いがけない写生一点張りの画論を聞いて
大菩薩峠:23 他生の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
狩
常用漢字
中学
部首:⽝
9画
野
常用漢字
小2
部首:⾥
11画
“狩野”で始まる語句
狩野派
狩野永徳
狩野家
狩野川
狩野山楽
狩野亨吉
狩野元信
狩野法眼
狩野芳崖
狩野新道