法会ほうえ)” の例文
旧字:法會
年忌の法会ほうえなどならばその人を思ひ出すとか、今にまぼろしに見ゆるとか、年月の立つのは早いものとか、彼人がしんでから外に友がないとか
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
ついで伊予の国に行って、法会ほうえにこと寄せて二十歳以上の人々を集め、同じく子を鷲にとられた者を調べたが、ここでもわからなかった。
それにしてもあんなに親しかった古い友達の法会ほうえなのにと、おせんは亡くなった人たちに済まなく思ったが、そこに気がついたかどうか
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
寂しい日がずんずん立っていって、もう四十九日の法会ほうえ仕度したくをするにも、宮はまったく予期あそばさないことであったからお悲しかった。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
お杉ばばは、昨年、その小次郎が江戸から小倉へおもむく際、途中まで行を共にして、家事整理と法会ほうえのため、一度、美作みまさかの郷里へ戻った。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京都には、由来寺々の各本山がありますので、浄土とか真宗とか、地方の末寺の坊さんが京の本山へ法会ほうえの節上って行く。
九人のものは妙国寺で死んだ同僚十一人のために、真静寺で法会ほうえを行って、次の日から村民に文武の教育を施しはじめた。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
で、ただその供養を見ただけで法会ほうえには行きません。なぜ行かないかというに何分なにぶん急込せせこましくってなかなかすわる場所がない。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「あれは今から一ヶ月ほど前のことだったか、長崎県の或るさびれた禅寺ぜんでらにおいて、土地の人がびっくりしたくらいの盛大な法会ほうえが行われたそうだね」
火薬船 (新字新仮名) / 海野十三(著)
また、ある家の法会ほうえかねをたたくかわりに、屁をひってお経をあげたという。これも、おとながおもしろ半分につくったうそらしい。だが、これだけはたしかだ。
(新字新仮名) / 新美南吉(著)
京の或る分限者ぶげんしゃが山科の寺で法会ほうえいとなんだときに、大勢の尊い僧たちが本堂にあつまって経をした。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
伊勢の津の観音堂の二月十七、八日の法会ほうえは、たしか修二会しゅにえといって古い本にも多く出ているが、土地では津のオコナイということが、沢田君の五倍子ふし雑筆に見えている。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
この年慶応二年中江戸における枕山の生涯をその『詩鈔』についてうかがうに、六月十八日枕山は関雪江その他の詩人と「浅草水寺」に会して菊池五山が十七年忌の法会ほうえを営んだ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
あんたから貰うた手紙がわたしの居間の箪笥の中にひとくくりにしてあるけん、盂蘭盆の夜の五ツ半頃、みなが焔口供えんくぐ法会ほうえに唐寺へ行った頃を見澄ましてそっと取りに来い、ということで
はて法会ほうえの建札にしては妙な所に立っているなと不審には思ったのでございますが、何分文字が読めませんので、そのまま通りすぎようと致しました時、折よく向うから偏衫へんさんを着た法師が一人
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
法会ほうえはふかい沈黙のうちに終わった。
まさか、それだけでも参られぬ故に、この三月十四日は先君の一周忌にあたる故、その法会ほうえをも営みがてら行かれたのじゃ。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿部一族は評議の末、このたび先代一週忌の法会ほうえのために下向して、まだ逗留とうりゅうしている天祐和尚にすがることにした。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
すばらしく権勢のある家のことであるから多数の高官たちも法会ほうえに参列したが、宰相中将はそうした高官たちに遜色そんしょくのない堂々とした風采ふうさいをしていて
源氏物語:33 藤のうら葉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
|あって、普通仏教ではありません。その翌日チョエン・ジョェという法会ほうえ〔(法行祭)〕のためにこの寺の僧侶はすべてラサ府へ引き移ることになりました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
初七日しょなのか法会ほうえがすんだ夜である。ひさびさに子供たちと食事をした藤右衛門は、まえから考えていたのであろう、格之助を呼んで、今宵から屋敷うちで看経はならぬと云った。
日本婦道記:松の花 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
釈尊誕生の法会ほうえとは交渉なく、日の物忌ものいみに天道をまつるものなるべく、千早ふる卯月八日は吉日よ、神さけ虫を成敗せいばいぞする、と申すまじない歌と相って意味の深い行事である。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
あれほど、月々の法会ほうえや、念仏の唱導を、活溌にやっていた鹿ししたにの法勝寺が、近ごろ、はたと戸をとざしている。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
源氏は御堂みどうへ行って毎月十四、五日と三十日に行なう普賢講ふげんこう阿弥陀あみだ釈迦しゃかの念仏の三昧さんまいのほかにも日を決めてする法会ほうえのことを僧たちに命じたりした。
源氏物語:18 松風 (新字新仮名) / 紫式部(著)
なおいやな事はこういう厳粛げんしゅく法会ほうえの時に当ってとにかく金を沢山貰えるものですから、貧乏な壮士坊主の常としてうまい肉を余計喰う奴もありまた小僧をしたう壮士坊主もある。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
世降よくだって恒例臨時の奉幣はしばしば絶え、これにかわって個々の祈願の奉幣のみがきそい進んだために、是が第二宗教の法会ほうえなどと混同して、次第に朝家みずからその祭典を執行とりおこなわせられるように
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「七年忌の法会ほうえでも済ませたら、はっきり定めることにしましょう」
日本婦道記:小指 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
法会ほうえにつらなった筑紫つくしの諸将は、犠牲者への心からないたみを尊氏の姿に見て、「——このような将軍へなら、身の将来をこのひとへ託しても悔いはない」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日を取り越した法会ほうえはもう済んだが、正しく四十九日まではこの家で暮らそうと源氏はしていた。
源氏物語:09 葵 (新字新仮名) / 紫式部(著)
薫は阿闍梨あじゃりを寺から呼んで、大姫君の忌日の法会ほうえに供養する経巻や仏像のことを依託した。また
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
誰と誰と誰とは残るようにという指名で、その日、法会ほうえのすんだ後も、臨済寺の奥書院には、義元を中心に、今川家の幕将二十名ほどがひそやかに、何事か評議していた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
源氏は夕顔の四十九日の法要をそっと叡山えいざん法華堂ほっけどうで行なわせることにした。それはかなり大層なもので、上流の家の法会ほうえとしてあるべきものは皆用意させたのである。
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「が。……あれは、恋の上の事。……きょうの途中は、ほかならぬ仏の法会ほうえの日ではないか」
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今日のはただ御念誦堂ごねんじゅどう開きとしてお催しになった法会ほうえであったが、宮中からも御寺みてらの法皇からもお使いがあって、御誦経の布施などが下されてにわかに派手はでなものになった。
源氏物語:38 鈴虫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
と、法会ほうえがすむと尊氏の前で感泣していた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
院のきさきの宮、中宮ちゅうぐうをはじめとして、法事へ諸家からの誦経ずきょうの寄進、ささげ物なども大がかりなものが多いばかりでなく、この法会ほうえに志を現わしたいと願わない世人もない有様であったから
源氏物語:41 御法 (新字新仮名) / 紫式部(著)
それに付帯した法会ほうえ布施ふせにお出しになる法服の仕度したくをおさせになり、すべて精進でされる御宴会の用意であるから普通のことと変わって、苦心の払われることを今からお指図さしずになっていた。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
はばかりもなく法会ほうえの主人顔に事を扱っているのをいぶかしくだれも見た。
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)
はすの花の盛りのころに中宮は法華ほけ経の八講を行なわせられた。六条院のため、紫夫人のため、などと、故人になられた尊親のために経巻や仏像の供養をあそばされ、いかめしく尊い法会ほうえであった。
源氏物語:54 蜻蛉 (新字新仮名) / 紫式部(著)