採集さいしふ)” の例文
望蜀生ぼうしよくせいとは、夢中むちうつて、それを採集さいしふした。其數そのすうじつに二ひやく七十六ほん。それを四大布呂敷おほふろしきつゝみ、二づゝけてことにした。
三十六ねんなつ水谷氏みづたにしうち望蜀生ぼうしよくせいとも採集さいしふかけて、ゆき圓長寺えんちやうじうら往還わうくわんつてた。道路だうろ遺跡ゐせきあたるので、それをコツ/\りかへしてたのだ。
其後そののち帝室博物館ていしつはくぶつくわんつて陳列品ちんれつひんを一けんし、それから水谷氏みづたにし交際かうさいむすやうになり、採集品さいしふひんを一けんし、個人こじんちからもつ帝室博物館ていしつはくぶつくわん以上いじやう採集さいしふことり。
それに蠻勇ばんゆうもつにんじてるので、一採集さいしふしたものは、いくら途中とちう持重もちおもりがしても、それをてるといふことぬ。かたほねれても、つてかへらねば承知しようちせぬ。
打石斧だせきふの一ばんおほかつたのは、深大寺しんだいじである。此所こゝでは先輩せんぱいが、矢張やはり打石斧だせきふ澤山たくさん採集さいしふした。
ちよい/\ねんに四五回位くわいくらゐは、ほか表面採集へうめんさいしふついでに立寄たちよつて、磨石斧ませきふ石劒折せきけんをれ打石斧だせきふ其他そのたひろつてたが、四十ねんぐわつ十四に、一人ひとり加瀬かせ駒岡こまをかから、此方こつち採集さいしふとき
打石斧だせきふ磨石斧ませきふ石鏃せきぞく把手とつて破片はへん土瓶どびんくち、そんなものは、どのくら數多かずおほ採集さいしふしたかれぬが、發掘はつくつをしてこといので、茶店ちやみせ息子むすこかいして、地主ぢぬし政右衞門まさうゑもんといふひと
望蜀生ばうしよくせい採集さいしふからかへつてた。それは三十六ねん十一ぐわつ三十にち夕方ゆふがた