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あづち
ふりがな文庫
“
安土
(
あづち
)” の例文
ちと
遽
(
にわ
)
かだが、それがしは今日ここを立って、
美濃
(
みの
)
の
国許
(
くにもと
)
へまかり越え、その足ですぐ
安土
(
あづち
)
へ伺い、信長公の御処分をうけようと思う。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
作州
英田
(
あいだ
)
郡
海内
(
みうち
)
村田中氏の文書に「倉敷山下において成行の処云々」、江州八幡の天正十四年の文書には、宛名を
安土
(
あづち
)
山下町中としてある。
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
その時、弦を離れた矢は的をはずれたので、彼はもう一本の方を試みたが、二本とも
安土
(
あづち
)
の砂の中へ行ってめり込んだ。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
古道具屋の主人
曰
(
いはく
)
、「これは
安土
(
あづち
)
の城にあつたものです。」僕
曰
(
いはく
)
、「
蓋
(
ふた
)
の裏に何か横文字があるね。」主人
曰
(
いはく
)
病中雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
道を
枉
(
ま
)
げて胆吹山へ侵入した道庵が、どうして、いつのまに、ここまで来着したか、順路を彦根、
八幡
(
はちまん
)
、
安土
(
あづち
)
、草津と経て、相当の乗物によって乗りつけたか
大菩薩峠:38 農奴の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
京都や
安土
(
あづち
)
のエケレジヤの建築様式については、南蛮
屏風
(
びょうぶ
)
や扇面
洛中
(
らくちゅう
)
洛外
(
らくがい
)
名所図などに徴して、ほぼ仏寺の
体
(
てい
)
であつたと推定されてゐるが、これが地方へ行くと
ハビアン説法
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
織田信長のような、理智と、実利と計算だけの合理主義者でも、
安土
(
あづち
)
に総見寺という日本一のお堂をたてて、自分を本尊に飾り、あらゆる日本人に拝ませようと考えた。
我が人生観:02 (二)俗悪の発見
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
今度が二度目の
近江路
(
おうみじ
)
の景色に見入りながら、去年の九月雪子と上京した時に、瀬田の長橋や、三上山や、
安土
(
あづち
)
佐和山
(
さわやま
)
の城跡などを教えて貰ったことを思い出していたが
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
信長の居城
安土
(
あづち
)
の城、そこから乗り出した小舟がある。
南蛮秘話森右近丸
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
ところが、世の中はゆだんがならない、その男はとちゅうからつけだしたのではなく、じつは、
安土
(
あづち
)
の城からくっついてきているのだ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
砂を盛り上げ的を置いた
安土
(
あづち
)
のところと、十
間
(
けん
)
ばかりの距離にある小屋との間を往復しながら、寿平次はひとり考えた。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「これはジキタミンと云ふ字です。」
安土
(
あづち
)
の城などの現はれしは「安土の春」を読みし為なるべし。
病中雑記
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
天正十年のろくがつ
惟任
(
これとう
)
ひゅうがのかみのはんぎゃくにくみして
安土
(
あづち
)
万五郎のともがらと長浜のしろをおせめなされ、まった慶ちょう五年の九月関ヶ原かっせんのおりには
盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
あなた様も御承知でございましょう、やはり尾張の出身ではございますが、身分は藤吉郎などとは比べものにならない家柄、今は
安土
(
あづち
)
の主織田信長でございます——織田殿を
大菩薩峠:36 新月の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
安土
(
あづち
)
にある
三法師君
(
さんぼうしぎみ
)
も、明けて五歳になった。この正月を迎え、その
健
(
すこ
)
やかな成長を拝すべく、年賀に
伺候
(
しこう
)
する大名も多かった。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寿平次は妹の見ている前で、一本の矢を
弦
(
つる
)
に当てがった。おりから雨があがったあとの日をうけて、八寸ばかりの
的
(
まと
)
は
安土
(
あづち
)
の方に白く光って見える。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
だから信長は
安土
(
あづち
)
へ取られ、秀吉は大阪へ取られ、清正は熊本へ取られちまったんだ。
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
ひめぎみたちはその時分
安土
(
あづち
)
のおしろに引きとられていらっしゃいまして、ひでよし公のおことばがござりましたばかりにいや/\ながらわたくしを召しつかっておられましたので
盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
いま広間の中ほどに、一面の大きな絵図が、小姓たちの手で
展
(
ひろ
)
げられた。それは畳二枚ほどもあった。——
江州
(
ごうしゅう
)
蒲生郡
安土
(
あづち
)
一帯の絵図である。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
秀吉が永徳の唯一の保護者というわけではないが……永徳は信長のためにむしろ傾注していたに相違ないが、
安土
(
あづち
)
の城が焼けると信長の
覇業
(
はぎょう
)
が亡び、同時に永徳の傾注したものも失せました。
大菩薩峠:31 勿来の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
安土
(
あづち
)
の
殿楼
(
でんろう
)
に人は多いが、その中にも彼はたえず追求しているのだった。——真実な生活味と、人間の感じがする人間とを。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まだ
芽生
(
めばえ
)
のうちに押しつぶされて
安土
(
あづち
)
の城が粉のようになって飛ぶ。
大菩薩峠:11 駒井能登守の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
半年ほど前、新しく日本へ来たばてれんの一行は南から連れて来た黒人の
奴隷
(
どれい
)
を
安土
(
あづち
)
へ献上した。人間の献上物とは珍しい。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
稀
(
たま
)
に、
安土
(
あづち
)
へ上がると、御主君までおいたわり下さるが、ふいに厚い
衾
(
ふすま
)
などに寝ると、却って寝苦しゅうて、よう眠れぬ。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
安土
(
あづち
)
から選ばれてきた可児才蔵とわかってみれば、なるほど、竹童が、つかまれた足を離せなかったのもむりではない。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長に
面罵
(
めんば
)
され、
饗応
(
きょうおう
)
の役を
褫奪
(
ちだつ
)
され、憤然、
安土
(
あづち
)
を去って、居城亀山へ去る途中、幾日もここに留まって、
悶々
(
もんもん
)
、迷いの
岐路
(
きろ
)
に立ったものだが——
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「於次が初陣の
勲功
(
いさおし
)
をお聞きあられたなら、右大臣家におかれてもいかばかりか、お歓びあろうぞ。さっそく、
安土
(
あづち
)
へ使いを立ててお
報
(
し
)
らせ申そう」
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
京ばかりではない、
姫路
(
ひめじ
)
へ
下向
(
げこう
)
すれば姫路の町が秀吉になり、
安土
(
あづち
)
へゆけば安土の町がそッくり秀吉の
気性
(
きしょう
)
をうつす。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
けれど永徳は、かの有名な
古法眼元信
(
こほうげんもとのぶ
)
の孫ではあり、かつて信長が、
安土
(
あづち
)
を築いたときの
障壁画
(
しょうへきが
)
にも
彩管
(
さいかん
)
をふるい
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小野政秀の遺孤ときこえて信長に
不愍
(
ふびん
)
がられ、
安土
(
あづち
)
の大奥へ
女童
(
めわらべ
)
として奉公に上げたことは、さらに姫を不幸にしたものとお沢はいまだに悔いている。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
安土
(
あづち
)
以後にいたっては、およそ、彼の限界には、いやまだ構想中の思界においても、不可能というものはなかった。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
丹波一国を領して、身は亀山の城に君臨し、位階は従五位下、族を
惟任
(
これとう
)
と改め、
日向守
(
ひゅうがのかみ
)
に任官なされて、天下の府、
安土
(
あづち
)
奉行衆の一席をも占めておられる。
茶漬三略
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、もっと後のことであるが、
安土
(
あづち
)
の
総見寺
(
そうけんじ
)
で家康に大饗応をした時も、
幸若
(
こうわか
)
や
梅若
(
うめわか
)
に舞をまわせ、梅若が不出来であったというので、信長から楽屋へ
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
オルガンチノは
伊太利
(
イタリア
)
生れの
伴天連
(
ばてれん
)
だった。
平戸
(
ひらど
)
、
長崎
(
ながさき
)
あたりはいうまでもなく、
堺
(
さかい
)
、
安土
(
あづち
)
、京都、
畿内
(
きない
)
のいたる処にも無数の宣教師が日本に渡っていた。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
物見の者が申すには、
安土
(
あづち
)
の方から、お使番の小旗を立てた
軽舸
(
はやぶね
)
が、まっすぐに、
此方
(
こなた
)
へ急いで来るという。
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
身寄りや郎党たちもちり
失
(
う
)
せて、ひと頃、わたくしの兄の身近な者が養っておりましたが、十三歳の折、手づるがあって、
安土
(
あづち
)
のお城へ御奉公にあがりました。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
安土
(
あづち
)
の秋は、去年の秋とは、まったく景観を一変していた。すでに天守も
竣工
(
しゅんこう
)
し、八楼十門を
繞
(
めぐ
)
る城下町も、新しき文化の大都府たる
装
(
よそお
)
いをほぼ完成しかけていた。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ここに立ってもまだ、
安土
(
あづち
)
へ参れば、お目にかかれそうな心地がしてならぬ……」
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なぜかと
質
(
ただ
)
したところ、ちょうど今、自分の生れた田舎の
安土
(
あづち
)
村がついそこの岸に見えたので、母親のことを思い出していたと答えますゆえ、ばか者ッ、お引揚げでも、まだ陣中であるぞ
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
信長様が
安土
(
あづち
)
に御
普請
(
ふしん
)
を起された頃にも、秀吉と又左どのとは、垣を隣りして、仮屋敷をもち、夏など、
褌
(
ふんどし
)
一つで、両人が夕顔の下に
筵
(
むしろ
)
をのべ、高笑いして、
夕餉
(
ゆうげ
)
など一つに喰べていた様を
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
小牧から来た
於通
(
おつう
)
も、幼少の頃、信長の
安土
(
あづち
)
の城にいたことはあっても、この大坂城の雄大さと、内部の
金壁
(
きんぺき
)
の美には、眼をうばわれて、おそらく、その夜は、
茫然
(
ぼうぜん
)
としていたことであろう。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この正月からは、信長は
安土
(
あづち
)
の
普請
(
ふしん
)
に着手していた。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
安土
(
あづち
)
へ。安土へ」
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
安
常用漢字
小3
部首:⼧
6画
土
常用漢字
小1
部首:⼟
3画
“安土”で始まる語句
安土城
安土町
安土桃山
安土町通
安土老蘇
安土城本丸
安土竜太郎