しわが)” の例文
告白の最後には声がしわがれてしまって、まるで、死にともない老婆が、阿弥陀如来の前で、念仏を唱えて居るような心細い声になった。
死の接吻 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
ぼろぼろの皮衣に歩きながら手を通し、しわがれた寝呆け声で口汚なく罵りながら、寒さに縮み上って、渡船夫たちは岸に姿を見せた。
追放されて (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
やがて、「よいお子じゃ。」としわがれた声で呟きました。「なかなか正直なよいお子じゃ。ラプンツェル、お前は仕合せな女だね。」
ろまん灯籠 (新字新仮名) / 太宰治(著)
しわがれた鋭いその声……クリストフは即座に見てとった……エマニュエルを! あの……罪はないが原因となった不具の少年労働者。
男はやがて、おしつぶしたような、かさけのあるしわがれ声で、眼は依然おれをねめつけながら、ゆっくり、念をおすようにいった。
放浪作家の冒険 (新字新仮名) / 西尾正(著)
そして人気なく寂然として、つるつたの壁にうた博士邸の古びた入り口にたたずんで待つことしばし、やがて奥にしわがれた声が聞えたかと思うと
令嬢エミーラの日記 (新字新仮名) / 橘外男(著)
いくらかしわがれたような女の地声で繰り返していう。私はいきなり電話口へ自分の口をぴたりと押し付けたいほどの気になって
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
ふと、しわがれた、太い、力のある声がした。聞き覚えのある声だった。それは、助役の傍に来て腰掛けている小川という村会議員が云ったのだ。
電報 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
「……わたくし、まいれません」富美子はなにか物が喉につかえてでもいるような、乾いたしわがれた声で呟やくように答えた
花咲かぬリラ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
男はしばらく身動きもしなかったが、やがて静かにだがひどくしわがれた声で、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と唱えるのであった。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
それまでじっとしていらっしったのが、扇をななめに相手の方を、透かすようにして御窺いなさいますと、その時その盗人の中にしわがれた声がして
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
と、不意に悲鳴が聞こえ、つづいてしわがれた笑い声が聞こえ、ザワザワと藪の鳴る音がし、その後はひっそりと静かになった。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
手早く豆洋燈まめらんぷに火を移しあたりを見廻わすまなざしにぶく、耳そばだてて「我子よ」と呼びし声しわがれて呼吸も迫りぬとおぼし。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
五六歩あるいた時、その男は私にしわがれた声で、——私の記憶の中には、どこにも、その様な声はなかった——「煙草を一本くれ」と言い出した。
虎狩 (新字新仮名) / 中島敦(著)
彼女は一種の痛ましいしわがれた音を立てて息をしていた。すすりなきがこみ上げてきてのどがつまりそうだった。けれど泣くこともなし得なかった。
「さあ、そっくりしている様だが、まあ待ちなさい」探偵はかんの中に横わる黒ずんだ腐れ骸骨がいこつの上に乗しかかるようにして見ながらしわがれ声で云った。
「どうも御無沙汰をしています。いつも御繁昌で結構ですこと。」と、女はすこししわがれた声で懐かしそうに言った。
探偵夜話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
雪之丞、だしぬけに、不思議なしわがれごえのつぶやきを耳にして、暗々たるもりの中に、ハッと立ちすくんでしまった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
敷布シーツの先を伝わって、雨滴れの合間を縫って……そうしてその時も、地蟲のしわがれたような声を聴いたのである。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
「一銭頂戴な」と声もしわがれた女乞食に掌を出され、猿ん坊のような着附をした男女がちょこなんと手を繋いでいるのに顔から頸筋まであかくしてテレながら
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そしてわが家の前へ辿たどりついたときには目もくらみ耳もなりしわがれ声のひときれをふりしぼる力もありません。
桜の森の満開の下 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
あの押しつぶされたやうなみじめなしわがれ声で泣く赤ん坊——それも広い部屋のなかに二人か三人ぐらゐなものでしたが、産児室の夜勤をしてくらした十日ほどの経験を
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)
お民は、半ばしわがれた声で、そう叫びながら、提灯をさし上げて、一間ばかりのところを往ったり来たりした。しかし、墓地に這入って探してみようとは決してしなかった。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
司法主任から啣え直さしてもらった朝日を吸い吸いしわがれた、響の強い声でギスギスと話しだした。マン丸く開いた正直者一流の露骨な視線を、犬田博士の真正面に据えながら……。
S岬西洋婦人絞殺事件 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
その声は、この夏だというのに、想像も出来ぬほど、むとしたしわがれた声だった。
鱗粉 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
あらかじめ用意してあった鬘とつけ髯、博士のと同じ柄のパジャマ、博士の声を真似たしわがれた叫び声、月光がこれを助けたのです。わたしが月光の妖術といったのは、この事です。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
すると、演壇に立っていた指導者らしい男が、またしても咽喉からしぼりだすようなしわがれた声で何か叫んだと思うと、正面に陣どっていた一隊が、スクラムを組んだまま前へ進んでゆく。
早稲田大学 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
署長は癖のあるしわがごえで桝本を見下ろすようにして、真っ向から訊きだした。
五階の窓:03 合作の三 (新字新仮名) / 森下雨村(著)
隣の寺の森に去年から急に鴉がやって来て、一番高い樹の上でああお・ああおと鳴くのを聞いていて、すぐ、それを模倣まねしてしまった。喉のしわがれたところまで、うまく、取入れているのである。
懸巣 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
「エエ、私は伯父が死骸の傍に立っているのを見ました。……然し殺された男は一体何者でしょう。無論パーク旅館で貴女を監禁した男と思いますが……」と坂口はしわがれたような声でいった。
P丘の殺人事件 (新字新仮名) / 松本泰(著)
その上彼の耳触りの悪いしわがれ声にも冷酷にあらわれていた。凍った白霜は頭の上にも、眉毛にも、また針金のような顎にも降りつもっていた。彼は始終自分の低い温度を身に附けて持ち廻っていた。
その男はしわがれた声で、家中に響き渡るように、悲叫ひきょうを上げた。
妙にしわがれた高い声が、会堂の中からお松を追い駈けてきた。
反逆 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
博士はしわがれ声でどなるようにいいました。
怪塔王 (新字新仮名) / 海野十三(著)
声はしわがれ、顔は、涙によごれていた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は低い調子のしわがれた声で言った。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
力のないしわがれた聲でした。
しわがれ声で、誰かが答えた。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
蘆笛を吹きながら鞭を鳴らしたり、しわがれただみ声で何やら言い返す。庭先へ羊が三匹迷い込んだ。出口が分らなくなって、垣根を頭でつつく。
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
神田かんだだ。」と重い口調で言った。ひどくしわがれた声である。顔は、老俳優のように端麗たんれいである。また、しばらくは無言だ。ひどく窮屈である。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
鶏がしわがれた声で鳴いた。あけぼのの最初の光が、一面にもうと曇った窓ガラスを通して現われた。降りしきる雨におぼれた、悲しい蒼白あおじろい曙であった。
林の中にしわがれた誦経の声がひゞき渡ると、薪は点火せられ、戦死者は、煙に化して行くのだった。薪が燃える周囲の雪が少しばかり解けかける。
氷河 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
階段をあがりきった時でした、笑うとも嘲けるともたしなめるとも、どうともとれるような不思議な気味の悪い、鬼気を帯びたしわがれた女の声で
犬神娘 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しわがれた声でそれを言う態度が如何いかにも哀願的で、又瀕死の老人といった印象を与えたので、私も其の莫迦ばかげた依頼を引受けない訳に行かなかった。
南島譚:03 雞 (新字新仮名) / 中島敦(著)
グレーヴの刑場に見物人を呼び集めるしわがれたわめき声が窓の下を通ってゆくのを聞くたびごとに、著者は右の痛ましい観念に再会して、それにとらえられ
死刑囚最後の日 (新字新仮名) / ヴィクトル・ユゴー(著)
しわがれし声にて、よき火やとかすかに叫びつ、杖なげ捨てていそがしく背の小包を下ろし、りょうの手をまず炎の上にかざしぬ。その手は震い、そのひざはわななきたり。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
しわがれた声でウェンデルが呼んだ。そして、その大きな身体がいきなり背後うしろから羽交締はがいじめにしてしまった。
令嬢エミーラの日記 (新字新仮名) / 橘外男(著)
そのほかは机も、魔法の書物も、床にひれ伏した婆さんの姿も、まるで遠藤の眼にははいりません。しかししわがれた婆さんの声は、手にとるようにはっきり聞えました。
アグニの神 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「そうそう」とガロエイ卿もしわがれ声を出して、「それからオブリアン君も居らんようですが、私はあの人を、死体がまだあたたかった時にお庭を歩いておるのを見かけましたが」
「あんまり気味のいい絵でもないわねえ。いかにもあの古島さんらしいわ……」と、いつのまにか千恵の後ろに立つてゐたHさんが、持前のがさがさしたしわがれ声で言ひました。
死児変相 (新字旧仮名) / 神西清(著)