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供御
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くご
ふりがな文庫
“
供御
(
くご
)” の例文
これ以外には大抵は神霊の
供御
(
くご
)
とするだけで、もう人間は生のままの米の粉は食わないが、儀式の食品としてはかなりよく保存せられている。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
「後醍醐のお身まわりを、もっと、
弛
(
ゆる
)
やかにせよとか、また
給仕
(
きゅうじ
)
の
公卿人
(
くげびと
)
をふやせの、朝夕の
供御
(
くご
)
をよくせよなどとは、一体、誰が命じたか」
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幕府が公武合体の態度を示すために、帝に
供御
(
くご
)
の資を献じ、親王や
公卿
(
くげ
)
に贈金したことも、かえって反対者の心を刺激した。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
皇室の
供御
(
くご
)
も十分とはまいらなかった時代であるからして、公卿の困ったのはむしろ怪しむに足らぬことであろう。
東山時代における一縉紳の生活
(新字新仮名)
/
原勝郎
(著)
一方、範頼の軍は勢多で稲毛三郎
重成
(
しげなり
)
の計によって、
田上
(
たがみ
)
の
供御
(
くご
)
の瀬を渡って進撃した。
現代語訳 平家物語:09 第九巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
▼ もっと見る
延喜式
(
えんぎしき
)
にのせたる内子鮏は今いふ
子籠
(
ここも
)
り鮏の事なるべし。又
同書
(
どうしよ
)
に
脊腸
(
せのはらわた
)
をみなわたと
訓
(
よめ
)
り。丹後信濃越中越後より
貢
(
みつぎ
)
とする㕝も見えたれば、
古代
(
ふるきよ
)
は
鮏
(
さけ
)
を
供御
(
くご
)
にも奉りたるなるべし。
北越雪譜:03 北越雪譜初編
(新字旧仮名)
/
鈴木牧之
、
山東京山
(著)
法王の月料は天子の
供御
(
くご
)
に準じ、服食も天子と同じものだつた。宮門の出入には
鸞輿
(
らんよ
)
に乗り、法王宮職が設けられ、
政
(
まつりごと
)
は自ら決した。それはすべて女帝が与へた愛情のあかしであつた。
道鏡
(新字旧仮名)
/
坂口安吾
(著)
飢人地上に倒れし時、主上御宸襟を悩ませられ、
朕
(
ちん
)
不徳あらば朕一人を罪せよ、
黎民
(
れいみん
)
何んの
咎
(
とが
)
あるべき、しかるに天この
災
(
わざわ
)
いを下すと、ことごとく嘆き
思
(
おぼ
)
し召し、
朝餉
(
あさがれい
)
の
供御
(
くご
)
を止めさせらる。
あさひの鎧
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
畏れ多いおうわさであるが、
御所
(
ごしょ
)
の
御簾
(
みす
)
はほつれて秋風のふせぎもなく、
供御
(
くご
)
のものにさえことかく
事
(
こと
)
がめずらしくない。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
凡
(
およ
)
そ抜穂は卜部、国郡司以下及び
雑色人
(
ぞうしきびと
)
等を
率
(
ひき
)
ゐて田に
臨
(
のぞ
)
んで
之
(
これ
)
を抜く。——先づ初抜四束を取つて
供御
(
くご
)
の飯に
擬
(
ぎ
)
し、自余は皆黒白二酒に
擬
(
ぎ
)
す 云々
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
前年の飢饉には、
供御
(
くご
)
の物も減ぜられ、吏を督して、米価や酒の値上りを正し、
施粥
(
せがゆ
)
小屋数十ヵ所を辻々に設けて、
飢民
(
きみん
)
を救わせ給うたとも説く。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
聖徳太子が
百済寺
(
くだらじ
)
をお建てなされた時に、この寺もし永代に繁昌すべくばこの箸成長して、春秋の彼岸に花咲けよと祝して、おさしなされたという
供御
(
くご
)
の御箸が
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
承れば
供御
(
くご
)
の物も、連日おあがりにならない由ですが、どうかもう
宸襟
(
しんきん
)
を安んじていただきたい。臣も、なにとてこれ以上、情けのない
業
(
わざ
)
をしましょう。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
供御
(
くご
)
の料田は十分に備わっていても、それを
播
(
ま
)
き
刈
(
か
)
る者は御内人ではなかった。
海上の道
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
ひそめたことでございました。さっそく、直義に申しつけ、近習もおそばに添えまいらせ、調度、
火
(
ひ
)
の
気
(
け
)
、
供御
(
くご
)
の
物
(
もの
)
、ご不自由なきようにいたさせまする
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それぞれの船が夜食にかかる
炊煙
(
すいえん
)
だった。そしてこのときだけは、
供御
(
くご
)
のために、妃たちもみな
艫
(
とも
)
へ出て、
水仕
(
みずし
)
や調理につとめ合っていたが、やがてのこと
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
理由は、散所民には、公共労働の奉仕や、
供御
(
くご
)
の御用には、その狩り出しに応じる義務があったからである。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
供御
(
くご
)
の
炊
(
かし
)
ぎに奉る朝夕のものにも事欠いて、当時の様を
眼
(
ま
)
のあたりに見た
禅恵
(
ぜんえ
)
法印の
記
(
しる
)
したものを見れば
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
護るため戦った物でしょう。石は、護国の
砦
(
とりで
)
となり、木々は、天皇の
供御
(
くご
)
の薪となり、草は兵の
衾
(
ふすま
)
となって
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
供御
(
くご
)
もその夜は格べつな
御食
(
みけ
)
が進められ、山のわらびや川魚をさかなに、帝は三名の妃をお相手に深く酔われたらしい。侍者の
催馬楽歌
(
さいばらうた
)
も
嫋々
(
じょうじょう
)
と哀れに聞えた。
私本太平記:05 世の辻の帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幔幕を打ち廻した神前で、将門立会いの下に、双互の者が居ながれ、
禰宜
(
ねぎ
)
、神職の
祝詞
(
のりと
)
、奏楽、神饌の
供御
(
くご
)
などがあった後、
神酒
(
みき
)
を酌みわけて、めでたく、和睦がすんだ。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「私の住む草庵はすぐ彼方の木蔭、
供御
(
くご
)
の茶もございまする。お一
碗
(
わん
)
如何でございますか」
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
供御
(
くご
)
の食物なども、実にひどいもので、膳がくれば、必ず
腐臭
(
ふしゅう
)
がともなっていた。
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
供御
(
くご
)
ノ
瀬
(
せ
)
方面の味方あやうしと聞えたので、正成は麾下の
矢尾
(
やお
)
ノ別当、志賀右衛門らに八百騎をつけて、加勢に
割
(
さ
)
いてやったところであり、義貞は淀口、脇屋義助は遠い山崎だったから
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そしてなお、川の中には、
乱杭
(
らんぐい
)
を打込み、大綱を張りまわし、
膳所
(
ぜぜ
)
ヶ
瀬
(
せ
)
、
供御
(
くご
)
ノ
瀬
(
せ
)
のあたりまでは水も見えぬほどな
流木
(
りゅうぼく
)
だった。すべて敵の渡河にたいする防禦であるのはいうまでもない。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
首輪は
太縒
(
ふとより
)
の紅白の絹づな、銀のかざり
鎖
(
ぐさり
)
。わきには、
布直垂
(
ぬのびたたれ
)
の犬飼が二人、主に仕えるごとく付添っていた。そしてここへ着くやいな、犬殿への
供御
(
くご
)
の物を、まず第一にと、ささげていた。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
とくに帝のお口にされる朝夕の
供御
(
くご
)
には、いちばい細かい心をつかった。
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
御料の地も、遠国の
御田
(
みた
)
はもとよりのこと、
山科
(
やましな
)
とか岩倉あたりの近くの御田や御林まで、野武士や乱逆の郷士らに荒されて、一粒の
供御
(
くご
)
も上がっては来なかった。
弊
(
へい
)
を正す大名が国々にない。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、それ以上の役人でも、どうせ朝廟の政務といっても、さし当って何もないので、暇があれば、山に入って木の実を採り、鳥獣を
漁
(
あさ
)
り、薪や柴を
伐
(
き
)
りあつめて来て、辛くも、帝の
供御
(
くご
)
を
調
(
ととの
)
えた。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
仮御所は建っても、
供御
(
くご
)
の穀物もなければ、百官の食糧もない。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柏
(
かしわ
)
の葉に
載
(
の
)
せて
供御
(
くご
)
に差し上げたのではあるまいか。
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
供
常用漢字
小6
部首:⼈
8画
御
常用漢字
中学
部首:⼻
12画
“供御”で始まる語句
供御人
供御用米