一物いちもつ)” の例文
今にも思い出せそうでいて、すぐにも手が届きそうでいて、なかなか浮かび上がってこない一物いちもつを、必死になって考え出そうとした。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
一方には比較出来ない学問の優越さがありながら、ただ一物いちもつに欠けているのである。美になくてならぬ肝心のその一物だけがないのである。
日田の皿山 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
求めずとも必ずしも得られぬのではない。道元自身は「一切いっさい一物いちもつを持たず、思ひあてがふこともなうして」十余年を過ぎた。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
夜が明けてから発見したのであるが、賊はなぜか一物いちもつをも奪い取らないで、新しいメリンスの覆面頭巾を残して立ち去った。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しん石崇せきそうあざな季倫きりんふ。季倫きりんちゝ石苞せきはうくらゐすで司徒しとにして、せんとするとき遺産ゐさんわかちて諸子しよしあたふ。たゞ石崇せきそうには一物いちもつをのこさずしてふ。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
そのため股間の一物いちもつが波に影を落していたのだが、それをおばけと見過ってとんでもない憂目を見たのだった。
えぞおばけ列伝 (新字新仮名) / 作者不詳(著)
これは新発明とか、創造とかにはあるいは適さぬ性質かも知れない。何故なぜと言えば、余り深く一処ひとところ一物いちもつに執着して研鑽けんさんを積むという性質ではないからである。
何だかKの胸に一物いちもつがあって、談判でもしに来られたように思われて仕方がないのです。私はやむをえず読みかけた雑誌を伏せて、立ち上がろうとしました。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
即ち双方の胸に一物いちもつあることにして、其一物は固より悪事ならざるのみか、真実の深切、誠意誠心の塊にても、既に隠すとありては双方共に常に釈然たるを得ず
新女大学 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
胸に一物いちもつあるので、蟹江はいつもよりコップの数を控え目にしました。さかなはもちろんかれいの煮付けです。この頃では、黙っていても、久美子はこれを運んでくるのでした。
Sの背中 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
紀州灘きしゅうなだ荒濤あらなみおにじょう巉巌ざんがんにぶつかって微塵みじんに砕けて散る処、欝々うつうつとした熊野くまのの山が胸に一物いちもつかくしてもくして居る処、秦始皇しんのしこうていのよい謀叛した徐福じょふく移住いじゅうして来た処
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
御痛みの方は以前ほどにはないようであったが、過大の一物いちもついたく御憎しみになり、あおのけに寝たまま、「こやつめが、こやつめが」ともなく罵られるようになった。
玉取物語 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
大衆が自営主義を実行するのは貧乏のためだけではない、この貧乏で一物いちもつ不将来ふしょうらいの所が又有り難いのであるが、とに角経済の上には托鉢をやり田作りをやり薪拾いをやらねばならぬ。
僧堂教育論 (新字新仮名) / 鈴木大拙(著)
そのうち解けたような、また一物いちもつあるような腹がまえと、しゃべるたびごとにゆがむ口つきとが、僕にはどうも気になって、吉弥はあんな母親のこさえた子かと、またまた厭気がさした。
耽溺 (新字新仮名) / 岩野泡鳴(著)
そして火夫も運転手も乗客も、みな身を乗り出してこものかけてある一物いちもつを見た。
窮死 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
一物いちもつも残さずそれぞれの場所にかたづけるようにしなければなりません。
女中訓 (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
一物いちもつをも得ずして逃げせぬと覚しく、すでに四辺に人影ひとかげもなかりき。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
と無理に引止め、片端へ茂之助が寝て、中央まんなかへお瀧、向うの端へ松五郎が寝まして、互に枕を附けると、茂之助は胸に一物いちもつ有りますからわざとグウー/″\と鼾を掻いて居りますが、少しも寝ない。
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
といやに優しい言葉遣いをして腹に一物いちもつ、あたふたと上方へのぼる。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
むろん、一物いちもつも盗んではいませんでした。
若杉裁判長 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それがすむと、明智はさいぜんから、と眼見たくてウズウズしていた一物いちもつを、右のポケットからつまみ出した。ほかではない。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
胸に一物いちもつある勇二はすぐにその相談に乗って、ひとまず奥様を鮫洲の金造の家に隠まうことにして、約束の二十五日のひる過ぎに湯島の天神の近所に忍んでいて
半七捕物帳:51 大森の鶏 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
手数からすれば、今の有田のものの足許にも及ぶまい。だが不思議である。これらの雑器には一物いちもつがあるのである。美になくてならない一物を含んでいるのである。
北九州の窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
こういう事件をこう写してこう感動させてやろうとかこう鼓舞してやろうとか、述作そのものに興味があるよりも、あらかじめ胸に一物いちもつがあって、それを土台に人を乗せようとしたがる。
文芸と道徳 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
胸に一物いちもつあるわたくしは、それから三日にあげず、わたくしの方から寮を訪ねるようにしまして、間もなく池上から勧めるように仕向けさしまして遂にわたくしはこの寮の客となってしまいました。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しょうある一物いちもつ、不思議はないが、いや、快くたわむれる。自在に動く。
海の使者 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
お半は幽霊を怖がって、中途から右の路へ出ようというのを、胸に一物いちもつある信次郎は、無理に左の方へ連れ込むと、お半はいよいよ怖がって信次郎にすがり付く。
ちょうど外科患者が手術台やメスのたなをドキドキして盗み見るように、押入れの中の異様な箱に、そこから取り出された一物いちもつに、眼を注がないではいられなかった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
叔父は果して最後の一物いちもつを胸にしまんでいた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
胸に一物いちもつあるお定は結局かれになびいて、宿しゅくの或る小料理屋の奥二階を逢曳きの場所と定めていた。
半七捕物帳:31 張子の虎 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
賊は、あれほどの苦心にもかかわらず、一物いちもつをもることができなかったばかりか、せっかく監禁した小林少年は救いだされ、彼自身は、とうとう、とらわれの身となってしまったのですから。
怪人二十面相 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
おせきは二階の三畳に寝た。胸に一物いちもつある夫婦は寝たふりをして夜のふけるのを待っていると、やがて子の刻の鐘がひびいた。それを合図に夫婦はそっと階段をのぼった。
影を踏まれた女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから数日の後、別のところにすなの盛りあがること十数里、その上に一物いちもつを発見した。それは海亀に似たもので、大きさは車輪のごとく、身にはこうをつけて三つ足であった。
おせきは二階の三畳に寝た。胸に一物いちもつある夫婦はふりをして夜のふけるのを待つてゐると、やがてこくの鐘がひゞいた。それを合図に夫婦はそつと階子はしごをのぼつた。弥助は蝋燭ろうそくを持つてゐた。