“こうどう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:コウドウ
語句割合
香道14.3%
行動11.4%
坑道8.6%
講堂8.6%
革堂8.6%
黄道8.6%
後堂5.7%
狡童5.7%
公道2.9%
孝童2.9%
孝道2.9%
恒同2.9%
慊堂2.9%
慷堂2.9%
皇道2.9%
窖道2.9%
耕耨2.9%
黄童2.9%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
雑俳ざっぱい楊弓ようきゅう香道こうどうから碁将棋まで、何一つ暗からぬ才人で、五年前先代から身上しんしょうを譲られた時は、あの粋様すいさまでは丸屋の大身代も三年とはつまいと言われたのを、不思議に減らしもせず
そのさい小櫻姫こざくらひめがいかなる行動こうどうたかは、歴史れきし口碑こうひうえではあまりあきららかでないが、彼女自身かのじょじしん通信つうしんによれば、落城後らくじょうごもなくやまいにかかり、油壺あぶらつぼ南岸なんがん
下の坑道こうどうにはほかの坑夫こうふがはしごだんを下りながら、ランプをぶらぶらさげて行くのが見えた。わたしたちはガスパールおじさんがはたらいている二そう目の小屋に着いた。
そのあさ学校で、おいのりの前に、講堂こうどうにいるシューラのそばへ、ミーチャ・クルイニンがって
身体検査 (新字新仮名) / フョードル・ソログープ(著)
「今物語」に或る五位の蔵人が、革堂こうどうに詣でて美人を見初め、そのあとをつけて行った所が一条の河原のキヨメの小屋に這入ったという話のあるは、明らかにこれを示したものである。
が、そこに新生した蒼穹そうきゅうは、全く旧態をやぶったすがただった。白髪白髯はくはつはくぜんの博識たちがあっとおどろいているうちに、山から山へ、いつの間にか脈々たる黄道こうどうにじが横たわっていた。
ヤトラカン・サミ博士の椅子 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
わたくしはかつて婦女を後堂こうどうたくわえていたころ、絶えずこの事を考えていた。今日にあっても、たまたま蘭燈らんとうの影暗きところに身を置くような時には、やはりこの事を考える。
西瓜 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「モ、問答、ム、無用オ——ッ! くたばれ——ッ、狡童こうどう!」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すなわち哲学の私情は立国の公道こうどうにして、この公道公徳の公認せらるるはただに一国においてしかるのみならず、その国中に幾多の小区域あるときは、毎区必ず特色の利害に制せられ
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
山岡の孝童こうどうと、模範に云われた。
剣の四君子:04 高橋泥舟 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あなたは、甲斐源氏かいげんじの一つぶだね——世にもとうといでありながら、危地きちをおかしてお父上を求めにまいられた。孝道こうどう赤心せきしん、涙ぐましいほどでござる。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ウェーゲナーの大陸移動説では大陸と大陸、また大陸と島嶼とうしょとの距離は恒同こうどうでなく長い年月の間にはかなり変化するものと考えられる。
神話と地球物理学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
五百いおは女中に書状を持たせて、ほど近い質屋へった。即ち市野迷庵の跡の家である。の今に至るまで石にられずにある松崎慊堂こうどうの文にいう如く、迷庵は柳原の店で亡くなった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
慷堂こうどう先生というんだがね。砂馬さんの名前の慷と同じ字を書くんだ。それに堂」
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
二月に至り、燕王入覲にゅうきんす。皇道こうどうを行きて入り、陛に登りて拝せざる等、不敬の事ありしかば、監察御史かんさつぎょし曾鳳韶そうほうしょうこれをがいせしが、帝曰く、至親ししん問うなかれと。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
現に外濠そとぼりから窖道こうどうへ通ずる路をつけるときなどは、朝から晩まで一日働いて四十五サンチ掘ったのが一番の手柄であったそうだ。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼の一家、友交輯睦しゅうぼく、忠誠にして勤克。その父もしくは叔父の如き、公衙こうがより帰れば、ただちにはかまを脱して、田圃でんぽ耕耨こうどうす。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
田野でんや黄童こうどう白叟はくそうが何を知ろうぞ。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)