鳴海なるみ)” の例文
あの時、堺見物の途中から、九死一生の目にあいつつ、からくも、自国まで帰り得た彼は、すぐ軍備を令して、鳴海なるみまで押し出した。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「だつて、これが落付いて居られますか、てんだ。鳴海なるみ屋の番頭の藤六が、今朝あのお勝手口で、虫のやうに打ち殺されてゐるんですぜ」
鳴海なるみはもう名物の絞りを売っている店は一二軒しかない。並んでいる邸宅風の家々はむかし鳴海絞りを売って儲けた家だと俥夫しゃふが言った。
東海道五十三次 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それから、なるみ絞りの鳴海なるみ。一里十二丁、三十一もんの駄賃でまっしぐらにみやへ——大洲観音たいすかんのん真福寺しんぷくじを、はるかに駕籠の中から拝みつつ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
而も三代目かの廣重の繪にも取られてある所を見ると、昔の鳴海なるみの宿の鳴海なるみ絞りを懸け弔す店と同じく、少し繪心のある人の心を惹くものと見える。
京阪聞見録 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
かくて絞柄に様々な名を与えます。京都などもこの技術で名がありますが、仕事の盛なのは鳴海なるみ地方であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
不破ふわせき鳴海なるみ汐干潟しおひがたと次第に東へ下るにつれて、思いは果てしなく都の空へととぶのであった。
お齒黒はまだらに生へ次第の眉毛みるかげもなく、洗ひざらしの鳴海なるみの浴衣を前と後を切りかへて膝のあたりは目立ぬやうに小針のつぎ當、狹帶せまおびきりゝと締めて蝉表の内職
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
旅中の家康は茶屋四郎次郎ちゃやしろじろうの金と本多平八郎ほんだへいはちろうやりとの力をかりて、わずかに免れて岡崎おかざきへ帰った。さて軍勢を催促さいそくして鳴海なるみまで出ると、秀吉の使が来て、光秀の死を告げた。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
あふ坂の関守せきもりにゆるされてより、秋こし山の黄葉もみぢ見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海なるみがた、不尽ふじ高嶺たかねけぶり浮嶋がはら、清見が関、いそ小いその浦々
丁度申下刻なゝつさがりに用をしまって湯にくというので、鳴海なるみの養老の単物ひとえものといえば体裁ていいが、二三度水に這入ったから大きに色がめましたが、八反に黒繻子の腹合せと云っても
(数枝) あら、ご存じ無かったの? きのう来ていただいたお医者さんは、弘前の鳴海なるみ内科の院長さんよ。それでね、お父さんがきょう、鳴海先生のとこへお薬をもらいに行ったの。
冬の花火 (新字新仮名) / 太宰治(著)
尾張の鳴海なるみ潟、備前和気わけ郡の片上かたかみのカタなどと、北国のガタとは清濁二種の語ではないかとさえ思われる。今ではまだ汐干しおひ潟のカタの方が古い意味だと、断定してしまうわけにも行かぬのである。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そんなことで、この一行は、その晩は鳴海なるみへ泊ることになりました。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
柔かな鳴海なるみ絞りのたもと
晶子詩篇全集 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
振り返って見ると、同じ欄干にもたれた、乞食体こじきていの中年の男、鳴海なるみ司郎の顔を下から見上げて、こう丁寧に申します。
悪人の娘 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
清洲の城下から鳴海なるみ街道のほうへ向って、一頭の悍馬かんばが、闇を衝いて駈けていた。重傷を負ったまま、山淵右近は、その鞍の上にしがみついていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歯黒はぐろはまだらに生へ次第の眉毛まゆげみるかげもなく、洗ひざらしの鳴海なるみ裕衣ゆかたを前と後を切りかへて膝のあたりは目立ぬやうに小針のつぎ当、狭帯せまおびきりりと締めて蝉表せみおもての内職
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
口元の締ったい男で、其の側に居るのは女房と見え、二十七八の女で、頭髪あたまは達磨返しに結び、鳴海なるみ単衣ひとえに黒繻子の帯をひっかけに締め、一杯飲んで居る夫婦づれ旅人りょじん
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
元秀の養子完造かんぞうもと山崎氏で、蘭法医伊東玄朴の門人である。完造の養子芳甫ほうほさんはもと鳴海なるみ氏で、今弘前の北川端町きたかわばたちょうに住んでいる。元秀の実家のすえは弘前の徒町かちまち川端町の対馬鈆蔵しょうぞうさんである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
鳴海なるみ襦袢じゅばんが居催促をする。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「なお、細目にわたる箇条は、他日、鳴海なるみ城を会見の場所として、てまえと、松平家の石川数正かずまさ殿とで出会い、談合を遂げんと約して立ち帰りました」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お三はこれくらゐにして、次に呼んで來たのは鳴海なるみ屋の後家、今はこの大店おほだなの女主人と言つても宜いお富でした。
齒黒はぐろはまだらに次第しだい眉毛まゆげみるかげもなく、あらひざらしの鳴海なるみ裕衣ゆかたまへうしろりかへてひざのあたりは目立めたゝぬやうに小針こはりのつぎあて狹帶せまおびきりゝとめて蝉表せみおもて内職ないしよく
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
鳴海なるみへ二里半」
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
そこから直ぐ海口の方へ寄って鳴海なるみの城がある。これは一時は織田でおとしたが、その後また、駿河勢力に蚕蝕さんしょくされて、今では敵の岡部元信おかべもとのぶが固めている。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「小石川表町、傳通院の前。山の手一番と言はれた呉服屋、鳴海なるみ屋の娘が殺されたらしいんで、富坂の周吉親分からの使ひで、朝のうちに一と走り行つて見て來ましたよ」
さきに御当家から諸家へ向って、明智征伐の事終ると——御通牒ごつうちょうのあったためか、徳川殿の軍は、昨日、鳴海なるみから浜松へ引っ返されたとのことです。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼の坐っている隣りの部屋にも、一人の女が、鳴海なるみしぼりに、小柳の引っかけ帯で、白い足の指を、伸び伸びとだして、竹婦人かごまくらをかかえて、昼寝していた。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
本軍の高氏軍は、鳴海なるみで野営したが、未明にはもうそこを立って、兵馬の朝糧あさがては熱田に着いてとらせている。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉田城の酒井忠次に送られて、池鯉鮒ちりふから鳴海なるみへ入った。これまでが徳川領、鳴海から先は織田領なので、ここには織田家の一門が凱旋の主君を出迎えに立っていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その夜、鳴海なるみ附近の浜から、二艘の舟が、沖へはなれた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)