)” の例文
驛を離れて峠に懸るに、杉樹さんじゆ次第に路傍に深く、一歩は一歩より前なる高原の風景を失ひ、峠に達すれば、山樹空濛くうもうとして、四只雲烟。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
それはという友人であったが、その顧がくなった時、妻子の面倒を見てやったので、邑宰むらやくにんがひどく感心して文章を寄せて交際を求めて来た。
連城 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
優にやさしき騎士ナイト達は、行列を作つて夜もすがら、セレナーデを歌ひかなで續けて、お艶の一を得ようとするのでせう。
と一、老母の姿へ胸中一ぱいな慚愧ざんきの眼を伏せて、わんわんと立ち騒いでいる群集の中を同僚の手で曳かれて行った。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蜀漢しょくかん劉備りゅうび諸葛孔明しょかつこうめい草廬そうろを三たびう。これを三れいと言うてナ。しん、もと布衣ほい……作阿弥殿、御名作をお残しになるよう、祈っておりますぞ。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「おお、そうであろうそうであろう。これは聞く方が悪かった。……文晁先生は当代の巨匠、先生の一を受けようと、あらゆる階級の人間が伺向するということだ」
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
やればできる力をもつてゐながら、なかなかやらうとしない一種の引込思案、乃至は億劫がり、右べん、いづれも、「意志」の栄養不良、動脈硬化、関節不随であります。
多くの悪口には一時的流言りゅうげんに過ぎずして、ほとんど一の値いなきものがある。俗諺ぞくげんにいう、「人のうわさも七十五日」。その語るところを聞くと根底深いらしいが、その実は根も葉もないことが多い。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
古顔の朱貴を筆頭に、のおばさん、孫新、李立、時遷じせん楽和がくわ、張青、そんの妻などが、それらのことはやっている。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで統領と顧三五子との領域を定め、の匪等はそれから又遠くの地方にその手足を伸ばした。
五十何年の生涯をけて、善きもの、美しきもの、優しいもの、正しいものに、一も與へなかつた小左衞門の死顏は、まさに邪惡そのものの模型を見るやうな凄まじいものだつたのです。
そこに生がいてばったりいきあった。顧は驚いていた。
連城 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
たいして才能もないこの身に対して、劉皇叔りゅうこうしゅくには、三の礼をつくし、かつ、過分な至嘱ししょくをもって、自分を聘せられた。性来の懦夫だふも起たざるを得ぬではないか。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
弦之丞には、行路こうろの一にもすぎぬ女であったろうが、お綱の身にとってみれば、手のうちの珠を奪われたよりは、もっと絶望的な空虚が胸をひたすのであった。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だから今なら、それら参陣の武族へ、彼がどんな高い床几しょうぎから尊大な一をくれても、人々はみな彼を大将と仰いで、行く末までの随身も惜しまなかったに相違ない。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そしてすぐ見物の群れを割って去りかけたが、一するや、わざと後ろへこんな捨て言葉をなげうった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これから武蔵へかかる山境やまざかいは、姥子うばこ鳴滝なるたき大菩薩だいぼさつ小仏こぼとけ御岳みたけ、四やままた山を見るばかりの道である。すきな子供のむれに取りまかれることがいたってまれだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、一するとそのまま黙々と麓へ去った……あとは、有明けをく虫の声がひとしきり。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それを正面のたかき石段いしだんにあおいで、ひろい平地へいち周囲しゅういも、またそれからながめおろされる渓谷けいこくも、四の山もさわ万樹ばんじゅ鮮紅せんこうめられて、晩秋ばんしゅう大気たいきはすみきッている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
颯爽さっそうと、一して、彼はすぐ後ろへ戻って行くのである。なんでもないことのようだった。もし先が強ければ、自分が後に捨てられてゆくだけのこととしかしていなかった。
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
試合の後——ほっと息づくように胸をあげて、静かに、筆洗へ筆の先を沈めると、描きあげたわが画に一もせず、伝奏屋敷の控えの広間から、さっさと退出してしまった。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とのみで、栄華のばつは一も与えなかった。そして平家人の頭には、何年たっても
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
まだ二十七歳でしかなかった青年孔明が、農耕の余閑、草廬そうろに抱いていた理想の実現であったのである。時に、三して迎えた劉玄徳りゅうげんとく奨意しょういにこたえ、いよいよを出て起たんと誓うに際して
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すべての万機を院中に決し、天皇崇徳をさして、お戯れにも——あれは、わが子ではない、祖父児おおじごよ——と仰っしゃったり、また待賢門院にたいしても、今は、一の御車をめぐらしたこともない。
もう一つ、身を、ひるがえしながら、一まなじりを裂いて叫んだ。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西へ一歩を占めたと思うと、南に一の不安がわいていた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暗々あんあんたる裾野をにらみつめている。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
を見廻して憮然ぶぜんたる様子。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)