鍾愛しょうあい)” の例文
ところが、その後、同じお腹に生れた第二の皇子を鍾愛しょうあいのあまり、いわれもなく、後深草を十七歳で退位させ、第二皇子十一歳を立てて
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なん坪太郎つぼたろうと名づけ、鍾愛しょうあい此上無かりしが、此男子なんし、生得商売あきないの道を好まず、いとけなき時より宇治黄檗おうばくの道人、隠元いんげん禅師に参じて学才人に超えたり。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
二人がはいってきた時テナルディエの上さんは、鍾愛しょうあいの情に満ちたわざと小言を言うような調子で言った、「ああお前たちもここに来たのかえ!」
尤も一と頃倫敦ロンドンの社交夫人間にカメレオンを鍾愛しょうあいする流行があったというが、カメレオンの名代みょうだいならYにも勤まる。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
子供たちを勝手に生成するままに放任しておいて、ただ彼らが善良でありことに幸福でさえあればいいとしていた。子供たちを鍾愛しょうあいしていたのである。
ショパンは姉二人の次に生まれた唯一の男の子として、全家族の鍾愛しょうあいのうちに育ったが、一人っ児らしい蒲柳ほりゅうの質で、子供時分から病気がちであった。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
それ故、自分の鍾愛しょうあいの者に、自由に接近し愛撫し得る、位置にある者すべてに、彼女は病的な嫉妬を感じた。激情が心を荒れまわって、誰彼の区別なく罵った。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
ことに妙子様は才媛さいえんで、お母様のご鍾愛しょうあいをほしいままにしている。お部屋もお母様のおとなりだった。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
鍾愛しょうあいの、美しい孫姫さんが、御方おかた(姫の住居—離れたお部屋)に乳母たちにかしずかれていた。
兄さんの温厚なのに似ず才気煥発かんぱつした方で、何か失行のあった時、名家の子弟であったためか、新聞に書立てられて、その方を鍾愛しょうあいなさる母上がひどく苦になさった時など
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
そして老エフィゲニウスが眼に入れても痛くないほどに鍾愛しょうあいしている一人娘のロゼリイスは、芝生に坐って私のために鵞ペンを削りながら、絶えず涼しい微笑みを送ってくれ
ウニデス潮流の彼方 (新字新仮名) / 橘外男(著)
彼の鍾愛しょうあいする美少年に懸想けそうした上野介が、ひそかにこれをゆずりうけたいといって所望したのをあっさりはねつけたことにふかい意趣がこもっていたということになっているが
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
二代目の天鼓もまたその声霊妙れいみょうにして迦陵頻迦かりょうびんがあざむきければ日夕籠を座右ざゆうに置きて鍾愛しょうあいすること大方ならず、常に門弟をしてこの鳥の啼く音に耳をかたむけしめ、しかる後にさとしていわ
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
兄は思索に遠ざかる事のできない読書家として、たいていは書斎裡しょさいりの人であったので、いくら腹のうちでこの少女を鍾愛しょうあいしても、鍾愛の報酬たる親しみの程度ははなはだ稀薄きはくなものであった。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
千代は絶えなんとする渋江氏の血統を僅につなぐべき子で、あまつさえ聡慧そうけいなので、父母はこれを一粒種ひとつぶだねと称して鍾愛しょうあいしていると、十九歳になった安永六年の五月三日に、辞世の歌を詠んで死んだ。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
馬良と孔明とは、刎頸ふんけいまじわりがあったので、その遺族はみな引き取ってねんごろに世話していたが、とりわけ馬謖の才器を彼はいたく鍾愛しょうあいしていた。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼女が二人の幸福を息子むすこの犠牲にしてることを、知っていた。彼女はリオネロの欺瞞ぎまんに欺かれてはいないが、それでもやはりリオネロを鍾愛しょうあいしてるということを知っていた。
リストリエは、花の名を綽名あだなとしているダーリアという女を鍾愛しょうあいしていた。ファムイュは、ジョゼフィーヌをつづめてゼフィーヌと呼ぶ女をこの上ない者と思い込んでいた。
自分とは従兄妹いとこの間柄なる本妻の綾野あやのを嫌い、とうとう一年経たないうちに、柳橋やなぎばし芸者のお勝を、奉公人名義でめかけにいれ、それを鍾愛しょうあいするの余り、本妻の綾野を瘋狂ふうきょうと称して
これらのお覚えめでたい鍾愛しょうあいの親臣中にあって、ひとり養子の勝豊のみは、養父からもまれていたし、佐久間兄弟からもひややかにられていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もしコゼットがいなかったならば、二人の子供はいかに鍾愛しょうあいせられようともきっとまたすべてを受けたであろう。しかしその他人の子は、彼女らの代わりに打擲を受けてやった。
ランジェー夫妻は、娘を鍾愛しょうあいしながらも、自分一身の安逸を少しも犠牲にしたがらなかった。一日の大半は娘を一人放っておいた。それで娘は、夢想する時間に少しも不足を覚えなかった。
煩悩な父親は、その愛娘へも、人なみ以上な鍾愛しょうあいをかけている。——子の幸福を、自分の行く末以上に案じている。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何物も見えないが、しかし鍾愛しょうあいせられてるのを感ずる。それは実に暗黒の楽園である。
眼の中へ入れても痛くないほど鍾愛しょうあいして、上泉伊勢守から自身が受けた新陰しんかげの相伝、三巻の奥旨おうし、一巻の絵目録など、すべてこれを生前に授けたと聴く
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はコゼットを鍾愛しょうあいし、コゼットを所有し、そしてコゼットは純潔に光り輝いていた。それでもう彼には充分だった。この上いかなる説明を要しようぞ。コゼットは光輝そのものであった。
加うるに、どういうものか、老公の鍾愛しょうあいはいまもむかしも変らない。まったく、むかしといっていいほど、それはかれの幼少から今日にいたるものであった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
石舟斎が、掌上のたまのように、眼にも入れたいほど、鍾愛しょうあいしてかなかったのは、孫の兵庫利厳としとしだった。
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が鍾愛しょうあいして措かない糸垂しだれ桜の巨木は、わけても、この庭の王妃のように咲き誇っていたが、常とちがって、今朝は、内蔵助の眸に、その白い花の一つ一つが
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日頃、信長が鍾愛しょうあいしていた乙御前おとごぜの釜が宝蔵から出されてあった。秀吉はそれを拝領して長浜へ帰ると
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頼朝が、自ら、龍胆黒りんどうぐろと名づけて、ここのうまやに飼い、厩舎人うまやとねり鬼藤次きとうじという小者を付けて、鍾愛しょうあいかない黒鹿毛は、都にもまれな逸物だといわれているものであった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日ごろからそういっていた謙信は、永禄元年の和睦——甲越の一時的な和議のできた年に——とうとうこの鍾愛しょうあいして措かない大事な家来を三河の徳川蔵人元康くらんどもとやすへ遣ってしまった。
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、いずれが武蔵の最も鍾愛しょうあいした物か、下り松の試合の折にはどの刀を使用したか、巌流島では何を差していたかなどという問題になると、これはまったくわからない考証になる。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(いずれ、由緒よしある若武者か、氏のよい公達きんだちかが鍾愛しょうあいしたものにちがいない)
篝火の女 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして鍾愛しょうあい乙御前おとごぜの釜を与えた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)