行宮あんぐう)” の例文
そのうえ、はるか伯耆ほうき船上山せんじょうせん行宮あんぐうからも、千種ちぐさノ中将忠顕ただあきが、山陰中国の大兵を組織して、丹波ざかいから洛中をうかがっていた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一首の意は、天皇は現人神あらひとがみにましますから、今、天にとどろいかずちの名を持っている山のうえに行宮あんぐうを御造りになりたもうた、というのである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
十二代じゆうにだい景行天皇けいこうてんのうが、筑紫つくし高田たかだ行宮あんぐう行幸ぎようこうされたときには、なが九千七百尺きゆうせんしちひやくしやくのその丸太まるたが、はしになつてかゝつてゐました。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
吉野の行宮あんぐうに崩ぜられたので、南風いよ/\競はず、吉野の朝廷の柱石たる北畠親房の苦心経営を始めとし、楠木正成の遺子正行の奮闘、菊池武敏たけとしの弟武光が
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
其處から二三丁下つたところに所謂いはゆる行宮あんぐうの跡があつた。其處も前の上臈じやうらふの庵のあとゝ同じく小さな谷間、と云つても水もなにもない極めて小さな山襞やまひだの一つに當つてゐた。
樹木とその葉:03 島三題 (旧字旧仮名) / 若山牧水(著)
三野王は四月に戻ってきて信濃の図を奉ったが、翌年十月にも使をだして信濃に行宮あんぐうをつくらせた。これは筑摩、今の松本あたりの温泉へ行幸のためならん、と書紀は書いています。
ふとその建物を見て斉明天皇の朝倉の行宮あんぐうの木の丸殿まろどのもこんなのではなかったかと思えて考え様によっては存外に風情があって、風変りなだけに雅致のあるものであるかも知れないとも思われた。
現代語訳 方丈記 (新字新仮名) / 鴨長明(著)
日本武尊が東征の時、ここに行宮あんぐうを置いて
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
かみどう行宮あんぐうは、ご寝所も、常の陣座の間も、まことに手ぜまな所だったが、そこへ御出座あるやいな、尊良たかなが宗良むねながの二皇子へたいして
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かつて天皇の行幸に御伴をして、山城の宇治で、秋の野のみ草(すすきかや)を刈っていた行宮あんぐう宿やどったときの興深かったさまがおもい出されます。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
南下して今のミノの武儀むぎ郡を中心にミノのほぼ各郡と伊那にもミヤコか行宮あんぐうがちらばっており、一人の王様の南下の順路にいくつも出来たり、別の代の王様の居城であったり、色々のようだ。
飛騨の顔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
延元四年の秋、後醍醐天皇は吉野の南山行宮あんぐうに崩御せられた。
四条畷の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
行宮あんぐうの北の藪垣やぶがきを躍りこえて、まだ暗い海の方へむかって、ひた走りに消え去った人影がある。吉致だったのはいうまでもない。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
事露見して十一月五日却って赤兄のためにとらえられ、九日紀の温湯行宮あんぐうに送られて其処で皇太子中大兄の訊問じんもんがあった。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
千種、楠木、新田、名和、それらの味方とここの行宮あんぐうとはほとんど連絡もとれていない。寸断され、包囲され、随所で苦戦におちていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
男山行宮あんぐうをめがけて、足利勢万余の将士がときの声をあげた。ふもとの寺坊ややしろなどを焼きたてたので、山はそのまま山なりの炎になった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いかなる名分めいぶんにせよ、大元帥たる御方が、その行宮あんぐうを捨て給うて、敵手に、あとの御運ごうんをゆだねられるからには、降参ときまッている!」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
けれど奥まった行宮あんぐうの深くでは、かえって何かふしぎな活力のような精気が、そこの昼もうすぐらい御簾ぎょれん御灯みあかしにあかあかとかがやいていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行宮あんぐうの朝夕もまずはととのい、防禦もほぼ万全といっていい。なによりは船上山そのものが天与の地の利であったとおもう。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行宮あんぐうはなお上にあった。その行宮の南面の廊の角に一竿かんたかく、錦の旗が、大和、山城、河内の山野を望みつつ、へんぽんと山風を呼んでいる。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行宮あんぐうはすぐ火を放たれ、蔵王堂以下の坊舎から山門すべても炎となった。それは何の抵抗もなく燃えるがままに燃える不気味な寂土じゃくどの狂炎だった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
行宮あんぐうの憂いは濃い。ただ望みは、奥州軍北畠顕家あきいえの援軍が、まに合うか、まに合わぬか、それただ一つでしかなかった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そこも大山だいせんのうちです。鳥ヶ峰、矢筈山、かぶと岳などにかこまれて、山上はひろく、長期の行宮あんぐうにも、敵のふせぎにも、万全と申せましょう」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南海、山陽の大兵をつのって、本営を讃岐さぬきにうつし、屋島に安徳天皇の行宮あんぐうをたて、やがて都へ攻め上ろうとしている——
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに長安まで行幸していた魏帝曹叡そうえいは、ここに司馬懿を待ち、彼のすがたを行宮あんぐうに見るや、玉座ちかく召しよせて
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、顕家はなお御前にのこって、宵のころまで御酒を賜わり、その夜は行宮あんぐうの廊ノ床に、よろいも解かず、宿直寝とのいねしていた。ここのおよろこびもただならない。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
の詩を、かつて、後醍醐ごだいご隠岐おきへながされる日の途中に、御旅みたび行宮あんぐうの庭に、目に見て引っ返したあの高徳だ。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、彼と小見山次郎とは、さらに上の、天皇の行宮あんぐうを見つつ、四ツん這いに這い忍んで行ったのだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また、つたえ聞いた近郡の地頭や、郷士、法師らの献物けんもつもおびただしく、酒、こうじ、干魚、果物くだもの、さまざまな山幸やまさちが、行宮あんぐうの一部の板屋廂いたやびさしには山と積まれた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
全土の宮方がまた宮方へちはじめ、ぞくぞく、行宮あんぐうのもとへせさんじる武士もふえていたからだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
院ノ庄の行宮あんぐうへ忍んで有名な——天勾践テンコウセンムナシュウスルナカレ——を桜の木に書いて去ったと伝えられる児島高徳たかのり(備後ノ三郎)は、どうもむずかしいまぼろしの人物なので
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
儚い今日だけの歓楽も早や尽きたかのころ、妃たちの手にもおえぬ後醍醐の大きなお体を、ひとりの武士が抱えたすけながら、行宮あんぐうの方へよろよろ歩いて行くのが見えた。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
やがてこの金剛寺を行宮あんぐうに年久しく、山僧の生活も同様な御不自由をしのんでおで遊ばした。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほどなく、行宮あんぐうの宴はみ、武者たちもみな思い思い、野陣へひきとって、寝しずまった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その日じゅう、中堂ちゅうどう行宮あんぐうは、武者、公卿、法師らなどの、せわしげなうごきに暮れた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この洛陽の行宮あんぐうも、もうずいぶん殿宇が古くなっていますから、自然怪異けいのことが多うございます。居は気をかえると申しますから、べつに新殿を一宇お建てになられては如何ですか」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上京内裏かみぎょうだいりの東から南への馬場八町には、若草の色もまだ浅く、さくのところどころの八尺柱は、緋毛氈ひもうせんでつつまれていた。そして、禁裡きんり東之御門外のあたりに、御出御ごしゅつぎょをあおぐ行宮あんぐうは建てられてあった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
千種殿には、すぐさま船上山の行宮あんぐうへ、足利帰順きじゅんのよしを
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それでおよそ義経の径路はつかめた気がしましたよ。しかし、一ノ谷の奥には、安徳天皇の行宮あんぐうあとがあったり、逆落しやら何やらの名所旧蹟もあるので、そっちじゃない、こっちだと書いたら恨まれましょうな」
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)