物識ものしり)” の例文
「ありゃ何だい、質屋の亭主だっていうが、野幇間のだいこだか、俳諧師だか解ったものじゃない。あんな物識ものしり顔をする野郎は俺は嫌いさ」
だが、さる物識ものしりの説によると、あんな事になつたのは、学者の鑑定めききが足りないのでも何でもなく、掘出された独木舟が悪いのださうだ。
美妙の書斎のようにおどかし道具をならべる余地もなかったし、美妙のように何でも来いとあごでる物識ものしりぶりを発揮しなかった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
書記官はラサのシナ人中では最も物識ものしり、最も老練家として尊敬を受けて居る人ですが、そういう事をいわれたから一遍に信用してしまった。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
或るお物識ものしりのお講釈に、先ず早く云えば月に雲の掛るようなもので、これなどは圓朝にも解りますから、成程と云うて感じまして聞きましたが
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
長吉のわからずやはれも知る乱暴の上なしなれど、信如の尻おし無くはあれほどに思ひ切りて表町をばあらし得じ、人前をば物識ものしりらしく温順すなほにつくりて
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
神様の嫁御よめごでは、物足らぬからではあるまいか、エ、長二、お前が何程いくら物識ものしりでも、わしの方が年を取つて居りますぞ
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
六三の呪禁まじないと言って、身体の痛みをなお祈祷きとうなぞもする。近所での物識ものしりと言われている老農夫である。私はこの人から「言海」のことを聞かれて一寸驚かされた。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
○秋山中に寺院じゐんはさら也、庵室あんじつもなし。八幡の小社一ツあり。寺なきゆゑみな無筆むひつ也。たま/\心あるもの里より手本てほんていろはもじをおぼえたる人をば物識ものしりとて尊敬そんきやうす。
隱居いんきよ物識ものしりぶつて『新玉あらたまとしちかへるあしたかな』づこんなふうふものだと作例さくれいしめす。
ハガキ運動 (旧字旧仮名) / 堺利彦(著)
丁度淨土門の信者が他力本願に頼る以上は憖じ小才覺や、えせ物識ものしりを棄てて仕舞はねばならぬやうなものである。併し世には又何樣どうしても自己を沒卻することの出來ぬ人もある。
努力論 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
しかし前にも申した通り、あなたと私とはまるで専門が違いますので、私の筆にする事が、時によると変に物識ものしりめいた余計よけいぐさのように、あなたの眼に映るかも知れません。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
二十四番地、都は掛値をする所だから、なんでも半分に値切って、十二番地、だなんて、村で物識ものしりの老人がいつか話してくれたのを思い出したが、まさかそれは話だと、留吉は考えました。
都の眼 (新字新仮名) / 竹久夢二(著)
骨董好きの富豪かねもちに教へる。いつ迄も秘蔵の骨董を失ふまいとするには、自分達の家族を成るべく物識ものしりにしておくが一番手堅い。
文治郎は何か学問が横へ這入り過ぎた処があるのではないかと或る物識ものしりが仰しゃったことがございます、余り人の為のなさけと云うものが深くなると
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
長吉ちやうきちのわからずやはれも亂暴らんぼううへなしなれど、信如しんによしりおしくはれほどにおもりて表町おもてまちをばあらじ、人前ひとまへをば物識ものしりらしく温順すなほにつくりて
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
わが愛する頼山陽氏と世上の物識ものしりとに教へる。魚は右にあらうが、左にあらうが、早く箸をおろした方が一番いいのである。
ところが或る物識ものしりの方は、「イヤ/\西洋にも幽霊がある、決して無いとは云われぬ、必ず有るに違いない」と仰しゃるから、私共は「ヘエうでございますか、幽霊は矢張やっぱり有りますかな」
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
まつりの夜の處爲しうちはいかなる卑怯ぞや、長吉のわからずやは誰れも知る亂暴の上なしなれど、信如の尻おし無くば彼れほどに思ひ切りて表町をばあらし得じ、人前をば物識ものしりらしく温順すなほにつくりて
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
変だなと気がいて、色々な物識ものしりに訊いてみると、謡曲うたひのなかには健康にためにならないのがあるといふ事が判つた。
だから平常ふだんから言はない事ぢやない、画家ゑかきは無学では困る。そして鸚哥はまた画家ゑかき以上に物識ものしりで、滅多な樹にとまらぬやうにして呉れなくちや困る。
そのあとで鴈治郎は一ぱし物識ものしりらしい顔をして、英吉利ではいぬも洋服を着てゐるさうだから、おまへも是非洋服を着ねばならぬと、女房かないに言つて聞かせた。
水木氏は大和にある仏の名前とをんなの顔とをみんな知り抜いてゐる程の物識ものしりである。手紙を読んだ一刹那、水木氏は
むかしむかし、埃及エヂプトにアマアシスといふ王様があつた。王様にしておくのは勿体ない程の物識ものしりで、数多い学者のなかには、この人のお蔭になつたのも少くはなかつた。
先日こなひだえらい物識ものしりの方がおなはつて、その方に承はると、何でもうちの先祖ちふのは、竹田出雲たらいふ途方もない学者だしたさうな。ちやうど道真公と同じ時代でな……。
京都大学の文科教授新村いづる博士は、言語学者で、物識ものしりで、おまけに万事によく気がつく方なので、これまでだつて、亡くなつた上田敏氏の未定稿『ダンテの神曲』を刊行した事以外には
だが、さる物識ものしりの説によると、基督が言つたやうに人は麺麭パンのみで生きるものでないと同じく、鼠も米のみで生きる事は出来ない。人間に宗教が要るやうに、鼠には水気みづけのある菜つ葉が必要だ。
禅師の説によると、ふくろは土をねて、それを暖めてひよにするものださうで、禅師は古人の歌やら伝説やらを引張り出してそれを証明した。そばで聴いてゐた人は禅師の物識ものしりに驚いたといふ事だ。