じゅく)” の例文
このおはなしは結局けっきょく学者がくしゃのアラムハラドがある日自分のじゅくでまたある日山の雨の中でちらっとかんじた不思議ふしぎ着物きものについてであります。
ところが、じゅくのある鉄砲洲てっぽうず奥平家おくだいらけのやしきは、外国人がいこくじんのすむところになるというので、幕府ばくふにとりあげられることになりました。
来たる年には木曾福島の方へ送って、大脇自笑おおわきじしょうじゅくにでも入門させ、自分のよい跡目相続としたい。そんな話が寿平次の口から出て来た。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
それにつけて世間では何かくだらないうわさをしているに違いないが、愛さんのじゅくなんかではなんにもお聞きではなかったかい
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
光一はすぐ引きかえして黙々塾もくもくじゅくへでかけた。じゅくにはだれもいなかった。光一はひっかえそうとすると窓からせたひげづらがぬっと現われた。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
むかしの立派なる教育家貝原益軒かいばらえきけん中江藤樹なかえとうじゅ熊沢蕃山くまざわばんざん等はみなじゅくを開いたことはあるが、今日のごとく何百人の生徒を集めて演説講義したものでない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
たいていの外来講師は、下赤塚しもあかつか駅から、じゅくで特約してあるタクシーに乗って来るのだったが、小川先生はこの村に住宅を構えているので、いつも徒歩だったのである。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
ただ華奢かしゃにばかりながれて。田中屋の白木屋のと服の競争をするようなもので。わたくしもどうかきるならば。平生にきたいと存じますけれど。じゅくも日本造りでござりますから。
藪の鶯 (新字新仮名) / 三宅花圃(著)
予が新銭座しんせんざたくと先生のじゅくとは咫尺しせきにして、先生毎日のごとく出入しゅつにゅうせられ何事も打明うちあけ談ずるうち、つね幕政ばくせい敗頽はいたいたんじける。もなく先生は幕府外国方翻訳御用がいこくかたほんやくごよう出役しゅつやくを命ぜらる。
栗栖は福井の産まれで、父も郡部で開業しており、山や田地もあって、裕福な村医なのだが、その先代の昔は緒方洪庵おがたこうあんじゅくに学んだこともある関係から、橋本左内の書翰しょかんなどももっていた。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
下谷練塀小路したやねりべいこうじ海保漁村かいほぎょそんじゅくにいて、神田の千葉の道場で撃剣を修業していたらしいが、何か、一身上のことがあって、この一ツ橋家の公用人平岡円四郎の家へ身をかくしていたのであった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
六郎は東京にて山岡鉄舟のじゅくに入りて、撃剣げきけんを学び、木村氏は熊谷の裁判所に出勤しゅっきんしたりしに、或る日六郎たづねきて、撃剣の時あやまりて肋骨あばらぼね一本折りたれば、しばしおん身がもとにて保養ほようしたしという。
みちの記 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
さてしからば先生は故郷くにで何をていたかというに、親族が世話するというのもこばんで、広い田の中の一軒屋の、五間いつまばかりあるを、何々じゅくなづけ、近郷きんじょの青年七八名を集めて、漢学の教授をしていた
富岡先生 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
わたしは、自分じぶんがすきだから、じゅくをひらいたり、ほんをかいたりしてきたわけだ。それをほめるとか、むくいるとかいうのは、おかしい。
葉子は妹たちを再び田島じゅくのほうに帰してやる気にはなれなかった。田島という人に対して反感をいだいたばかりではない。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
こうがかつて吉田松陰よしだしょういん先生のじゅくにいたとき、一夜、他の塾生じゅくせいとともにを囲んで談話しているあいだに、公は時の長州藩ちょうしゅうはんの家老が人を得ないことを憤慨ふんがいした。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
わしは生徒共の肩身を広くさしてやりたい、金ずくではかなわない、かれらの学校は洋風の堂々たるものだ、わしのじゅくは壁が落ち屋根がもりたたみがぼろぼろだ
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
須利耶さまは童子を十二のとき、少しはなれた首都しゅとのある外道げどうじゅくにお入れなさいました。
雁の童子 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
暮田正香は半蔵と同国の人であるが、かつて江戸に出て水戸藩士藤田東湖ふじたとうこじゅくに学んだことがあり、東湖没後に水戸の学問から離れて平田派の古学に目を見開いたという閲歴を持っている。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
次郎は、一方では、じゅくの将来についての予感におびえながら、また一方では、道江みちえからも恭一きょういちからも、その後何のたよりもないのを気にやみながら、ともかくも予定どおりの行事をすすめていった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
原書げんしょといっても、じゅくにあるのは、物理学ぶつりがく医学いがくほんだけで、一つのしゅるいのものは一さつずつしかなく、ぜんぶで十さつばかりでした。
じゅくに入れてくださると古藤さんが私たちに、もうこれ以上私のして上げる事はないと思うから、用がなければ来ません。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
グローブ三つにボール二つ、それをもらって千三がじゅくへいったとき一同は万歳を唱えた、勉強はできなくとも貧乏人の子はスポーツがうまい、一同はだんだん上達した。
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
わがはいが往年じゅくにあったとき、食堂で茶碗類をこわすものがあると、人に強いやつと思われ、自分もまたそう思うらしく、あるいは洋燈ランプでもたたきこわすと、強いやつたたえられた時代もあった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
アラムハラドのじゅくまちのはずれのやなぎの林の中にありました。
「青年じゅくのことさ。」
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
妹たちも今申したとおりじゅくに入れてしまいますし、この後はこれといって大して御厄介ごやっかいはかけないつもりでございます。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
私きのう田島たじまさんのじゅくに行って、田島さんにお会い申してよくお頼みして来ましたから、少し片付いたらはばかりさまですがあなた御自身で二人ふたりを連れていらしってください。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)