千駄木せんだぎ)” の例文
また貞享四年印本『江戸鹿子』に不寝権現、千駄木せんだぎ村、ねずとは大黒天神を勧請しけるにや、ねずとは鼠の社の心にやとあり云々。
彼はこうした気分をった人にありがちな落付おちつきのない態度で、千駄木せんだぎから追分おいわけへ出る通りを日に二返ずつ規則のように往来した。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
千駄木せんだぎ崖上がけうえから見るの広漠たる市中の眺望は、今しも蒼然たる暮靄ぼあいに包まれ一面に煙り渡った底から、数知れぬ燈火とうかかがやか
団子坂を上って千駄木せんだぎへ来るともう倒れかかった家などは一軒もなくて、所々ただ瓦の一部分剥がれた家があるだけであった。
震災日記より (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私が最も頻繁に訪問したのは花園町から太田の原の千駄木せんだぎ時代であった。イツデモ大抵夜るだった。随分十時過ぎから出掛けた事もあった。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
男「いえ、もうお構いなせえますな、へい有難う、え、貴方あなたにはお初にお目にかゝりますが、わっち千駄木せんだぎの植木屋九兵衞くへえという者でございまして」
闇夜の梅 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
千駄木せんだぎおくわたしいへから番町ばんちやうまでゞは、可也かなりとほいのであるが、てからもう彼此かれこれ時間じかんつから、今頃いまごろちゝはゝとにみぎひだりから笑顔ゑがほせられて
背負揚 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
「本郷區千駄木せんだぎ」云々と、上書きに書いてゐるのをちよツと見て、あれは寫眞學校の先生のところだ、な、と思つたほか、別にどれにも追窮はしなかつた。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
その人は、元農商務省の役人をしていた人で、畜産事業をやっていたが、目下は役をやめ家畜飼養をやっている、本郷ほんごう駒込こまごめ千駄木せんだぎ林町の植木うえき氏という人であった。
しかしそれは形式上のことだそうで、十六日に今度は千駄木せんだぎの宅の方へ暇乞いとまごいに寄りましたら、もう出立したとのことでした。誰にも時間は知らせないのでしょう。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
駒込千駄木せんだぎにあった大岡育造氏の別荘、広くはないが庭一面に大盃おおさかずきという楓樹の林、霜に染むる紅葉の色は格別の美しさ、毎年知人を招いて観楓のむしろを開いた。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
夏目先生が千駄木せんだぎにお住居すまいであったころ、ある日夕立の降るなかを、鉄御納戸てつおなんど八間はちけん深張ふかはりかさをさして、人通りのない、土の上のものは洗いながされたような小路を
大塚楠緒子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
彫刻家にして近代の巨匠、千駄木せんだぎの大師匠と呼ばれた、雲原明流氏の内弟子になり、いわゆるけずり小僧から仕込まれて、門下の逸材として世に知られるようになりました。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
東京のもとのまわりには西南のはしに千駄せんだ、北に片よって千駄木せんだぎという町があって、ともに聞きなれぬ地名だから人が注意している。千駄ガ谷はもと郊外の農村だった。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
原はこれから家を挙げて引越して来るにしても、角筈つのはず千駄木せんだぎあたりの郊外生活を夢みている。足ることを知るという哲学者のように、原は自然に任せて楽もうと思うのであった。
並木 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
先生を高等学校の廊下で毎日のように見たころは、ただ峻厳しゅんげんな近寄り難い感じがした。友人たちと夕方の散歩によく先生の千駄木せんだぎの家に行ったが、中へはいって行く勇気はどうしても出なかった。
夏目先生の追憶 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
千駄木せんだぎ時代の絵はがきのほかにはこれが唯一の形見になったのであったが、先生死後に絵の掛け物を一幅御遺族から頂戴ちょうだいした。
夏目漱石先生の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
根津ねづの低地から弥生やよいおか千駄木せんだぎの高地を仰げばここもまた絶壁である。絶壁のいただきに添うて、根津権現ごんげんの方から団子坂だんござかの上へと通ずる一条の路がある。
此所も四百坪ほどの地面と表通りに貸長屋かしながやが数軒附いていた。もう一つは本郷千駄木せんだぎ町であった。
もし帽子をかぶらない男が突然彼の行手を遮らなかったなら、彼は何時もの通り千駄木せんだぎの町を毎日二へん規則正しく往来するだけで、当分外の方角へは足を向けずにしまったろう。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
料理屋れうりや萬金まんきんまへひだりれて眞直まつすぐに、追分おひわけみぎて、むかうへ千駄木せんだぎいたる。
弥次行 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
東北では岩手県の遠野とおの地方などは千駄木せんだぎ、西のほうでは長崎県の下五島久賀島しもごとうひさかじま、佐賀県では厳木きゅうらぎの山村、大分県でも玖珠郡くすぐんの村々などにこの雨乞いがあり、それをセンダキというのもあるが
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
千駄木せんだぎ時代に、よくターナーの水彩など見せられたころ、ロゼチの描く腺病質せんびょうしつの美女の絵も示された記憶がある。
柿の種 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
然るに夏目氏は朝日新聞の関係を絶つ事かたくして交渉まとまらずまた森先生より小生に頼むやうにと義塾の人が千駄木せんだぎを訪問したる時、森先生のいはるるには
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂だんござかの上から、左へ折れて千駄木せんだぎ林町はやしちょうの広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
この世尊院という寺は本郷ほんごう駒込千駄木せんだぎに今でもあります。
千駄木せんだぎもりなつひるくらき。
森の紫陽花 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
何年頃であったか忘れてしまったが、先生の千駄木せんだぎ時代に、晩春のある日、一緒に音楽学校の演奏会に行った帰りに、上野の森をブラブラあるいて帰った。
蛙の鳴声 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
後年夏目先生の千駄木せんだぎ時代に自筆絵はがきのやりとりをしていたころ、ふと、この伯母おばのたぬきの踊りの話を思い出して、それをもじった絵はがきを先生に送った。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
千駄木せんだぎ早稲田わせだの先生の家における、昔の愉快な集会の記憶が背景となって隠れているであろう。
夏目漱石先生の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
千駄木せんだぎへ居を定められてからは、また昔のように三日にあげず遊びに行った。
夏目漱石先生の追憶 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
千駄木せんだぎの泥濘はまだ乾かぬ。これが乾くと西風が砂を捲く。この泥に重い靴を引きずり、この西風に逆らうだけでも頬が落ちて眼が血走る。東京はせちがらい。君は田舎が退屈だと言って来た。
イタリア人 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)