勅使ちよくし)” の例文
一方いつぽう勅使ちよくし宮中きゆうちゆう參上さんじようして、その一部始終いちぶしじゆうまをげて、かの手紙てがみくすりをさしげました。
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
今も我があたりにて老女らうぢよなど今日けふは布を市にもてゆけなどやうにいひて古言こげんものこれり。東鑑あづまかゞみあんずるに、建久三壬子の年勅使ちよくし皈洛きらくの時、鎌倉殿かまくらどのより餞別せんべつの事をいへるくだり越布ゑつふたんとあり。
差上しに二條家御感ぎよかんの餘り其まゝ奏聞そうもんなし給へば賤敷いやしき女にもかゝ風流ふうりう有けるよと即座そくざに御うた所へつかはされ歌仙かせんくはへさせられ又北面ほくめん北小路きたこうぢ從五位下東大寺とうだいじ長吏ちやうり若狹守藤原保忠わかさのかみふぢはらやすたゞ 勅使ちよくしとして祇園へいたり 勅使なりと聲を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
使つかひがかへつてそのとほりをまをげると、みかどおきな同情どうじようされて、いよ/\十五日じゆうごにちると高野たかの少將しようしようといふひと勅使ちよくしとして、武士ぶし二千人にせんにんつて竹取たけとりのおきないへをまもらせられました。
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
 勅使ちよくしとして石清水いはしみづへ御參向の御道筋なれば豫々かね/″\みちはし修繕等是有るべきの處右の始末しまつ勿々なか/\言語ごんごたえたる事急ぎ此趣き關東へ申達し江戸表の御差※さしづに任せ申べき間然樣さやう心得られ此段丹後守殿へ申達さるべしと仰々ぎやう/\しく云ければ勘解由かげゆは甚だ當惑たうわくの體にて此儀江戸表へ伺ひ候存じ寄に候は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
おきなめようとあがくのをひめしづかにおさへて、形見かたみふみいておきなわたし、またみかどにさしげるべつ手紙てがみいて、それにつき人々ひと/″\つて不死ふしくすり一壺ひとつぼへて勅使ちよくしわたし、あま羽衣はごろも
竹取物語 (旧字旧仮名) / 和田万吉(著)
退き到着の旨老中方へ御屆けに及びけるに大岡越前守殿役宅やくたくまかり出べき段御達に付勘解由は翌日未明みめいに南町奉行所へ出にける大岡殿出座しゆつざ有て其方事先達て 勅使ちよくし石清水いはしみづ八幡宮へ御參向のみぎり日野家歸路の災難に付種々しゆ/″\取扱ひ其節金三千三百兩同家へおくりしと云ふ事相違なきやと訊尋たづねられしかば勘解由は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)