丹羽にわ)” の例文
「お席へおかえり下さいまし。信忠のぶただ様。信澄のぶずみ様。また丹羽にわどのを始めとして諸将方、手もちぶさたに、お控えでいらっしゃいます」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
城主丹羽にわ長国は、置物のようにじっと脇息きょうそく両肱りょうひじをもたせかけて、わざとあかりを消させた奥書院のほの白いやみの中に、もう半刻はんとき近くも端座しなが
十万石の怪談 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
明治二十四年十月二十八日濃尾大地震の前に、愛知県丹羽にわ楽田がくでん村の水を落した田の中から無数のドジョウが出て来た(明治二十四年愛知県震災誌)。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
中で記してよいと思うものの一つに「端折傘つまおりがさ」があります。丹羽にわ扶桑ふそう村で作られます。産額は大きくないとしても、傘の類では日本一とたたえてよいでありましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
向島むこうじま白鬚しらひげ神社の境内に毅堂の姓名を不朽ならしめんがため、その事蹟と家系とを記した石碑が今なお倒れずに立っている。鷲津氏の家は世々尾張国おわりのくに丹羽にわ郡丹羽村の郷士ごうしであった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
(日本風俗志。愛知県丹羽にわ郡池野村)
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「あっ、丹羽にわさん」
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
意富おおおみ小子部ちいさこべの連・坂合部の連・火の君・大分おおきたの君・阿蘇あその君・筑紫の三家みやけの連・雀部さざきべの臣・雀部のみやつこ小長谷おはつせの造・都祁つげあたえ伊余いよの國の造・科野しなのの國の造・道の奧の石城いわきの國の造・常道ひたちの仲の國の造・長狹ながさの國の造・伊勢の船木ふなきの直・尾張の丹羽にわの臣・島田の臣等の祖先です。
丹羽にわ五郎左衛門長秀は、船楼に立っていたが、ふと湖北に連なる一山から立ち昇る黒煙くろけむりに、思わず声を大にして、左右へ訊ねた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大正十四年乙丑いっちゅうノ歳晩予たまたま有隣舎ゆうりんしゃその学徒』ト題シタル新刊ノ書ヲソノ著者ヨリ恵贈セラレタリ。著者ハ尾張国おわりのくに丹羽にわ郡丹陽村ノ人石黒万逸郎氏トナス。余イマダ石黒氏ト相識あいしラズ。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
柴田、羽柴、丹羽にわ、滝川、と左右両座にわかれて向いあい、以下、池田勝入しょうにゅう、細川藤孝、筒井順慶、蒲生氏郷がもううじさと、蜂屋頼隆など居流れていた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かれの予想ははずれなかった。秀次隊を一挙にみじんとした徳川勢の水野みずの大須賀おおすが丹羽にわ榊原さかきばらの諸隊は、騎虎きこの勢いをもって殺到した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹羽にわ、柴田、前田、佐久間などの側臣さえ、信長の真意は分っていなかったであろう。——薄々さとっていたかと思われるのは、家康だけであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長のその一言で、総奉行は丹羽にわ五郎左衛門以下、協力の割当、役人、諸職の担当など、すべて一度で決ってしまった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(以後、木下の姓をかえて、羽柴はしばと名のれ。丹羽にわ五郎左衛門の一字と、柴田修理勝家しばたしゅりかついえが一字をとり、羽柴と申すがよい)
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その以前、信長の在世中には、柴田、丹羽にわ、滝川と、際立きわだって、羽振りのよかった一人だけに、かれの没落は、また一歩の時の推移を思わせたものだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「大坂表の丹羽にわどのから、早馬のお使いが着かれております。すぐ御返書をいただいて、即刻、立ち帰らねばと、しきりに急いだり案じたりしておりまする」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それは、かれにとって、忘れ難い大先輩でもあり、恩人でもあり、また蔭の協力者でもあった丹羽にわ五郎左衛門長秀が死んだというらせをうけたことである。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とばりを覗くと、そこには丹羽にわ、柴田、佐久間、その他の重臣がみな詰め合っていた。じろりと冷ややかな眼が、一斉に、新しく抜擢ばってきされた一将校の彼にそそがれた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おそらく、現江戸町奉行丹羽にわ遠江守は、年内に切腹するだろうと、取沙汰されていたくらいだからである。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いかに三木の三道をふさいでも、毛利の兵糧船は摂津の花隈はなくまあたりから兵糧を上げて、丹羽にわを越え、淡河を経、その方面から難なく城中へ物を送り入れるでしょう
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
気にもかけていまいが、こんど安土を立つに際して、前田又左衛門利家とか、丹羽にわ五郎左衛門長秀とか、堀久太郎秀政とか、長谷川宗仁そうじんといったような人々は
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
折も折、その信澄は、信長の第三子神戸かんべ信孝や、丹羽にわ長秀などと共に、阿波、中国への出軍のよそおい成って、今しも住吉の浦から兵船に乗ろうとしているところだった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柴田、滝川は遠隔にあり、徳川は自国へ退き、細川、筒井の向背こうはいは知れず、丹羽にわは大坂表にあって織田信澄おだのぶずみを始末したという風聞のみで、これもそれ以上に出ていない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
越前の援けは遠し、叡山とは湖の隔てがあり、そして今浜にはわが織田家の丹羽にわ五郎左衛門あり、ここには木下藤吉郎がいるものを。……はははは、浅慮あさはかな人々ではある
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
接待役の丹羽にわ長秀、堀久太郎、菅屋九右衛門などの真心に無上な感謝を抱きながらも、時折、ふと物足らないものを覚えて、ついそれを座談のうちに信長へただしてしまった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこを越えて、越前へはいった信長軍の主力は、丹羽にわ五郎左衛門長秀ながひでと、羽柴筑前守秀吉はしばちくぜんのかみひでよし
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹羽にわ五郎左衛門などの諸将が、光秀をたすけて、年来、りくずしにかかっていたが、波多野秀治は、時に帰順したり、時には反抗したり、またたちまち、勢威をさかんにして来たり
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
相伴しょうばんには、丹羽にわ五郎左衛門と長谷川はせがわ丹波守。それに、医師の道三どうさんがおつめという顔ぶれ。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、秀次の援護にいそいだが、徳川の水野みずの隊、丹羽にわ隊が、猛然、これにぶつかって来て
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「滝川一益などは、武門の風かみにもおけぬ奴ではある。伊勢の小郷士こごうしより、父の信長に取り立てられ、柴田しばた丹羽にわらと並ぶような地位と恩顧おんこを給わりながら……恩義もわすれて」
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
短銃をつかんでいた者こそ、すなわち人穴ひとあな以来、呂宋兵衛の軍師格ぐんしかくとなっている丹羽にわ昌仙——ああ好漢、木隠龍太郎、とうとうかかる無名の野軍師のぐんしと、あいちになってしまったか?
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葉栗郡はぐりぐんの和田とか、丹羽にわ郡の中島豊後ぶんごとか、清洲きよすで用いられない不平組を語らって、叛旗はんきをひるがえし、ひそかに美濃の斎藤家へ内通していた。同族だけに、始末のわるい存在なのである。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長のことばに、ひたいを畳につけたまま、見上げも得ずにいる侍は、お座之間の次に姿を置いていた。いましがたこれへ、信長の三男信孝と丹羽にわ長秀の書をもたらして来た大坂表からの使いである。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「えッ、中村。じゃあそう遠くもない。おらは丹羽にわ御器所ごきその生れだ」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉でさえ、北陸の丹羽にわ長秀へ出した指令の文の一節には
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「柴田勝家、滝川一益、丹羽にわ郎左ろうざ池田信輝いけだのぶてる
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
丹羽にわ、前田も、あまんじて麾下きかにひざまずく。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)