一場いちじょう)” の例文
帽子を目深まぶかに、外套がいとうの襟を立てて、くだんの紫の煙を吹きながら、目ばかり出したその清い目で、一場いちじょうの光景をきっみまもっていたことを。
政談十二社 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それと共に、みだりに自分でこしらえたこの一場いちじょうの架空劇をよそ目に見て、その荒誕こうたん冷笑せせらわらう理智の力が、もう彼の中心に働らいていた。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
女流の文学者と交際し神田青年会館に開かれる或婦人雑誌主催の文芸講演会にのぞ一場いちじょうの演説をなす一段に至って、筆をいて歎息した。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そしてかかる惨劇の起る動機はと問えば、多くは地上の権力者のただ一片の野心、ただ一場いちじょうの出来心に過ぎないのである。
いわばそれらが舞台をなし、いつかしら、ここの群集のうえには、一場いちじょうの法楽の天国が、理窟なしにりていた。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かくに幕府が最後の死力を張らずしてその政府をきたるは時勢に応じて手際てぎわなりとて、みょうに説をすものあれども、一場いちじょう遁辞とんじ口実こうじつたるに過ぎず。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
中川「しかし一場いちじょうの談話位ではとても委しい事を申上げられません。西洋の料理法には必ず養鶏法の伴うものですから私も近い内に家庭の養鶏法と題する書物を ...
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
動かしたのなら有難いけれども多分一場いちじょうの笑い草にしてやろうというなぐさみ半分のいたずらであるとしか思えなかったしそれに人前で聴かせるほどの自信もなかった。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
妾にも一場いちじょうの演説をとの勧めいなみがたく、ともかくもしてめをふさぎ、更に婦人の設立にかかる婦人矯風会きょうふうかいに臨みて再びつたなき談話を試み、一同と共に撮影しおわりて
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
その後故あって廃業して仕舞い一場いちじょう昔譚むかしばなしを今日に残したその妻も今はく亡き人の数に入った。
その小乗の教は一切の事皆式に依りて行へとなり。孔子の道も孝悌こうてい仁義じんぎより初めて諸礼法は仏家の小乗なり。その一以貫之いつもってこれをつらぬくは此教を一にして執中しっちゅうに至り初て仏家大乗の一場いちじょうに至る。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
こうしている内にも、女中がこちらへやって来ないものでもない。そうすれば彼は夢の様に助かることが出来るのだ。この苦しみを一場いちじょうの笑い話としてすまして了うことが出来るのだ。
お勢登場 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
潮音の旧い社友で、土地の歌壇で元老株のお医者さんの山下秀之助やましたひでのすけ君が一場いちじょうの歓迎の辞を述べて、これが済むと、また皆が私の方を向く。講演は嫌いだから初めからお断りしてある。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
そこへ前垂掛まえだれがけの米屋の主人が、「おなべや、お鍋や」と手を打ちながら、彼自身よりもの高い、銀杏返いちょうがえしの下女を呼び出して来た。それから、——筋は話すにも足りない、一場いちじょうにわかが始まった。
将軍 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
正賓はあばらきずつけられて卒倒し、一場いちじょうは無茶苦茶になった。
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
彼は一場いちじょう風波ふうはが彼にもたらしたこの自信を抱いてひそかに喜こんだ。今までの彼は、お延に対するごとに、苦手にがての感をどこかに起さずにいられた事がなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
... 私は一場いちじょう茶話さわだと思っていましたが上等のアイスクリームは全く紙へ包めるものでしょうか」お登和嬢
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
で——時には、彼らを、床に坐らせ、師範席から高く見おろして、一場いちじょう訓諭くんゆれることがある。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただその命名につきて一場いちじょうの奇談あり、迷信のそしまぬかれずとも、事実なればしるしおくべし。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
あの手負いが、今まで人に気づかれぬはずはありませんから、その噂が耳ざとい女中達につたわっていないとすると、昨夜の事は、いよいよ一場いちじょうの悪夢に過ぎなかったのかも知れません。
湖畔亭事件 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
妾宅の台所にてはお妾が心づくしの手料理白魚の雲丹焼うにやきが出来上り、それからお取りぜんの差しつ押えつ、まことにお浦山吹うらやまぶきの一場いちじょうは、次のまきの出づるを待ち給えといいたいところであるが
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「くれぐれも、こよいのことは、水にながされよ。——北ノ庄殿へはわしから申した。なんの、大腹な筑前どののこと、若い者の一場いちじょう戯言ざれごとなどに気を悪うするものかと」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼には夫人の持ってくる偏見と反感を、一場いちじょうの会見で、充分引繰ひっくかえして見せるという覚悟があった。少くともここでそれだけの事をしておかなければ、自分の未来が危なかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
妾は近頃になく心の清々すかすがしさを感ぜしものから、たとえばまなこを過ぐる雲煙うんえんの、再び思いも浮べざりしに、はからずも他日たじつこの女乞食と、思いもうけぬ処に邂逅であいて、小説らしき一場いちじょうの物語とは成りたるよ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
そこには実に、殆ど信ずべからざる、一場いちじょうの物語があるのです。
パノラマ島綺譚 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
と、そこの門扉もんぴへ、一せんを射て引っ返した、などという一場いちじょうの勇壮なる話もある。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし「菊池千本槍」の起りは、そんな考証にかかわりなく、箱根竹ノ下の合戦のさい、必要上、非常手段として、それに似た物をつかったという一場いちじょうの戦場談から始まったものだった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)