いみな)” の例文
中にも『喫茗雑話』から抄したものは、漁村の撰んだ抽斎の墓誌の略で、わたくしはそのうちに「道純いみな全善、号抽斎、道純そのあざななり
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
天民名ハ行、常陸ひたちノ人ナリ。袁子才えんしさいヲ景倣シテ詩仏ト号ス。天民ノ父いみなハ光近医ヲ業トシ宗春ト称ス。江戸ニ来ツテ銀街ニ僑居きょうきょス。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
建文皇帝いみな允炆いんぶん、太祖高皇帝の嫡孫なり。御父おんちち懿文いぶん太子、太祖にぎたもうべかりしが、不幸にして世を早うしたまいぬ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「おお……よく読んだ。よく読んだ。その忠の一字をその方に与える。余のいみなじゃ。今日より塙代与一忠純と名乗れい」
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
幼名を頼助、後に恒太郎、いみな明義めいぎ、またうんと称して、四十六歳以後は、その芸の字劃を二つにわけて草雲そううんと号した。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「未練の仰せなり、きみのおんいみなおかしてふせぎ矢つかまつるあいだ、此処はいかにもして浜松へ退きたまえ、ごめん」
死処 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
会沢伯民は、いみなやすし、通称正志斎とも言はれた。東湖その他の水戸学者の稜々たる野性ぶりとは違つて、温厚篤実、心の底からの学者肌の人であつた。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
東亜の詩人は青蓮にたとえる。一々のいみなは汝の附くるに任せる。ねがわくばその実を逸脱せざらんことを。わたくしのる如くば、それは真夏の際の湖水である。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
これに止らず、「いみなという名もあり、為替、請願書、証文、契約書等にこれを用いる。
いみなは尊子、勝山、諱は張子など記しあるも、遊女の本名をらすと、彼はわが妻になる約束ある者など言い掛くる者が出るから、尊者の忌名と等しく隠した故、諱と書いたのだ。
いみな勝道しょうどう。日光山の開祖でござって、姓は若田氏わかたうじ同国どうこく芳賀郡はがごおりのお生れですナ。
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それは山と石の字を合わすと岩の字になるが、それは呂仙のいみなであった。
劉海石 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
今日この思想は絶滅して、わずかに天子様の御いみなだけについて残っております。西洋ではこの慣習は昔から全然なく、国王でもチャーレスとかウィルヘルムとか呼ぶことが許されたのであります。
名字の話 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
系ハ県主稲万侶あがたぬしいねまろヅ。稲万侶ノ後裔こうえい二郎左衛門尉さえもんのじょう直光知多郡鷲津ノ地頭じとうル。よっテ氏トス。数世ノ孫甚左衛門いみな繁光うつツテ今ノむらニ居ル。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
不詳つまびらかならずいみなは俊良、あざなは基昌、梅泉又浣花道人とも号す。通称彦二郎。来舶清人稼圃江大来かほこうたいらいに学び、親しく其法を伝ふ。歿年闕く。右不取敢御返事申上候。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
衆臣驚きおののきて面々あいるばかり、しばらくはものいう者も無し。やゝありて天子、数なり、とおおせあり。帝のいみな允炆いんぶん応文おうぶんの法号、おのずから相応ずるが如し。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ならば、どうして父が子へ宛てて書いた返信に“蔡京”といみなの印をしましょうぞ。すなわち、人のいみなは、目上にたいして、みずからを卑下するばあいにのるもの。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また支那で虎を李耳りじと称う、晋の郭璞かくはくは〈虎物を食うに耳にえばすなわちむ、故に李耳と呼ぶ、そのいみなに触るればなり〉、漢の応劭おうしょうは南郡の李翁が虎に化けた故李耳と名づくと言ったが
九蔵宗範の後嗣を鷲津長右衛門光敏みつとしという。光敏の後に同じく長右衛門光敏と名付けられたものが二代つづいて、その次男に名を幸八、いみなを応と称するものがある。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
勝三郎はついで明治二十九年二月五日に歿した。年は七十七であった。法諡ほうし花菱院照誉東成信士かりょういんしょうよとうせいしんしという。東成はそのいみなである。墓は浅草蔵前くらまえ西福寺さいふくじ真行院しんぎょういんにある。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「わがいみな(実名)の一字をとらす。……以後は、高氏をあらためて、尊氏たかうじとなすがよい」
われ初て南岳とまじわりていせしは明治三十二年の頃清朝の人にして俳句を善くしたりし蘇山人羅臥雲そさんじんらがうん平川天神祠畔ひらかわてんじんしはんの寓居においてなりけり。南岳いみなとおる野口幽谷のぐちゆうこくの門人なり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
「——先帝の名はなり。備は、そなうるなり、またそなうるを意味す。後主のいみなは禅にしてゆずるの意をもつ。すなわち禅り授くるなり。劉氏は久しからずしてまさに他へそなゆずるべし」
三国志:12 篇外余録 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
只天保十二年に歿した昌八郎光芳と云ふものがあつて、たま/\訒堂のいみなを通称としてゐたのみである。徳見茂四郎は長崎から西湖の柳を茶山に送ることを約して置きながら、久しく約を果さなかつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
ましておおやけな意を持つ書翰、地方の奉行へやる大臣の下文くだしぶみに、いみなの印はつかわない!
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
名は燿蔵ようぞういみな忠輝ただあき、号を胖庵ばんあんといい、祭酒さいしゅ述斎じゅつさいの第二子である。弘化二年十月罪を獲て改易かいえきとなり、その身は讃州丸亀まるがめの領主京極きょうごく氏の藩中に禁固せられた。時にその年五十歳であった。
枇杷の花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
或は政達が即ち力之助のいみなではなからうか。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
それに父上からご子息へ宛てたご書面に、どうしていみなノ印をされましょうか。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)