行者ぎやうじや)” の例文
而して駒ヶ嶽登臨の客は多くこの地よりするを以て、夏時かじ白衣はくい行者ぎやうじや陸續としてくびすを接し、旅亭は人を以てうづめらるゝと聞く。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
あとじさりに、——いま櫛卷くしまきと、島田しまだ母娘おやこ呼留よびとめながら、おきな行者ぎやうじや擦違すれちがひに、しやんとして、ぎやくもどつてた。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
さるゆゑに不幸ふかうありて日のたゝぬいへにては、行者ぎやうじやのきたるをまちてものくはせんなど、いかにも清くしてまつ也。
社会主義は、理非曲直りひきよくちよくの問題ではない。単に一つの必然である。僕はこの必然を必然と感じないものは、あたか火渡ひわたりの行者ぎやうじやを見るが如き、驚嘆の情を禁じ得ない。
澄江堂雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
われは羅馬ロオマの七寺を巡りて、行者ぎやうじやともに歌ひぬ。吾情は眞にして且深かりき。然るをこれに出で逢ひたるベルナルドオは、刻薄なる語氣もて我に耳語していふやう。
何よりもおぼつかなきは御所勞ごしよらうなり。かまへて、さもと、三年みとせのはじめのごとくに、きうぢ(灸治きうぢ)させたまへ。やまひなき人も無常むじやうまぬかれがたし。たゞし、としのはてにあらず法華經ほけきやう行者ぎやうじやなり。
そそばしりゆく霜月しもつきや、專修念佛せんじゆねぶち行者ぎやうじやらが
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
他の人もかれがこしにはさみたるわらを見て行者ぎやうじやなる事をしり、むごんなれば言語ことばをかけず人々つゝしむ事也。
わし行者ぎやうじやでもなんでもないのぢや。近頃ちかごろまで、梅暮里うめぼりみぞて、あはせのえきつてましたが、きなどぶろくのたしにもらんで、おもひついた擬行者まがひぎやうじやぢや。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
えん行者ぎやうじやのやうに、雲にして飛ばしてくれる。
あるとき (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
田中のものこの武士が米俵を脊負せおひしものといひしをきゝて、心におぼえあればさてはと心づき、これかならず行者ぎやうじやばちならんと行者ぎやうじやたるあらましをかたりきかせ
其時そのとき荒坊主あらばうず岸破がば起上おきあがり、へさき突立つゝたツて、はつたとけ、「いかに龍神りうじん不禮ぶれいをすな、このふねには文覺もんがく法華ほつけ行者ぎやうじやつてるぞ!」と大音だいおんしかけたとふ。
旅僧 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
十九にはなるまい新姐しんぞさきに、一足ひとあしさがつて、櫛卷くしまきにした阿母おふくろがついて、みせはひりかけた。が、ちやう行者ぎやうじや背後うしろを、なゝめとりまはすやうにして、二人ふたりとも立停たちどまつた。
松の葉 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)