直参じきさん)” の例文
旧字:直參
また二箇月目に徳川将軍に謁見えっけんして、用人席にせられ、翌年両番上席にせられた。仲平が直参じきさんになったので、藩では謙助を召し出した。
安井夫人 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これは一方は直参じきさんのお旗下で、とにかく、お上品で三指式みつゆびしきに行こうというところへ、一方は西国大名の中でも荒い評判の鍋島なべしま藩中のお国侍
叔父はそれを聞いて、『なに仇討? それは大変なことを考えている。天下の直参じきさんとして、そんなことを聞き捨てにはならぬ』
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
「あれは貴様も知っている通り、駒井甚三郎の寵物かこいものだ、駒井は甲州勤番支配で三千石の芙蓉間詰ふようのまづめの直参じきさんだが、ここへ持ち出したのは大諸侯だ」
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それよりも、おぬしはもっと仏陀ぶっだ直参じきさんして、倖い、この沢庵をお取次に、真心の底を御仏みほとけに自首してみる心にはなれぬか
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雅楽頭うたのかみほどの人物が、兵部宗勝などを近づけ、兵部の子に自分の養女をめあわせ、一万石の直参じきさん大名にしたのはなぜか。
用人といっても、先々代は東照宮様御声掛り、直参じきさんに取立を断ったという石田帯刀いしだたてわき様で、陪臣またものながら大した家柄じゃ
農は神の直参じきさんである。自然のふところに、自然の支配の下に、自然をたすけて働く彼等は、人間化した自然である。神を地主とすれば、彼等は神の小作人である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
天子直参じきさんの上卿用たる衷甸両牡ちゅうじょうりょうぼの車に乗る。罪二つ。君の前にして裘を脱ぎ、剣をかずして食う。罪三つ。
盈虚 (新字新仮名) / 中島敦(著)
「名は言うな! 先方も直参じきさんの士、確たる実証の挙がるまでは、姓名を出すのも気の毒じゃ、万事、貴様とわしの胸に、な、わかっておる、わかっておる!」
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
維新の政変はお百姓の出世時しゅっせどきというようなことを、都会に生れたものは口にしていたが、「お百姓の出世」とは、幕府直参じきさんでない、地方ざむらいの出世という意味で
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
天下の直参じきさんの方が盲人の金を借りて居て出来ないから返せぬと仰しゃってははなはだ迷惑を致します、そのうえ義理が重なって居りますから遠慮して催促も致しませんが
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
なにしろもう幕末で幕府の方でも直参じきさんの家来を大切にする時でしたから、何事もみんな七蔵の罪になってしまって、市之助という人にはなんにもきずがつかずに済みました
半七捕物帳:14 山祝いの夜 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
徳川幕府直参じきさんの武士に「御家人ごけにん」というのがある。禄高は万石未満で、大名の列には加わらないが、その格式は大名の臣下すなわち将軍からは陪臣の武士等に比して、一段と高いものである。
幕府の直参じきさんかもしくは大国の守護へでもくれてやることならば、これまた怪しむに足らぬことで、すでに鎌倉時代にもその例多くあることであるが、東山時代になると必ずしも直参と限らず
「家へ帰ってマザーに訊いて見たら、御家人は小禄しょうろくながら直参じきさんだそうだ」
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
槍持ちの供をつれ、馬に乗った侍などが通ると、あれはどのくらいの身分で、直参じきさんか陪臣か、旅へ出るのか、ただの外出か。などと飽きずに追求した。
山彦乙女 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「……身に骨肉がないならば——父や母や兄弟や、そして家門や徳川家の直参じきさんなどという家統いえすじがないならば……」
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして徳の亡くなった跡へ山内氏五百いおが来ることになった。抽斎の身分は徳がき、五百がきたる間に変って、幕府の直参じきさんになった。交際は広くなる。費用は多くなる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
せても枯れても直参じきさんかおであることを、駒井がいまさら認めないわけにはゆきません。
大菩薩峠:34 白雲の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
清「中番町なかばんちょう外村金右衞門とのむらきんえもんと云う是はその直参じきさんと申しても小普請こぶしんで居ります、母方の縁類と云う訳でもなんでも有りませんがごく別懇に致しまして、両度程連れてきましたが夫へは多分参りますまい」
政談月の鏡 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
明窓浄几めいそうじょうきとはいかなくても、せめて庭に対してきょうづくえの一脚をすえ、それに面して書見するなり、ものにはならないまでも、詩箋のひとつもひねくろうというのなら、さすがは徳川幕下直参じきさんの士
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「西久保町の矢吹様、以前はれっきとした直参じきさんじゃが——」
それゆえ、主君しゅくん直参じきさん浜松城はままつじょうの人々に、その代試合だいじあいをいらいするが、そのけん異存いぞんがあるならしょうちできぬ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伊達兵部と田村右京は、亀千代の後見になったとき、両者とも幕府直参じきさんとなり二万石ずつ加増された。
弘化元年は抽斎のために、一大転機をもたらした。社会においては幕府の直参じきさんになり、家庭においては岡西氏徳のみまかった跡へ、始て才色兼ね備わった妻が迎えられたのである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その翌日になって、米搗きが急に昇格して、関守氏附きの直参じきさんとなりました。
「相手は小身でも直参じきさんだ。町方の岡っ引じゃ手が出せねえ」
酒もあるおんなもある。そして客は五人程の旗本で、直参じきさんでない者は、その中に小山田庄左衛門一人だけだった。
濞かみ浪人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
故主こしゅうもとに帰参しようとも思い、また才学を負うた人であるから、首尾くは幕府の直参じきさんにでもなろうと思って、機会をうかがっていたのである。そして渋江の家はその策源地であった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これらの連中は、大小高下にかかわらず、いずれも直参じきさんという気性は持っている。慷慨義憤の士というわけではないが、宗家が辱しめられるということになると、決していい気持はしない。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「しかし、現に一ノ関は一万石の直参じきさん大名ではないか」
「——公儀直参じきさん——一宮——隼人様」
天保の飛行術 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
思うにそれらは、かつての熊野山伏の徒だの、また十津川、吉野いらいの、木寺相模、矢田彦七、平賀三郎、野長七郎、岡本三河坊といったような直参じきさん中の直参たちか。
れっきとした幕府の直参じきさんなんだから、紹介があったとて、人に教授などの余裕はない人なんだが、あの男は、たしかに英語が出来た、あのくらい出来たのは、当時でも、今日でも、まずあるまい
兎も角も直参じきさんに取り立てられた
身内の侍が急を城下の直参じきさんへ告げたものとばかり思っていたところ、何ぞ計らん、如月きさらぎの寒夜をいんいんと鳴り渡った鐘と共に、稲葉山の山下を十重二十重にかこんだ兵は
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、おれは天下の直参じきさんであるのに、いつもピーピーで、三両五両の小遣こづかいにも困らされがちなのに、七万両だの、二十五万ドルだの、百万両だのと、金銀を土瓦のように舌頭であしらっている。
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「いやはや、つまらぬ客呼びをした。いずれも鎌倉直参じきさんとか、国持ち大名だとかいっているが、あんな手輩てあいが、それぞれ何千騎もようして、何か考えているのだから、すさまじい」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天下の直参じきさんだという気位はドコかにひらめかないという限りはない。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「おのれ、あれなるは、たしかに呂布」と、さえぎる雑兵を蹴ちらして、呂布の立っている高地へ近づこうとしたが、董卓とうたく直参じきさん李傕りかくが、横合いの沢から一群を率いてどっと馳けおり
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
錦小路殿(直義ただよしの邸)の方へ駈けつけてゆくのもあり、そこにはすでに、上杉重能、畠山直宗、その他、日ごろ称して、副将軍直参じきさん宗徒むねとといっている面々がひしひし、附近をかためていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松下嘉兵衛かへえなどは、義元直参じきさん旗下はたもととはちがい、地侍の被官ひかんだったが、それでも、日吉の知っている清洲きよすや、那古屋なごやや、岡崎あたりの邸とは、比較にならぬ程、どこか豊かだし、客足も多く
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉とその直参じきさんたちの間がらであった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)