棚曳たなび)” の例文
上杉の隣家となりは何宗かの御梵刹おんてらさまにて寺内じない広々と桃桜いろいろうゑわたしたれば、此方こなたの二階より見おろすに雲は棚曳たなびく天上界に似て
ゆく雲 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
東洋の端にある日本のことなどかすみ棚曳たなびいた空のように、空漠くうばくとしたブランクの映像のまま取り残されているのだと梶は思うと、その一隅から
厨房日記 (新字新仮名) / 横光利一(著)
ことに私どもの研究室の中では、宇宙線がかすみのように棚曳たなびいている。恐らく街頭で検出できる宇宙線の何百倍何千倍に達していることだろうと思う。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
梅林の奥、公園外の低い人家の屋根を越して西の大空一帯に濃い紺色の夕雲が物すごい壁のように棚曳たなびき、沈む夕日は生血なまちしたたる如くその間に燃えている。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
さながら筆洗ひっせんの中で白筆はくひつを洗ったように棚曳たなびき、冴え渡った月は陳士成に向って冷やかな波をそそぎかけ、初めはただあらたに磨いた一面の鉄鏡に過ぎなかったが
白光 (新字新仮名) / 魯迅(著)
火をたいている青い烟は微かに棚曳たなびいて深山みやまの谷に沈んでいる。一人の悪者は、捕われた男の前に立って両腕を組んでいる。この間互に一言も言い交わさなかった。
捕われ人 (新字新仮名) / 小川未明(著)
雲の棚曳たなびいている小仏峠の下を見ると、道の両側に宿場の形をなした人家があります。両側の家の前には、水のきれいな小流れが、ちょろちょろと走っています。
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
棟のあたりに青い煙を棚曳たなびかしていた。人が棲みついてかしいでいることを語っているのだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
いずれにせよ、不思議なばかり奕々えきえきたる人気の彩霞さいかが、本能寺の惣門からいらかにまで棚曳たなびいているのは事実である。夜霧へすそこからの天明そらあかりは、尿小路いばりこうじの裏町からも仰がれるほどだった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
はるか樹間このまの村屋に炊煙すいえん棚曳たなびくあり。べにがら色の出窓に名も知れざる花の土鉢をならべたる農家あり。丘あり橋あり小学校あり。製材所・変圧所・そして製材所。アンテナ・アンテナ・アンテナ。
踊る地平線:05 白夜幻想曲 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
春雲しゅんうん棚曳たなびき機婦は織りめず
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
上杉うへすぎ隣家となり何宗なにしうかの御梵刹おんてらさまにて寺内じない廣々ひろ/\もゝさくらいろ/\うゑわたしたれば、此方こなたの二かいよりおろすにくも棚曳たなび天上界てんじやうかい
ゆく雲 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
参木はその人のながれの上に棚曳たなびいたうす霧の晴れていくのを見ていると、秋蘭と別れる時の近づいたのを感じた。彼は秋蘭の部屋の緞帳どんちょうを揺すった。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
この研究室に棚曳たなびいている宇宙線が私の生理状態を変えてしまって、そして妊娠という現象が男性の上に来たのだ。
(新字新仮名) / 海野十三(著)
御愁傷ごしゅうしょうといふやうに聞え候て、物寂しき心地致され申候。雨あがりの三日月みかづき、夕焼雲の棚曳たなびくさまもの大木の梢に打眺め候へば誠に諸行無常しょぎょうむじょうの思ひに打たれ申候。
榎物語 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
祇園ぎおんから八坂やさかの塔の眠れるように、清水きよみずより大谷へ、けむりとも霧ともつかぬ柔らかな夜の水蒸気が、ふうわりと棚曳たなびいて、天上の美人が甘い眠りに落ちて行くような気持に
数羽の山鴨やまがもすずめの群れが柳の中から飛び立った。前には白雲を棚曳たなびかせた連山が真菰まこもと芒の穂の上に連っていた。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
細く霞のように上庭じょうていの一部に棚曳たなびき、鼻は、ほんの申しわけに中央に置かれ、その代り比倫ひりんを絶して大きいのはその口と唇で、大袈裟にいえば、夜具の袖口ほどあります。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
富士山は天主の背後に棚曳たなびかすみの上(図の左端)に高く小さく浮びいださしむ。この図を一見して感受する所のものは遠近法に基く倉庫及び運河の幾何学的布局より来る快感なり。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その時、突然対岸からは銅鑼どらがなった、すると、尾に火をつけられた一団の野牛の群れが、雲のように棚曳たなびいた対岸の芒の波を蹴破って、奴国の陣地へ突進して来た。
日輪 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それをへだてて上野の森は低く棚曳たなびき、人や車は不規則にいかにも物懶ものうくその下の往来に動いているが、正面にそびえる博覧会の建物ばかり、いやに近く、いやに大きく、いやに角張かどばって
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
弁信さん——いま富士山の頭からかおを出したのはお前だろう、なんて——あの子が海岸をせめぐって、夕雲の棚曳たなびく空の間に、私の面を見出して、飛びついたりなぞしている光景が、私の頭の中へ
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
なし薄暮風収まる時きそって炊烟すいえん棚曳たなびかすさままさ江南沢国こうなんたくこくの趣をなす。
彼の師たる北斎は和蘭陀画の感化を喜ぶ事決して北寿に劣るものならざれども後年に至るもなほしばしば日本在来の棚曳たなびく霞をよこたはらしめて或時は不必要と認むる遠景を遮断しゃだんするの方便となし
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
横ざまに長く棚曳たなびく雲のちぎれが銀色に透通すきとおって輝いている。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
横ざまに長く棚曳たなびく雲のちぎれが銀色に透通すきとほつて輝いてゐる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
棚曳たなびかすさま正に江南沢国かうなんたくこくおもむきをなす。
水 附渡船 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)