“本(も)” の例文
雛遊は本(も)と女子に、成人後、人の妻たり、母たる道を學ばしめた戯れ(骨董集上編下前。日次紀事、三月三日の條。昔々物語合考)
蓮の花開く音を聴く事 (旧字旧仮名) / 南方熊楠(著)
当時の東京商業学校というは本(も)と商法講習所と称し、主として商家の子弟を収容した今の乙種商業学校程度の頗る低級な学校だったから
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
どふか其者ハ大坂町奉行より長崎健(タテ(立))山奉行への手紙を懐中仕候よし、尤御召捕ニ相(ママ)候はずの御事ニ候。然ニ彼者本(も)ト悪心無レ之ものにて候。
原註。「イル、カワリエル、セルヱンテ」又「チチスベオ」、今侍奉紳士と翻(ほん)す。此俗本(も)とジエノワ府商賈(しやうこ)より出づ。
彼自(みず)から曰く、「我れ本(も)と一丈夫、豈(あ)にその元(こうべ)を喪(うしな)うを忘れんや」と、彼は自(みず)から死を決して徴命に応じたり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
“茶屋町——本(も)と、並木町の内也。寛永十九年、浅草観音堂焼失し、正保四年、再造の時、堂の南方を火除地となし、雷神門(かみなりもん)内に在りたる町家を並木町に入る。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
〔譯〕理は本(も)と形(かたち)無し。形無ければ則ち名無し。形ありて後に名有り。既に名有れば、則ち理之を氣と謂ふも、不可無し。故に專ら本體(ほんたい)を指せば、則ち形後(けいご)も亦之を理と謂ふ。
右一行中小西技師は躰量(たいりやう)二十三貫の大躯(たいく)なれ共常(つね)に県下巡回(じゆんくわい)の為(た)め山野の跋渉(ばつせう)に慣(な)れ、余の如(ごと)きは本(も)と山間の産(さん)にして加(くわ)ふるに博物採集(はくぶつさいしう)の為(た)め深山幽谷を跋渉(はつせう)するの経験(けいけん)に積(つ)み
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
本(も)と/\が空腹(すきはら)に酒を飲んだやうなものでグデン/\に騒ぎ立つた挙句が嘔吐(へど)を吐(は)いて了うとヘタ/\に弱つて医者の厄介になると同様だ。
青年実業家 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
寡婦言う、本(も)とこれを以てにあらずと、すなわち具(つぶ)さに情を以て告ぐ。阿那律言う、姉妹よ我等はまさにこの悪業を作(な)すべからず、世尊の制法もまた聴(ゆる)さざる所なりと。
“田原町一丁目——此地は本(も)と千束郷広沢新田の内にして浅草寺領の田畝に係り、居民農隙を以て紙漉(かみすき)を業とし、紙漉町と称せしが、後漸く人家稠密となるに及び、三箇所に分ち
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
意気(いき)の凛然(りんぜん)たる一行中尤著(いちじ)るし、木村君は初(はじ)め一行に向(むか)つて大言放語(たいげんはうご)、利根の険難(けんなん)人力の及(およ)ぶ所に非(あら)ざるを談じ、一行の元気を沮喪(そさう)せしめんとしたる人なれ共、本(も)と水上村の産にして体脚(たいきやく)強健(きやふけん)
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
美妙は本(も)とが韻文家であって韻語に長じ、兼ねて戯文の才があったから、それだけ従来の国文型が抜け切れない処があった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
靈飯に鹽を避け、土鍋を用て炊ぐも、本(も)と亡靈が鹽と鐵を忌むとせしに出るならん。
塩に関する迷信 (旧字旧仮名) / 南方熊楠(著)
美妙と紅葉とは本(も)と同じ町に育って同じ学校に学び、或(ある)時は同じ家に同宿して同じ文学に志ざし、相共(あいとも)に提携して硯友社を組織した仲であった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
この蓮花池は本(も)とドブ溜だつたが、雨夜忽ち蓮花が生じ香を放ち、又、其葉や莖を風が吹く聲を聞たと云ので、決して花が開く音を指たでなく、集成同卷に、青州府志、蓮花池在二玉交里中一
蓮の花開く音を聴く事 (旧字旧仮名) / 南方熊楠(著)
本(も)と本と二葉亭は軍事であれ外交であれ、左(と)に右(か)く何であろうとも東亜の舞台に立って活動したいのが夙昔(しゅくせき)の志であった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
淡島氏の祖の服部喜兵衛は今の寒月から四代前で、本(も)とは上総(かずさ)の長生(ちょうせい)郡の三(さん)ヶ谷(や)(今の鶴枝村)の農家の子であった。
この猫も本(も)とは皆川町時代に何処からか紛(まぐ)れ込んで来た迷い猫であって、毛並から面付(つらつき)までが余り宜(よ)くなかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
九段(くだん)の坂下の近角常観(ちかずみじょうかん)の説教所は本(も)とは藤本というこの辺での落語席であった。或る晩、誰だかの落語を聴きに行くと、背後(うしろ)で割れるような笑い声がした。
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
椿岳の大作ともいうべきは牛込の円福寺の本堂の格天井(ごうてんじょう)の蟠龍(はんりょう)の図である。円福寺というは紅葉の旧棲たる横寺町の、本(も)との芸術座の直ぐ傍の日蓮宗(にちれんしゅう)の寺である。
軽焼は本(も)と南蛮渡りらしい。通称丸山(まるやま)軽焼と呼んでるのは初めは長崎の丸山の名物であったのが後に京都の丸山に転じたので、軽焼もまた他の文明と同じく長崎から次第に東漸したらしい。
「あの家(うち)は本(も)とはお医者さんで、移転(ひっこ)したてに家の塀(へい)の角(かど)へ看板を出さしてくれとタウルを半ダース持って頼みに来た、」というと、「そんなら僕も看板を出さしてもらおうかナ」といった。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)