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ふりがな文庫
“
坂東
(
ばんどう
)” の例文
かれの部下には、奥州歴戦の老兵士だの、
坂東
(
ばんどう
)
そだちの荒武者が多い。子の義朝、
頼賢
(
よりかた
)
、頼仲などの名も、市人におそれられている。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天平勝宝七歳二月、
坂東
(
ばんどう
)
諸国の
防人
(
さきもり
)
を
筑紫
(
つくし
)
に派遣して、先きの防人と交替せしめた。その時防人等が歌を作ったのが一群となって此処に輯録せられている。
万葉秀歌
(新字新仮名)
/
斎藤茂吉
(著)
坂東
(
ばんどう
)
第二番の
巡拝所
(
じゅんぱいじょ
)
、名高い
霊場
(
れいじょう
)
でございますが、
唯今
(
ただいま
)
ではとんとその
旧跡
(
きゅうせき
)
とでも申すようになりました。
春昼
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
さて
弘
(
ひろ
)
めまするところは
神慮
(
しんりょ
)
神事
(
かみごと
)
なり、国は
坂東
(
ばんどう
)
の総社
常陸
(
ひたち
)
の国、鹿島大神宮の事触れでござる。
大菩薩峠:22 白骨の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「待て待て、まだ後があるんだ。……お前も見たはずだ、藪下の菊人形。……植半の小屋に
坂東
(
ばんどう
)
三津五郎の似顔にした『小鰭の鮨売』の人形があったが、お前、あれをどう思う」
顎十郎捕物帳:22 小鰭の鮨
(新字新仮名)
/
久生十蘭
(著)
▼ もっと見る
……公綱が行動を案ずるに、先般関東方我に破られ、面目を失して帰りし後、小勢にて向い来し志、生きて帰らぬ覚悟であろう。それに公綱は弓矢とっては、
坂東
(
ばんどう
)
一と称さるる人物。
赤坂城の謀略
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
菊之丞
(
きくのじょう
)
の
駕籠
(
かご
)
を一
町
(
ちょう
)
ばかり
隔
(
へだ
)
てて、あたかも
葬式
(
そうしき
)
でも
送
(
おく
)
るように
悵然
(
ちょうぜん
)
と
首
(
くび
)
を
垂
(
た
)
れたまま、一
足毎
(
あしごと
)
に
重
(
おも
)
い
歩
(
あゆ
)
みを
続
(
つづ
)
けていたのは、
市村座
(
いちむらざ
)
の
座元
(
ざもと
)
羽左衛門
(
うざえもん
)
をはじめ、
坂東
(
ばんどう
)
彦
(
ひこ
)
三
郎
(
ろう
)
、
尾上
(
おのえ
)
菊
(
きく
)
五
郎
(
ろう
)
、
嵐
(
あらし
)
三五
郎
(
ろう
)
おせん
(新字新仮名)
/
邦枝完二
(著)
宗良
(
むねなが
)
親王はいま信濃にあり、新田義貞の遺子や脇屋義助の遺臣も、
坂東
(
ばんどう
)
の野に伏して、時節を待つこと、すでに久しいものがある。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
十万余騎を三手に分けて三方より同じく
鬨
(
とき
)
を作る、入道
恵性
(
えしよう
)
驚きて
周章
(
あわ
)
て騒ぐ処へ、三浦兵六力を得て、江戸、
豊島
(
としま
)
、
葛西
(
かさい
)
、川越、
坂東
(
ばんどう
)
の八平氏、武蔵の七党を七手になし、
蜘手
(
くもで
)
、
輪違
(
わちがひ
)
大菩薩峠:21 無明の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
こういって、いたいたしげに行者の足をみたのは、道づれになっている女の
巡礼
(
じゅんれい
)
——
坂東
(
ばんどう
)
三十三ヵ
所
(
しょ
)
の
札
(
ふだ
)
を
背
(
せ
)
なかにかけた
女房
(
にょうぼう
)
である。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
上杉
憲顕
(
のりあき
)
をはじめ、江戸氏、
葛西
(
かさい
)
党、三浦一族、
坂東
(
ばんどう
)
八平氏、武蔵七党などの混成旅団で、あなどりがたい兵質と数であった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
坂東
(
ばんどう
)
武者とはどんな人種か、九郎義経とはどんな男か、といったような好奇心もあって、見物人が押し出たものと思われる。
随筆 新平家
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
このようなことに、席を蹴って、御不興のままお帰りなどなされたら、
坂東
(
ばんどう
)
武者に、あなたの
鼎
(
かなえ
)
の
軽重
(
けいちょう
)
を問われましょうが
日本名婦伝:静御前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さすが、顕家の
麾下
(
きか
)
も、ここでは苦戦の足ぶみを余儀なくされた。——いつか冬にも入り、
坂東
(
ばんどう
)
平野の
氷雪
(
ひょうせつ
)
になやまされることも、たびたびだった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かつては、かれら、
坂東
(
ばんどう
)
生
(
は
)
え
抜
(
ぬ
)
きの源氏武者が、白河の
寵
(
ちょう
)
の下に、院の北面に、勢威を誇っていたものではないか。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さなきだに、この辺は、
赤城颪
(
あかぎおろ
)
しの
蕭殺
(
しょうさつ
)
たる風土と人心を、あるがままにしている
坂東
(
ばんどう
)
平野の
広茫
(
こうぼう
)
なのだ。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ただひたすら、めぐりあう日は
神仏
(
しんぶつ
)
のお
胸
(
むね
)
にまかせて、
坂東
(
ばんどう
)
三十三ヵ
所
(
しょ
)
のみ
霊
(
たま
)
に
祈
(
いの
)
りをおかけなさい。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
まっ
平
(
たい
)
らな両毛平野も、この辺まで来ると、渡良瀬川をさかいに、
平
(
たいら
)
ノ
将門
(
まさかど
)
以来の
坂東
(
ばんどう
)
の人煙が日光山脈に
拠
(
よ
)
って散在し、赤松の小丘陵の多い起伏の変化もおもしろい。
随筆 私本太平記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
常陸路
(
ひたちじ
)
の方から今、ひとりの旅人が歩いて来る。
相馬
(
そうま
)
の
将門
(
まさかど
)
が、
坂東
(
ばんどう
)
に暴勇をふるって、矢
唸
(
うな
)
りを
恣
(
ほしいまま
)
にした頃から、この辺りの道も
藪
(
やぶ
)
もそのままにあるように
蕭々
(
しょうしょう
)
としたものだった。
宮本武蔵:06 空の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ほどなくまた——そこへふたりの
旅人
(
たびびと
)
が
仲
(
なか
)
よく話しながらのぼってきた。ひとりは
年配
(
ねんぱい
)
な女で、
坂東
(
ばんどう
)
三十三ヵ
所
(
しょ
)
を
巡礼
(
じゅんれい
)
して
歩
(
ある
)
くものらしく、ひとりは
天蓋
(
てんがい
)
のついた
笈
(
おい
)
を
背負
(
せお
)
っている。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「九郎様。あなたは存外、何でもお心得ですから、おおかたご存知の事でしょうが、北は
碓氷
(
うすい
)
を境に、南は足柄山を境として、これから東が、
坂東
(
ばんどう
)
と申します。いわゆる、
東
(
とう
)
八
箇
(
か
)
国
(
こく
)
に入ります」
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
何となれば、貞盛こそは、年来、相馬殿を亡くさんと、都と
坂東
(
ばんどう
)
の間を往来し、あらゆる虚構と
奸智
(
かんち
)
をかたむけて、主人将門殿を
呪咀
(
じゅそ
)
している卑劣者だ。——その貞盛が、常陸に潜伏している。
平の将門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この貞満は、
坂東
(
ばんどう
)
武者の典型ともいえるような、一徹短慮な男だった。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“坂東”の意味
《名詞》
足柄峠、碓氷峠から東の諸国。関東。
(出典:Wiktionary)
坂
常用漢字
小3
部首:⼟
7画
東
常用漢字
小2
部首:⽊
8画
“坂東”で始まる語句
坂東骨
坂東者
坂東声
坂東巡礼
坂東三津五郎
坂東人
坂東道
坂東山
坂東巡
坂東市松