入谷いりや)” の例文
不忍池しのばずのいけを左に、三枚橋、山下、入谷いりやを一のしに、土手へ飛んだ。……当時の事の趣も、ほうけた鼓草たんぽぽのように、散って、残っている。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
俺のところの清吉なんか、八兄哥より二つ三つ若いはずだが、この間から入谷いりやに世帯を持って、押しも押されもせぬ一本立ちの御用聞だぜ。
銭形平次捕物控:124 唖娘 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
釣道つりどうの記念に、一見せざるべからずとなし、昼飯後直ちに、入谷いりや光月町を通り、十二階下より、公園第六区の池のはたに、漫歩遊観まんぽゆうかんを試みたり。
東京市騒擾中の釣 (新字旧仮名) / 石井研堂(著)
しのぶおかと太郎稲荷の森の梢には朝陽あさひが際立ッてあたッている。入谷いりやはなお半分もやに包まれ、吉原田甫よしわらたんぼは一面の霜である。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
子孫は、三河の松井田村で、土器師かわらけしをしていたが、見出されて、江戸に移り、旗本なみ目見得格めみえかくに取立てられて、屋敷を入谷いりやに、地を今戸に受けた。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しのぶおかと太郎稲荷いなりの森の梢には朝陽あさひが際立ッてあたッている。入谷いりやはなお半分もやに包まれ、吉原田甫たんぼは一面の霜である。
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
そのなかで肩あげのある者四人の身許を探索すると、入谷いりやの長屋にいる周悦という今年十四歳の小按摩がおかしい。
半七捕物帳:41 一つ目小僧 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それからむりに呼びだして、幾たびか入谷いりや田圃たんぼで逢った。むりではあったが、おなかはこばまなかった。
唐人のけの皮を一目で引んいだ、御眼力、お若えが恐れ入谷いりや鬼子母神きしぼじん……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
民間には入谷いりや花戸うえきや入十だけで、これは本式に汽缶を据え付けて各種の洋花を仕立てた。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
學校の唱歌にもぎつちよんちよんと拍子を取りて、運動會に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるゝ入谷いりやぢかくに育英舍とて
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その片棒を私がやって、親子ふたりで寿町の家を出て、入谷いりや田圃を抜けて担いで行く。
此の女の家——此の女の家と云ふのは、入谷いりやの汚い露路の中にある屑屋の家なんです。その汚い家に、此の女がつはりで寝てゐます。其処に此の林谷蔵なる奴が何年ぶりかでやつて来ます。
ある女の裁判 (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
入谷いりやへ朝顔を見にゆこうかね、それは美事みごとだよ。」
「これはこれは、いた入谷いりや金盥かなだらいでございますな」
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
連れて不忍しのばず蓮見はすみから、入谷いりやの朝顔などというみぎりは、一杯のんだ片頬かたほおの日影に、揃って扇子おうぎをかざしたのである。せずともいい真似をして。
栃の実 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「あっしの家へ飛込んだのを、つれて来ましたよ。少しばかりの知合を辿たどって、入谷いりやから飛んで来たんだそうで——」
小万はかみに行ッて窓から覗いたが、太郎稲荷、入谷いりや金杉かなすぎあたりの人家の燈火ともしび散見ちらつき、遠く上野の電気燈が鬼火ひとだまのように見えているばかりである。
里の今昔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
どこへゆくというあてもない、二丁目の通りを裏へぬけ、曲り曲りゆくと、入谷いりやの田圃道へ出る。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
學校がくかう唱歌しようかにもぎつちよんちよんと拍子ひやうしりて、運動會うんどうくわいやり音頭おんどもなしかねまじき風情ふぜい、さらでも教育きやういくはむづかしきに教師きやうし苦心くしんさこそとおもはるゝ入谷いりやぢかくに育英舍いくえいしやとて
たけくらべ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
舞台は同じ入谷いりや田圃たんぼで、春の雪のちらちら降る夕方に、松助の丈賀のような按摩あんまが頭巾をかぶって出て来る、その場面の趣があの狂言にそっくりなんですよ。まあ、聴いてください。
半七捕物帳:09 春の雪解 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
花時以外の物見遊山ものみゆさん、春は亀戸の梅、天神の藤、四つ目の牡丹ぼたん、夏は入谷いりやの朝顔、堀切の菖蒲、不忍しのばずの蓮、大久保の躑躅つつじ、秋は団子坂だんござかの菊、滝野川の紅葉、百花園の秋草、冬は枯野に雪見
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
法名は、光岳院法誉東雲居士、墓は下谷区入谷いりや町静蓮寺にございます。
入谷いりやまでけて行ったんですが、恐ろしい八幡やわた藪知やぶしらずの抜け道へ入り込んで、とうとう消えっちまいましたよ」
下谷佐竹ヶ原、根津ねづ入谷いりや芝愛宕下しばあたごした、小石川柳町、早稲田鶴巻町わせだつるまきちょう辺、いづれも話には聞きたれど、これらは親しく尋ね究むる暇なかりしものなればここには記さず。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
学校の唱歌にもぎつちよんちよんと拍子を取りて、運動会にやり音頭もなしかねまじき風情ふぜい、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるる入谷いりやぢかくに育英舎とて
たけくらべ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
その夏、土用あけの残暑のみぎり、朝顔に人出の盛んな頃、入谷いりやが近いから招待されて、先生も供で、野郎連中六人ばかり、大野木の二階で、蜆汁しじみじる冷豆府ひややっこどころで朝振舞がありました。
白花の朝顔 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
入谷いりや田圃、浅草田圃と皆親類、所々に案山かかし子が立って風流千万。
明治世相百話 (新字新仮名) / 山本笑月(著)
或年の夏先考に伴はれ入谷いりやの里に朝顔見ての帰り道、始めて上野の精養軒に入りしに西洋料理を出したるを見て、世間にてもわが家と同じく西洋料理を作るものあるにやと
洋服論 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
お小夜は三年前まで三浦屋でおしょくを張っていたのを、上野の役僧某に請出うけだされて入谷いりやに囲われ、半年経たないうちに飛び出して、根岸の大親分の持物になりましたが、そこもたくみに後足で砂を蹴って
入谷いりやの朝顔と団子坂だんござかの菊人形の衰微は硯友社けんゆうしゃ文学とこれまたその運命を同じくしている。
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その家は公園から田原町たわらまちの方へ抜ける狭い横町であったがためだという話である。観客から贔屓ひいきの芸人に贈る薬玉くすだま花環はなわをつくる造花師が入谷いりやに住んでいた。この人も三月九日の夜に死んだ。
草紅葉 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「こいつは恐れ入った。ははははは。おそれ入谷いりや鬼子母神きしぼじんか、はははは。」
雪解 (新字新仮名) / 永井荷風(著)