一片いっぺん)” の例文
彼は自分がまったく死にうせてしまわないようにと、自分の思想しそう一片いっぺんを自分の名もつけずに残しておくだけで、満足まんぞくしていたのである。
ジャン・クリストフ (新字新仮名) / ロマン・ロラン(著)
自分はぐずついてすこぶる曖昧あいまい挨拶あいさつをした。その時み込んだ麺麭パン一片いっぺんが、いかにも水気がないように、ぱさぱさと感ぜられた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
月がこう言ったとき、一片いっぺんの雲が通りすぎました。——詩人とバラのあいだには、どんな雲も割りこまないでいてもらいたいものです。
入道相国の恩命も、余りに遅きに失していたが、たとえそれが一片いっぺんの出来心でも、年来不遇な頼政には、うれしかったに違いない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かねて自分とは普通一片いっぺんの師匠以上に親しんでおったので、ある時などは私のとこへ逃げてきて相談をした事もあった、私もすこぶる同情にえなかったが
二面の箏 (新字新仮名) / 鈴木鼓村(著)
ただ一片いっぺん布令だけの事であるから、俗士族は脇差わきざしを一本して頬冠ほほかむりをして颯々さっさつと芝居の矢来やらいやぶっ這入はいる。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
捜査は、とくに針目博士の安否あんぴ重点じゅうてんをおいておこなわれたが、前にのべたように博士のすがたは発見できなかった。また人骨じんこつ一片いっぺんすら見あたらなかった。
金属人間 (新字新仮名) / 海野十三(著)
あるいは太い指の先に一本のバットを楽しみながら、薄暗いロシアを夢みている。百合ゆりの話もそう云う時にふと彼の心をかすめた、切れ切れな思い出の一片いっぺんに過ぎない。
百合 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
隣家の者はおもがとおり一片いっぺんの世話であったから、夜になると、父親の車夫が帰らなくとも
車屋の小供 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
国民の元気をおこさんとて、坂崎氏には一片いっぺんの謝状をのこして、妾と共に神奈川地方にはしりぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
夕日が左手の梅林うめばやしから流れて盲人の横顔をてらす。しゃがんだ哀れな影が如何いかにも薄くうしろの石垣にうつっている。石垣を築いた石の一片いっぺんごとに、奉納した人の名前が赤い字で彫りつけてある。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
戦争はまのあたりに見えぬけれど戦争の結果——たしかに結果の一片いっぺん、しかも活動する結果の一片が眸底ぼうていかすめて去った時は
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
今までは、一片いっぺん屑金くずがねにすぎないではないかと軽く見ていたが、こうしていわれ因縁いんねんを聞くと、海賊王デルマの死霊しれいこもっているように気味のわるい品物に思えた。
少年探偵長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ただ、今日これへ自分から駈けつけて、彼の陣門に駒をつないだものは、故主の敵光秀を討たんという一片いっぺん耿々こうこうの志を一つにする者と思うたからにほかならない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば、一片いっぺんの鉄がコイルの中を通ると磁石になるといったことがらも、その一つです。ほんとに、これはどういうわけでしょうか? 霊気れいきが、それに働きかけるのです。
当時妾の感情をらせる一片いっぺんぶんあり、もとより狂者きょうしゃの言に近けれども、当時妾が国権主義に心酔し、忠君愛国ちょう事に熱中したりしその有様を知るに足るものあれば、叙事の順序として
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
外面の体裁ていさいに文野の変遷へんせんこそあるべけれ、百千年の後に至るまでも一片いっぺんの瘠我慢は立国の大本たいほんとしてこれを重んじ、いよいよますますこれを培養ばいようしてその原素の発達を助くること緊要きんようなるべし。
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
その時与吉の鼻の穴がふるえるように動いた。厚いくちびるが右の方にゆがんだ。そうして、食いかいた柿の一片いっぺんをぺっと吐いた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
余は婆さんの労にむくゆるために婆さんのてのひらの上に一片いっぺんの銀貨をせた。ありがとうと云う声さえも朗読的であった。
カーライル博物館 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
残る全部をことごとく喰い尽すか、または半分に割る能力の極度に達したため、手をこまぬいてむなしくのこれる柿の一片いっぺんを見つめなければならない時機が来るだろう。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そうしてこの感情が遠からず単に一片いっぺんの記憶と変化してしまいそうなのをせつに恐れている。——好意の干乾ひからびた社会に存在する自分をはなはだぎごちなく感ずるからである。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それだから吾輩はこの運動を称して松滑りと云うのである。最後に垣巡かきめぐりについて一言いちげんする。主人の庭は竹垣をもって四角にしきられている。椽側えんがわと平行している一片いっぺんは八九間もあろう。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
さらに想像をさかさまにして、この星雲が熱を失って収縮し、収縮すると共に回転し、回転しながらに外部の一片いっぺんを振りちぎりつつ進行するさまを思うと、海陸空気歴然と整えるわが地球の昔は
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
アグニスは黙って、一片いっぺんの焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ふるって厚切あつぎりの一片いっぺん中央まんなかから切断した。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)