東海道とうかいだう)” の例文
一体いつたい東海道とうかいだう掛川かけがは宿しゆくからおなじ汽車きしやんだとおぼえてる、腰掛こしかけすみかうべれて、死灰しくわいごとひかへたから別段べつだんにもまらなかつた。
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
さ/\評判ひやうばん高くなりなんと無く影護うしろめだくなり此寺にも居惡ゐにくく餘儀なく此處を立退たちのき一先江戸へ出ん物と關東を心ざし東海道とうかいだうをば下りけりふとこさびしければ道中にても旅人をがいし金銀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まへ東海道とうかいだう岩淵いはぶちおと急流きふりう、しかもこゝはかまふちまう難所なんじよでございます。
東海道とうかいだう松並木まつなみきらるべき由、何時いつやらの新聞紙にて読みたる事あり。
ゐねむりをしい/\、むかし道中だうちうをしたといふ東海道とうかいだう里程りていを、大津おほつからはじめて、幾里いくり何町なんちやう五十三次ごじふさんつぎ徒歩てく饒舌しやべる。
十六夜 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
出し東海道とうかいだう廻遠まはりとほ難所なんしよにても山越に御下向げかう有べしとて勢州せいしう田丸街道たまるがいだうへ先觸を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
元來ぐわんらい——歸途きとせんをたよつて東海道とうかいだう大𢌞おほまはりをしようとしたのは、……じつ途中とちう決心けつしん出來できたら、武生たけふりてゆるされないことながら、そこから虎杖いたどりさと
雪霊続記 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
追拂おひはらはれ京都に住居すまひの時留守宅るすたくへ忍び入衣類をうばひ取大津おほつ立越たちこえ賭博をうち佐七平四郎と兄弟分になり上方かみがたより東海道とうかいだうかせぎ折々をり/\は江戸へも立出候處あまさき家中の侍士さふらひ金用にて出立と馬士まごの咄を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
七日前なぬかぜん東京驛とうきやうえきから箱根越はこねごし東海道とうかいだう。——わかつた/\——逗留とうりうした大阪おほさかを、今日けふ午頃ひるごろつて、あゝ、祖母おばあさんのふところ昔話むかしばなしいた、くりがものふ、たんばのくに
城崎を憶ふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)