曼陀羅まんだら)” の例文
今日からは古語の「散列層」の様に美しい、併し個々の古語自身は生きて働かない、そう言う泣菫曼陀羅まんだらが織り成されたのであった。
詩語としての日本語 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
釈迦牟尼仏しゃかむにぶつを囲み 説法を聞いて居るような有様に見えて居る。成程天然の曼陀羅まんだらであるということはその形によっても察せられた。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
お前がその意地なら腕にりをかけてやってみろ、幸い、あの遊行上人は、天竺てんじくから来たという黄金きん曼陀羅まんだら香盒こうごうというものを持っている
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
聞ゆゑ九助も段々始終の話より歸り掛けの道中にて斯樣々々かやう/\島田宿じゆくの水田屋がなさけ曼陀羅まんだらの話等を爲し明日は金を請取に參るとて十界の曼陀羅を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
定家卿なりしか俊成卿なりしか忘れたり、和歌はわが国の曼陀羅まんだらなりと言いしとか。小生思うに、わが国特有の天然風景はわが国の曼陀羅ならん。
神社合祀に関する意見 (新字新仮名) / 南方熊楠(著)
わたしは自殺いたします。お二人に御迷惑のかからないように、築地の婦人科病院、曼陀羅まんだら先生の病室で自殺いたします。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
さながら、これは新旧六聯の曼陀羅まんだらにも比ぶべき豪華優麗なもので、レコード音楽ある限り、亡びない傑作であろう。
人間諸行の曼陀羅まんだらです。興亡の絵巻です。私の「新・平家」もこの辺を序曲として、まあ本筋にはいるとでもいうところでありましょう。(二六・三・四)
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
十月十五日 つるばみ会主催、近江国志賀郡真野村曼陀羅まんだら山松茸狩。年尾、友次郎、王城、いはほ等と共に。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
一人の見知らぬ比丘尼びくにが彼女の側に立って、百駄の蓮茎を注文し、自ら蓮糸をとった。天女のような一人の美女が、その蓮糸から美しい曼陀羅まんだらを織り出した。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
そのつづきには満洲にありしといふ曼陀羅まんだら一幅極彩色ごくさいしきにて青き仏赤き仏様々の仏たちを画がきしを掛け、ガラス戸の外は雨後の空心よく晴れて庭の緑したたらんとす。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
帳台の四方のとばりを皆上げて、後ろのほうに法華経ほけきょう曼陀羅まんだらを掛け、銀の華瓶かへいに高く立華りっかをあざやかにして供えてあった。仏前の名香みょうこうには支那の百歩香ひゃくぶこうがたかれてある。
源氏物語:38 鈴虫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
生命はとどこおるところなく流動する。創造の華が枯木にも咲くのである。藤原南家の郎女いらつめ藕糸はすいとつむいで織った曼陀羅まんだらから光明が泉のようにきあがると見られる暁が来る。
あるいは又松尾の部落の山畑に、むこと二人で畑打はたうちをしていた一老翁は、不意に前方のヒシ(崖)の上に、見事なお曼陀羅まんだらの懸かったのを見て、「やれ有難や松※尾の薬師」と叫んだ。
幻覚の実験 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「じゃあ、言直そう。ここは蓮池のあとらしいし、この糸で曼陀羅まんだらが織れよう。」
古狢 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
またおりふし夢野の神はしのびやかにきてひややかな私の眠りをいろいろの絵筆に彩ってゆく。それらのことを私は日にちこまごまと日記につけておく。これはこの島に隠れて島守しまもりの織る曼陀羅まんだらである。
島守 (新字新仮名) / 中勘助(著)
曼陀羅まんだらをぢびたる蓮の実は黄蕋きしべさがりてよきまとひ
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
建久二年の頃法然をしょうじて大仏殿のまだ半作であった軒の下で観経かんぎょう曼陀羅まんだら、浄土五祖の姿を供養し、浄土の三部経を講じて貰うことになったが
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
姫の俤びとに貸す為の衣に描いた絵様えようは、そのまま曼陀羅まんだらすがたを具えて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
何程にて其とゞこほりなく九助に渡せしやと問に藤八は然ばにて候其金高は百八十兩にて其翌日九助が親類なりとて周藏しうざう喜平きへい次と申者兩人彼の曼陀羅まんだら
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
これはこれ、見方に依っては、浄土の光景であり、菩提ぼだいすがたであり、人間即仏の曼陀羅まんだらであるともいえる。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その阿耨達池の傍に在る天然の曼陀羅まんだらなるマウント・カイラスは仏教の霊跡でありますから、その霊跡に参詣さんけいするという口実を設けて行くにくはないと考えました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
女王が作らせたままになっている極楽の曼陀羅まんだらをその節に供養すればいいことと思う。
源氏物語:42 まぼろし (新字新仮名) / 紫式部(著)
天台てんだいの或る和尚おしょうさんが来られて我病室にかけてある支那の曼陀羅まんだらを見て言はれるには、曼陀羅といふものは婆羅門バラモンのもので仏教ではこれを貴ぶべきいはれはないものである
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
持參ぢさん致し居る由故翌日よくじつ送り屆け度と存候處私し儀よんどころなき宿の用にて同道致しかねるに付無用心ぶようじんゆゑ金子は私しあづかかれへは日蓮上人の曼陀羅まんだらを渡し置右を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
この小説「大菩薩峠」全篇の主意とする処は、人間界の諸相を曲尽きょくじんして、大乗遊戯だいじょうゆげの境に参入するカルマ曼陀羅まんだらの面影を大凡下だいぼんげの筆にうつし見んとするにあり。
いやこうよりも匂いのたかい女脂にょしかおりがふんふんと如海和尚の打振る鈴杵れいしょもあやふやにし、法壇はただ意馬心猿の狂いを曼陀羅まんだらにしたような図になってしまった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
但中尊の相好は、金戒光明寺のよりも、粗朴であり、而も線の柔軟はあるが、脇士わきじ梵天ぼんてん帝釈たいしゃく・四天王等の配置が浄土曼陀羅まんだら風といえば謂えるが、後代風の感じをたたえている。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
命日である十四日には上から下まで六条院の中の人々は精進潔斎して、曼陀羅まんだらの供養に列するのであった。例のよいの仏前のお勤めのために手水ちょうずを差し上げる役にあたった中将の君の扇に
源氏物語:42 まぼろし (新字新仮名) / 紫式部(著)
喇嘛ラマ教の曼陀羅まんだら、これは三尺に五尺位な切れで壁にかけるやうになつて居る。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
天然の曼陀羅まんだら を成して居る。その霊場の方向に対してまず私は自分の罪業を懺悔ざんげし百八遍の礼拝を行い、それからかねて自分が作って置きました二十六の誓願文を読んで誓いを立てました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
西山の善峯寺から、信州善光寺に至るまで十一カ所の大伽藍を建て、或は曼陀羅まんだらを安置し、或は不断念仏をはじめて置く。これにみんな供料、供米、修理の足をつけて置いた。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いよいよ不思議な念に捉われた清盛は、高野山の金堂に曼陀羅まんだらを書いて贈った。
「これでわしらの精神たましい曼陀羅まんだらもできるというもの」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
念仏曼陀羅まんだらの浄地を、各地に生みやしても行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
新像図を私販しはんするの罪(摂取不捨せっしゅふしゃ曼陀羅まんだら
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
法事は色界しきかい曼陀羅まんだらのこと
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)