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日本武尊
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やまとたけるのみこと
ふりがな文庫
“
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)” の例文
昔、
弟橘媛
(
おとたちばなひめ
)
が
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
のために、おん身を犠牲にあそばしたように、燁代は、昭和遊撃隊の身がわりになって、死にとうございます。
昭和遊撃隊
(新字新仮名)
/
平田晋策
(著)
勢籠をムレと読むことが忘られて、大を王と改め、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
に附会したもので、信憑し難き説であることは一見して明かであろう。
マル及ムレについて
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
大昔
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
が、ここに来て狩りをなされ、渇きをお覚えなされたが水がないので、
弓弰
(
ゆはず
)
をもって岩をおさしになると清い泉が湧いた。
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
『
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
』などゝいふ脚本の、独りよがりになり、又感想文になり、空虚なる文字になつたのも、止むを得ないではないか。
自他の融合
(新字旧仮名)
/
田山花袋
、
田山録弥
(著)
草薙
(
くさなぎ
)
の
剣
(
つるぎ
)
。
景行天皇
(
けいこうてんのう
)
の
御時
(
おんとき
)
に
東夷
(
とうい
)
多く
叛
(
そむ
)
きて国々騒がしかりければ、天皇、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
を
遣
(
つかわ
)
して之を討たしめ給う。
尊
(
みこと
)
、
駿河
(
するが
)
の国に到りし時……
凡人伝
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
▼ もっと見る
あの
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
が地方平定の重い任務を帯びたもうた時、ご一行は二隊にわかれまして、鑑察の役目をうけたまわりました
吉備武彦
(
きびたけひこ
)
は
越後
(
えちご
)
へむかい
力餅
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
キタカミの文字がヒタカミの
訛
(
なまり
)
であるという考証を仙台で聞いた。してみると、人文の
未
(
いま
)
だ
剖判
(
ほうはん
)
せざる上古、
武内宿禰
(
たけのうちのすくね
)
や、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
の足跡がある。
大菩薩峠:34 白雲の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
もこの岩まで登って来て引っ返されたと云うので、武尊岩の名が残っているのだそうです。そのそばには天狗の花畑というのがあります。
綺堂むかし語り
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
遠いむかし——
武神
(
ぶしん
)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
が
東征
(
とうせい
)
のお帰りに、
地鎮
(
じちん
)
として
鉄甲
(
てっこう
)
を
埋
(
い
)
けておかれたというその
神地
(
しんち
)
は、いま、
燃
(
も
)
えんばかりな
紅葉
(
もみじ
)
のまッさかりだ。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
東征の途中の遭難とか、
義経
(
よしつね
)
の
大物浦
(
だいもつのうら
)
の物語とかは果して颱風であったかどうか分らないから別として
颱風雑俎
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
尾州一の宮の
神主
(
かんぬし
)
、代々鶏卵を食せず云々、
素戔嗚尊
(
すさのおのみこと
)
の烏の字を鳥に書きたる本を見しよりなり。熱田には
筍
(
たけのこ
)
を食わず、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
にて
座
(
ましま
)
す故となん云々。
十二支考:08 鶏に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
小町桜のある処は、むかし
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
の休憩あらせられし処と称す。水無川は、百人一首にある陽成院の『筑波根の峯より落つる水無川恋ぞつもりて淵となりぬる』
秋の筑波山
(新字新仮名)
/
大町桂月
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
の軍におられた
橘媛
(
たちばなひめ
)
などは、妻としての従軍と考えられなくもない。崇神天皇の時に
叛
(
そむ
)
いた
建埴安彦
(
タケハニヤスヒコ
)
の妻
安田
(
アダ
)
媛は、夫を助けて、一方の軍勢を指揮した。
最古日本の女性生活の根柢
(新字新仮名)
/
折口信夫
(著)
少女に仮装して、敵将を倒した
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
よりも、本当の女性である
丈
(
だけ
)
に、それ
丈
(
だ
)
け勇ましい。命よりも大切な、貞操を犠牲にしている
丈
(
だけ
)
に、限りなく悲壮であった。
真珠夫人
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
終
(
つい
)
に国の名の武蔵の文字と通わせて、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
東夷
(
あずまえびす
)
どもを平げたまいて後
甲冑
(
よろいかぶと
)
の類をこの山に埋めたまいしかは、国を武蔵と呼び山を武甲というなどと説くものあるに至れり。
知々夫紀行
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
ヤマトの語に当つるに相変らず「
倭
(
わ
)
」の字を用うる例で、それが畿内の大和一国を表わす場合は勿論、同じ人名にしてもヤマトタケルノミコトの場合には、「
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
」と書き
国号の由来
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
節瘤
(
ふしこぶ
)
だった両手両脚を出して、
角力
(
すもう
)
の廻しのような、さしっこでこしらえた前掛をかけて、白い眼だった。私は
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
の
熊夷
(
くまそ
)
を思うとき、その酒屋の阿父を思出していたほどだった。
旧聞日本橋:10 勝川花菊の一生
(新字新仮名)
/
長谷川時雨
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
にも当る方で、神話中の人物にもその分身はタクサンありますが、日本の中ツ国を平定するために天照大神に命ぜられてタカマガ原から日本の中ツ国へ降りてきた天のワカヒコのミコト
飛騨の顔
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
が
熊襲
(
くまそ
)
を退治していられるところとかいうような、勇ましい中にも、むごたらしいような石版絵が、西郷様の肖像とか高山彦九郎の書いた忠の字とかいうものと一緒に並んでいるのでしたが
押絵の奇蹟
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
昔
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
が東夷征伐の途上この附近をお通りになった時、八日の間、この山が見えていたというので、八日見山と名付けられたという古事は
奥秩父
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
古代に
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
、中世に日蓮上人の
遊跡
(
ゆうせき
)
があり、
降
(
くだ
)
って慶応の頃、
海老蔵
(
えびぞう
)
、
小団次
(
こだんじ
)
などの役者が甲府へ乗り込む時、本街道の
郡内
(
ぐんない
)
あたりは人気が悪く
大菩薩峠:01 甲源一刀流の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
この二族の平定者として、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
の御名が美しく輝いてゐる。日本武と云ふ御名は、大和朝廷の武威が、日本全国を圧したことを意味するのではないかと思はれる。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
なおこの熱田の宮の神さまは、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
をお祀りしたものとも聞いていますので、日頃より
崇
(
うやま
)
い尊ぶ御神の御前にて、
初冠
(
ういこうぶり
)
ないたすこと、
男冥加
(
おとこみょうが
)
ぞとも思ったりして参りました
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
さて『桂林漫録』に
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
駿河の国で
向火
(
むかいび
)
著けて
夷
(
えびす
)
を滅ぼしたまいし事を記して、『花鳥余情』に火の付きたるに
此方
(
こなた
)
よりまた火を付ければ向いの火は必ず消ゆるを向火という。
十二支考:05 馬に関する民俗と伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
も危うく駿河の焼津の野火で、屍体をまでも焼かれ給うべきところであった。また葛城
円
(
つぶら
)
の大臣は、黒彦皇子・眉輪王等とともに、雄略天皇の為に家ぐるみ焼かれてしまった。
火葬と大蔵:焼屍・洗骨・散骨の風俗
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
社のいい伝えでは、昔、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
がここで
弟橘姫
(
おとたちばなひめ
)
をお祭りになった時、お供え物についた楠のお箸を取って土の上に立て、末代天下泰平ならば、この箸二本とも茂り栄えよと仰せられました。
日本の伝説
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
たとえば
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
の東征の交通路などを見ると分りますが、
上野
(
こうずけ
)
ノ国からウスイ峠をこえて信濃へはいってヒダへ出たのは木曾御岳と乗鞍の中間の野麦峠のようだ。この峠のヒダ側は
小坂
(
オサカ
)
の町です。
安吾の新日本地理:07 飛騨・高山の抹殺――中部の巻――
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
お雪さん、しっかりしなくちゃいけません、この花の香いぐらいが何です——それそれ、この山から立ちのぼる悪気の香いは、日本の武神
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
のお命を
大菩薩峠:35 胆吹の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
前岳のは
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
、本岳のは
倉稲魂命
(
うがのみたまのみこと
)
で、伊那の前岳にも何神か祭ってあったが記憶に存しない。農ヶ池を玉池と誤記した事に就ては「登山談義」を参照して頂きたい。
木曽駒と甲斐駒
(新字新仮名)
/
木暮理太郎
(著)
ことごとくこれを捕えてお殺しになったとか、同じ天皇の
熊襲
(
くまそ
)
御征伐の時にも、熊襲の娘を誘うて親を殺さしめ給うたとか、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
の
出雲建
(
いずもたける
)
を誅せられる時に、まず和睦して共に
簸
(
ひ
)
の川に水浴し
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ
(新字新仮名)
/
喜田貞吉
(著)
また十六歳の
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
が女装して
熊襲
(
くまそ
)
を退治する話。この熊襲がいまわの言葉に、あなたのような強い人にははじめて会った。あなたの強さは日本一だからヤマトタケルと名のりなさいと云って死ぬ。
安吾新日本風土記:02 第一回 高千穂に冬雨ふれり≪宮崎県の巻≫
(新字新仮名)
/
坂口安吾
(著)
「いや、もっと調子が古いわい、江戸時代の産物ではない。いったいこの笹子山は一名
坂東山
(
ばんどうやま
)
といって、古来、関東で名のある山、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
以来の歴史がある」
大菩薩峠:11 駒井能登守の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
そもそも
武張
(
ぶば
)
った歴史を持ったもので、
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
が秩父の山に武具を
蔵
(
おさ
)
めたのがその起源と古くより伝えられていますが、御岳山の人に言わせると、それは秩父ではない
大菩薩峠:01 甲源一刀流の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
がこの山で
大蛇
(
おろち
)
にお会いになって、それがために御寿命をお縮めあそばされたという歴史の真相、あれはおそれ多いことでございましたね、山神が化して大蛇となり
大菩薩峠:35 胆吹の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
を伊吹の毒の山神の森に向わしめた尾張の
宮簀姫
(
みやすひめ
)
の名。
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
済まねえ——夜中にお騒がせ申して、ほんとに申しわけはねえと思うが、なにぶん、後ろには大敵、ところは名にし負うおろちの
棲
(
す
)
む胆吹山——
日本武尊
(
やまとたけるのみこと
)
でさえお迷いになった山なんだから、そこんところを
大菩薩峠:36 新月の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
“日本武尊(ヤマトタケル)”の解説
ヤマトタケル(景行天皇12年 - 景行天皇41年)は、記紀などに伝わる古代日本の皇族(王族)。
『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記される。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用される。
第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄である。
(出典:Wikipedia)
日
常用漢字
小1
部首:⽇
4画
本
常用漢字
小1
部首:⽊
5画
武
常用漢字
小5
部首:⽌
8画
尊
常用漢字
小6
部首:⼨
12画
“日本武尊”で始まる語句
日本武尊様