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出仕
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しゅっし
ふりがな文庫
“
出仕
(
しゅっし
)” の例文
その父は、しかも、とかく官途をきらって、鳥羽の院へも、御所の
衛府
(
えふ
)
へも、特に、召されでもしない限りは、
出仕
(
しゅっし
)
した
例
(
ためし
)
がない。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
乳母
(
うば
)
の六条の
膝
(
ひざ
)
にのって、いつも院の
御所
(
ごしょ
)
に
出仕
(
しゅっし
)
する時と同じように、何もしらないで
片言
(
かたこと
)
を言ってわしに話しかけていました。
俊寛
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
役部屋にいると
覗
(
のぞ
)
きに来る者がある。御殿の
出仕
(
しゅっし
)
にも退出にも、歩いていると通りすがりの者が、すれちがいざま同伴者に
百足ちがい
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
松村は相当に学問もあり、殊に蘭学が出来たので、
外国掛
(
がいこくがかり
)
の方へ
出仕
(
しゅっし
)
して、ちょっと羽振りの好い方であった。
半七捕物帳:01 お文の魂
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
これより
先
(
さ
)
き四年十月朔に、抽斎は
月並
(
つきなみ
)
出仕
(
しゅっし
)
仰附
(
おおせつ
)
けられ、五年二月二十八日に、
御番
(
ごばん
)
見習
(
みならい
)
、
表医者
(
おもていしゃ
)
仰附けられ、即日見習の席に着き、三月朔に本番に
入
(
い
)
った。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
▼ もっと見る
おなじくお
帳番
(
ちょうばん
)
のひとりとして、
出仕
(
しゅっし
)
して間もない
若侍
(
わかざむらい
)
である。
裃
(
かみしも
)
の肩先が細かく震えているのは、武士らしくもない、泣いてでもいるのか、喬之助は顔も上げ得ない。
魔像:新版大岡政談
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
いつまでも
出仕
(
しゅっし
)
の支度をぐずぐずしていると、再び使いの者が来て、お待ち兼ねのようですからどうぞ早く入らしって下さいませ、としきりに催促しているらしかった。
ほととぎす
(新字新仮名)
/
堀辰雄
(著)
その年の八月一日、徳川幕府では、
所謂
(
いわゆる
)
八朔
(
はっさく
)
の儀式を行う日に、修理は病後初めての
出仕
(
しゅっし
)
をした。そうして、その
序
(
ついで
)
に、当時
西丸
(
にしまる
)
にいた、若年寄の板倉佐渡守を訪うて、帰宅した。
忠義
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
火鉢に炭火を分け入れていた小使の
爺
(
おやじ
)
が驚いたほどに、てか/\靴墨で黒光する長靴を短い脚に
穿
(
は
)
いて、彼は廊下を足音高く歩いた。そして朝の早い校長の
出仕
(
しゅっし
)
を待つのであった。
地上:地に潜むもの
(新字新仮名)
/
島田清次郎
(著)
御家来しゅうがみな備前どのゝ御器量をおしたい申して、てゝごの方へは
出仕
(
しゅっし
)
するものもないようになりましたので、ひさまさ公もよんどころなく家督をびぜんどのへおゆずりになりまして
盲目物語
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
玄斎は維新前
駒場
(
こまば
)
にあった徳川幕府の薬園に務めていた
本草
(
ほんぞう
)
の学者で、著述もあり、専門家の間には名を知られていたので、維新後しばしば
出仕
(
しゅっし
)
を勧められたが節義を守ってこの
村荘
(
そんそう
)
に余生を送った。
つゆのあとさき
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
「決断所の
寄人
(
よりゅうど
)
でもありながら、田舎にのみひき籠って、めったに
出仕
(
しゅっし
)
もせぬと聞く正成が、めずらしくも出てきたとみえるな。通しておけ」
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
謁見即ち
目見
(
めみえ
)
は抽斎が弘前の士人として受けた礼遇の
始
(
はじめ
)
で、これから
月並
(
つきなみ
)
出仕
(
しゅっし
)
を命ぜられるまでには七年立ち、
番入
(
ばんいり
)
を命ぜられ、家督相続をするまでには八年立っている。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
定刻
(
ていこく
)
に
出仕
(
しゅっし
)
して定刻に
下城
(
げじょう
)
し、その間は、仕事をしているごとく見せかけて、要領よくブラブラしていさえすれア、大した
失態
(
しったい
)
のない限り、まずお役御免なんてことはない。
魔像:新版大岡政談
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
成経 母は父の
安否
(
あんぴ
)
ばかり心配して泣いていました。そしてなぜわしがかかる恐ろしいことを
企
(
くわだ
)
てたかをかきくどきました。父はその朝院に
出仕
(
しゅっし
)
する途中を
捕
(
とら
)
えられたのです。
俊寛
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
「さし出がましいが、おゆるしによって、道誉もお
囲
(
かこ
)
いの
給仕人
(
きゅうじびと
)
として折々、
樗門
(
おうちもん
)
へ
出仕
(
しゅっし
)
いたしますゆえ、おふくみおきを」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
風邪の大熱できのうから
薬餌
(
やくじ
)
にしたしんではおれどほかならぬお召、また道誉一代のほまれであることゆえ、すぐ
出仕
(
しゅっし
)
いたしまする、という答え。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
時めく
頭
(
とう
)
ノ中将殿であるからだ。おそらくその
唐突
(
とうとつ
)
な
出仕
(
しゅっし
)
に殿上でもまた同じような怪しみと静かな驚きの
渦紋
(
かもん
)
がよび起されていたことであったろう。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、あれから間もなく、院へも、
出仕
(
しゅっし
)
し始めている。そして、父子ともに、近ごろはまったく別人のように、からっと明るくなって、人びとに
伍
(
ご
)
していた。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
追々と藤吉郎の
出仕
(
しゅっし
)
ぶりが村にも知れ、またこんどは
然
(
しか
)
るべき武家の娘と結婚し、しかもそのお
媒人
(
なこうど
)
が信長様のお
従兄弟
(
いとこ
)
にあたる人と聞えたので、村中の者の見る眼が
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
わけて千種忠顕は早々に
出仕
(
しゅっし
)
して、上卿の面々とともに
中殿
(
ちゅうでん
)
の
御座
(
ぎょざ
)
へまかり出ていた。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
門徒方の僧へもらす
惧
(
おそ
)
れがあると殿へ告げたものは、たしかに光秀であると、弟の坊丸からも、ほかの
側衆
(
そばしゅう
)
からも聞いていましたので、きのうは、惟任どのが
出仕
(
しゅっし
)
されたのを幸いに
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
事実、師直は、天龍寺
落慶
(
らっけい
)
の翌年の夏、二ヵ月ほど寝こんで
出仕
(
しゅっし
)
も欠いた。病名は“
蚊触
(
かぶれ
)
”だとある。蚊触とはつまり
発疹
(
はっしん
)
のことらしい。「
園太暦
(
えんたいりゃく
)
」では
瘡疾
(
そうしつ
)
に
罹
(
かか
)
ったのだと書いている。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「その章房は、出過ぎ者となった身の不首尾をさとって、以後は
出仕
(
しゅっし
)
もせず、引き籠っている風だが、まま
清水寺
(
きよみずでら
)
の社参には詣るよし。いや狙えば、いくらでも
窺
(
うかが
)
う機会はあろう。首尾よくせよ」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
忠盛が、あんなにも長い年月、ろくに
出仕
(
しゅっし
)
もせず、お召しのほかは、
節会
(
せちえ
)
や式日の
参向
(
さんこう
)
すら怠って来ながら、このごろやっと、久びさな勤務についても、上皇は、以前どおりな
寵遇
(
ちょうぐう
)
をかれに示された。
新・平家物語:02 ちげぐさの巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
年暮
(
くれ
)
から
出仕
(
しゅっし
)
を欠いている彼へ、柳営の高時からは
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「すててはおけぬ。わしも明日から柳営へ
出仕
(
しゅっし
)
する」
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
出仕
(
しゅっし
)
の日々も無事に、また一年近い月日がたった。
大岡越前
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「即刻、
出仕
(
しゅっし
)
せよ」
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
室町家兵法所
出仕
(
しゅっし
)
宮本武蔵:03 水の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
正成
(
まさしげ
)
出仕
(
しゅっし
)
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“出仕”の意味
《名詞》
役所、特に官庁に仕えること。
出勤、出社すること。
(context、dated)ある場所に列席すること。
(出典:Wiktionary)
出
常用漢字
小1
部首:⼐
5画
仕
常用漢字
小3
部首:⼈
5画
“出”で始まる語句
出
出来
出入
出鱈目
出來
出会
出立
出逢
出掛
出雲