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催馬楽
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さいばら
ふりがな文庫
“
催馬楽
(
さいばら
)” の例文
旧字:
催馬樂
源氏は
御簾
(
みす
)
ぎわに寄って
催馬楽
(
さいばら
)
の
東屋
(
あずまや
)
を歌っていると、「押し開いて来ませ」という所を同音で添えた。源氏は勝手の違う気がした。
源氏物語:07 紅葉賀
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
田楽
(
でんがく
)
、狂言、民謡、又は神楽、雅楽、
催馬楽
(
さいばら
)
なぞいうものの中から、芸術的に高潮した……イイナア……と思われる処だけを抜き
萃
(
あつ
)
めて
能とは何か
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
万葉集の長歌は
暫
(
しば
)
らく問はず、
催馬楽
(
さいばら
)
も、平家物語も、謡曲も、浄瑠璃も
韻文
(
ゐんぶん
)
である。そこには必ず幾多の詩形が眠つてゐるのに違ひない。
文芸的な、余りに文芸的な
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
奥まった寝殿には、
催馬楽
(
さいばら
)
の笛や
笙
(
しょう
)
が遠く鳴っていた。時折、女房たちの笑いさざめく声が、いかにも、春の日らしくのどかにもれてくる。
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
男が女に
催馬楽
(
さいばら
)
を贈ったり、女がそれを琴で唄ったり、
浅香
(
あさか
)
と云う乳母がお姫様のあとを追って苦労をしたりするのなぞは、平安朝のようでもある。
蓼喰う虫
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
▼ もっと見る
朗詠
(
ろうえい
)
や
催馬楽
(
さいばら
)
の濁った声もきこえた。若い女の華やかな笑い声もひびいた。その騒がしい春の夜のなま暖かい空気のなかに、桜の花ばかりは黙って静かに散った。
玉藻の前
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
この機運が
神楽
(
かぐら
)
や
催馬楽
(
さいばら
)
などにも著しく外国楽を注ぎ入れたところから見ると、当時の日本化は
古寺巡礼
(新字新仮名)
/
和辻哲郎
(著)
という
催馬楽
(
さいばら
)
の酒ほがいの歌なども伝わっている。トネリメはすなわち
刀自
(
とじ
)
であったろうと思う。
木綿以前の事
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
正月には鳥追いが来、在方の農家の娘たちは
催馬楽
(
さいばら
)
という輪舞いのようなものをおどって来た。
鄙
(
ひな
)
びたものだが美しかった。それから忘れられないのは「敦盛さま」である。
光り合ういのち
(新字新仮名)
/
倉田百三
(著)
かかる
類
(
たぐ
)
い
高麗錦
(
こまにしき
)
、
新羅斧
(
しらぎおの
)
など『万葉集』中いと多し(『北辺随筆』)、カケは
催馬楽
(
さいばら
)
の酒殿の歌、にわとりはかけろと鳴きぬなりとあるカケロの略で(『円珠庵雑記』)
十二支考:08 鶏に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
按察使
(
あぜち
)
の大納言
資賢
(
すけかた
)
は
和琴
(
わごん
)
を鳴らし、その子
右馬頭資時
(
うまのかみすけとき
)
は
風俗
(
ふうぞく
)
、
催馬楽
(
さいばら
)
を歌い、四位の侍従
盛定
(
もりさだ
)
は拍子をとりながら
今様
(
いまよう
)
を歌うなど、和気
藹々
(
あいあい
)
のうちに得意の芸が披露されていた。
現代語訳 平家物語:05 第五巻
(新字新仮名)
/
作者不詳
(著)
催馬楽
(
さいばら
)
、田楽、諸国の
地謡
(
じうた
)
というものを真には研究して見ないからだ。
フレップ・トリップ
(新字新仮名)
/
北原白秋
(著)
地方の民が、大蔵省へ馬で
貢税
(
みつぎ
)
を運び入れながら唄った国々の歌が
催馬楽
(
さいばら
)
となったといわれるが、田楽ももとは農土行事の田植え
囃子
(
ばやし
)
だった。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
催馬楽
(
さいばら
)
の
飛鳥井
(
あすかい
)
を二人で歌ってから、源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、宰相はしだした。
源氏物語:12 須磨
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
世にもめでたくありがたくおぼえそうらいしに、やがて千手が舟をめぐりて口々に
催馬楽
(
さいばら
)
をうたいどよもし候えば、何にてもあれ、歌一首きかせてんやと申しそうろうほどに
二人の稚児
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
福井県に
武生
(
たけふ
)
という大きな町がある。昔はここに国府があり、越前の守がいた。越前を道の口といい、日本海岸の旅路のとっかかりであった。
催馬楽
(
さいばら
)
に有名な歌が残っている。
故郷七十年
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
大学生どもこれをモンキーと称えいたなど、『
松屋
(
まつのや
)
筆記』にくぼの名てふ
催馬楽
(
さいばら
)
のケフクてふ詞を説きたると
攷
(
かんが
)
え合せて、かかる聯想は
何処
(
どこ
)
にも自然に発生し、決して相伝えたるにあらずと判る。
十二支考:07 猴に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
「あちらの女どもの
屋
(
おく
)
へ渡らせて、
双六
(
すごろく
)
か
扇投
(
おうぎな
)
げでもなされては如何。
盛姫
(
もりひめ
)
に
催馬楽
(
さいばら
)
を見しょうとて、町より
白拍子
(
しらびょうし
)
を呼び集め、
賑
(
にぎ
)
やかに遊んでおるらしいが」
源頼朝
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
女御は
箏
(
そう
)
を紫夫人に譲って、悩ましい身を横たえてしまったので、
和琴
(
わごん
)
を院がお
弾
(
ひ
)
きになることになって、第二の合奏は柔らかい気分の
派手
(
はで
)
なものになって、
催馬楽
(
さいばら
)
の
葛城
(
かつらぎ
)
が歌われた。
源氏物語:35 若菜(下)
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
それでいて絶えず杯に満を引いて、いくらでも酒を
呷
(
あお
)
っている。
管絃
(
かんげん
)
の合間々々に皆が
催馬楽
(
さいばら
)
を
謡
(
うた
)
うのであるが、左大臣の声の美しさと
節廻
(
ふしまわ
)
しの
巧
(
うま
)
さには、誰も及ぶ者がないように感ぜられる。
少将滋幹の母
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
しかし
催馬楽
(
さいばら
)
の「
久保之名
(
くぼのな
)
」という歌の文句に
地名の研究
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
ここは
伊勢
(
いせ
)
の海ではないが「清き
渚
(
なぎさ
)
に貝や拾はん」という
催馬楽
(
さいばら
)
を美音の者に歌わせて、源氏自身も時々拍子を取り、声を添えることがあると、入道は琴を弾きながらそれをほめていた。
源氏物語:13 明石
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
六波羅
(
ろくはら
)
の
館
(
やかた
)
とかまた平家の
門葉
(
もんよう
)
の
第宅
(
ていたく
)
には、夜となれば月、昼となれば花や紅葉、
催馬楽
(
さいばら
)
の管絃の
音
(
ね
)
に、美酒と、
恋歌
(
こいうた
)
の
女性
(
たおやめ
)
が、平安の夢を
趁
(
お
)
って、戦いと戦いとの、一瞬の間を、あわただしく
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
例の美音の
弁
(
べん
)
の少将がなつかしい声で
催馬楽
(
さいばら
)
の「
葦垣
(
あしがき
)
」を歌うのであった。
源氏物語:33 藤のうら葉
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
糸毛の
輦
(
くるま
)
、
八葉
(
はちよう
)
の輦、
輿
(
こし
)
や牛車が、
紅葉
(
もみじ
)
をかざして、打たせているし、宏壮な辻々の
第宅
(
ていたく
)
には、昼間から、
催馬楽
(
さいばら
)
の笛が洩れ、加茂川にのぞむ
六波羅
(
ろくはら
)
の
薔薇園
(
しょうびえん
)
には、きょうも、小松殿か、
平相国
(
へいしょうこく
)
かが
親鸞
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蔵人少将とつれだって西の
渡殿
(
わたどの
)
の前の紅梅の木のあたりを歩きながら、
催馬楽
(
さいばら
)
の「梅が枝」を歌って行く時に、薫の侍従から放散する香は梅の花の香以上にさっと内へにおってはいったために
源氏物語:46 竹河
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
つまり公卿たちの
催馬楽
(
さいばら
)
(歌謡)や管絃だった。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
夫人の掻き合わせの
爪音
(
つまおと
)
が美しい。
催馬楽
(
さいばら
)
の「
伊勢
(
いせ
)
の海」をお歌いになる宮のお声の品よくおきれいであるのを、そっと几帳の後ろなどへ来て聞いていた女房たちは満足した
笑
(
え
)
みを皆見せていた。
源氏物語:51 宿り木
(新字新仮名)
/
紫式部
(著)
“催馬楽”の解説
催馬楽(さいばら)とは、平安時代に隆盛した古代歌謡。元来存在した各地の民謡・風俗歌に外来楽器の伴奏を加えた形式の歌謡である。管絃の楽器と笏拍子で伴奏しながら歌われた「歌いもの」の一つであり、多くの場合遊宴や祝宴、娯楽の際に歌われた。語源については馬子唄や唐楽からきたとする説などもあるが定かではない。
(出典:Wikipedia)
催
常用漢字
中学
部首:⼈
13画
馬
常用漢字
小2
部首:⾺
10画
楽
常用漢字
小2
部首:⽊
13画
“催馬楽”で始まる語句
催馬楽歌