衆生しゆじやう)” の例文
観音経の中の、「諸々の善男子よ、恐怖するなかれ、なんぢ等まさに一心に観世音菩薩の名号をとなふべし。菩薩ぼさつく無畏を以て衆生しゆじやうを施したまふ。」
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
しらみひねる事一万疋に及びし時酒屋さかや厮童こぞうが「キンライ」ふしを聞いて豁然くわつぜん大悟たいごし、茲に椽大えんだい椎実筆しひのみふでふるつあまね衆生しゆじやうため文学者ぶんがくしやきやう説解せつかいせんとす。
為文学者経 (新字旧仮名) / 内田魯庵三文字屋金平(著)
煩悩ぼんなう具足ぐそく衆生しゆじやうは、いづれにても生死をはなるる事かなはず、哀れみ給へ、哀れみ給へ。病悪の正因をぬぐひ去り給へ。大日向の慈悲じひを垂れ給へ」
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
まして我々下根げこん衆生しゆじやうは、い加減な野心に煽動せんどうされて、がらにもない大作にとりかかつたが最期さいご虻蜂あぶはちとらずのたんを招くは、わかり切つた事かも知れず。
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
釈迦如来、金口こんくに正しく説き給はく、等しく衆生しゆじやうを思ふこと、羅睺羅らごらの如しと。又説き給はく、愛は子に過ぎたるは無しと。至極の大聖すら尚ほ子をうつくしむ心あり。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
小天地想といふ美の三級をりもて來て、今の文界の衆生しゆじやうのために、さかんに小乘を説きしは、おそらくは是れ作者あはれとおもひてならむ、批評家憎しとおもひてならむのみ。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
斯法しほふタルヤすなは如来によらい肝心かんじん衆生しゆじやう父母ぶも、国ニ於テハ城塹じやうざん、人ニ於テハ筋脈きんみやくナリ、是ノ大元帥ハ都内ニハ十供奉ぐぶ以外ニ伝ヘズ、諸州節度ノ宅ヲ出ヅルコトナシ、縁ヲ表スルニソノ霊験不可思議なり
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いづれ美人びじんにはえんなき衆生しゆじやうそれうれしく、外廓そとぐるわみぎに、やがてちひさき鳥居とりゐくゞれば、まる石垣いしがききふたかく、したたちまほりふかく、みづはやゝれたりといへども、枯蘆かれあしかやたぐひ細路ほそみちをかけて、しもよろ
城の石垣 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
春の雨衆生しゆじやうすくひの大力者だいりきしやぬれていましぬさくらの中に
舞姫 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
兼松の樣子では、寅吉は縁なき衆生しゆじやうのやうです。
弥陀みだの本願には、老少善悪のひとをえらばれず、たゞ信心を要とするべし。その中へは、罪悪深重、煩悩ぼんなう熾盛しせい衆生しゆじやうをたすけんがための願ひにまします。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
されど下根げこん衆生しゆじやうと生まれたからは、やはり辛抱しんばう専一に苦労する外はあるまいと思ふ。(十月三日)
雑筆 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
○宗教上の信仰を有する人は、かかる時こそ宗教の加護を受くべきである。観音の額には無所畏むしよゐの三字が示してあるではないか。不動尊は不動経に、我は衆生しゆじやう心中しんちゆうぢゆうすと説いてあるではないか。
日本大地震 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
かう云つて通じなければ——その人は遂に僕にとつて、縁無き衆生しゆじやうだと云ふ外はない。
芸術その他 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
いはんや唯物美学などと云ふものには更に縁のない衆生しゆじやうである。しかし白柳氏の美の発生論は僕にも僕の美学を作る機会を与へた。白柳氏は造形美術以外の美の発生に言及してゐない。
どうも僕はバイロンには、えんなき衆生しゆじやうに過ぎないらしい。
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)