研鑽けんさん)” の例文
お茶の席に於いて大いなるへまを演じ、先生に叱咤せられたりなどする事のないように、細心に独習研鑽けんさんして置かなければならぬ。
不審庵 (新字新仮名) / 太宰治(著)
勿論、日ごとに、岡崎から吉水へ通って、上人に仕えることと易行いぎょう念仏門の本願に研鑽けんさんすることは一日とて、怠るのではなかった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
早稲田大学は学問の独立を本旨と為すを以てこれが自由討究を主とし常に独創の研鑽けんさんつとめ以て世界の学問に裨補ひほせん事を期す
早稲田大学の教旨 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
しかしそれでも慧仙和尚けいせんおしょうのもとに老若十余人の僧が研鑽けんさんしていたし、また諸国から来て挂錫けいしゃくする修業僧もつねに三五人は欠かなかったのである。
荒法師 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
多紀氏は江戸時代の漢方医学の牛耳ぎゅうじを握って、あるいは医学校を創立して諸生を教え、あるいは書物を校刊して学者の研鑽けんさんの資に供した官医で
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
人生の路、ことごとく同じである。芸術でも宗教でも、学問でも商業でも、武道でも政治でも、研鑽けんさんと工夫に長い年月苦心を重ね、渡世に骨身を削るのである。
(新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
勿論翁の斯道に対する研鑽けんさんと、不退転の猛練習とは晩年に到ってもおこたる事がなかった筈であるが、しかしこの以後の修養は所謂いわゆる悟り後の聖胎長養時代で
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
しかし学芸を研鑽けんさんして造詣ぞうけいの深きを致さんとするものは、必ずしも直ちにこれを身に体せようとはしない。必ずしもただちにこれを事に措こうとはしない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これは新発明とか、創造とかにはあるいは適さぬ性質かも知れない。何故なぜと言えば、余り深く一処ひとところ一物いちもつに執着して研鑽けんさんを積むという性質ではないからである。
紅葉が元禄復興を唱えたのは研鑽けんさんの歩を進めた数年後であって勃興当初はやはり化政度の復現であったのだ。
当時余の予算にては帰朝後十年を期して、充分なる研鑽けんさんの結果を大成し、しかる後世に問ふ心得なりし。
『文学論』序 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
人間身体からだの組織も七年ごとに変るといへば作者小成に安んぜず平素研鑽けんさん怠ることなくんば人に言はるるより先に自分から不満足を感じ出し、作風は自然と変化し行くべし。
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
日ごと問題の図書館(それは、その後二百年にして地下に埋没まいぼつし、さらに二千三百年にして偶然ぐうぜん発掘はっくつされる運命をもつものであるが)に通って万巻の書に目をさらしつつ研鑽けんさんふけった。
文字禍 (新字新仮名) / 中島敦(著)
『ホトトギス』の雑詠欄はかつてもいった事のあるように、これは一個の私塾であって、その成績を塾の壁にかかげてたがい研鑽けんさんの料にするのである。あえて天下に展観しようというのではない。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
その発源としての感覚領域とについては今なおいろいろと研鑽けんさん中の始末で、これが又、日本語という特殊な国語の性質上、実に長期の基本的研究と、よほど視力のきいた見通しとを必要とするので
この理想を実現するには何としても学問の独立、学問の活用を主とし、独創の研鑽けんさんつとめ、その結果を実際に応用するにある。
早稲田大学の教旨 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
旧教のからが脱けきれないのか、研鑽けんさんが浅いのか、とにかく、肚の底まで、念仏そのものに、澄明ちょうめいになりきれない者たちだった。善信は、心のうちで
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
抽斎が平生へいぜいの学術上研鑽けんさんの外に最も多くおもいを労したのは何事かと問うたなら、恐らくはその五十二歳にして提起した国勝手くにがっての議だといわなくてはなるまい。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
秋成は、かういふ流浪るろう漂泊の生活の中に研鑽けんさん執筆してその著書は、等身の高さほどあるといはれてゐる。
上田秋成の晩年 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
しかも維新後、能楽没落のただ中に黙々として斯道しどう研鑽けんさんを怠らなかった。
梅津只円翁伝 (新字新仮名) / 夢野久作杉山萠円(著)
兵法の道ほど蘊奥うんおうの深いものはない、多年の研鑽けんさんにいささか会得したと信じていた蝙也も、一女子のおまえに狙われれば、こんなに無造作にしてやられる、まだまだ俺などは未熟者だな、——町、まさに蝙也の敗北だ、約束どおり暇を
松林蝙也 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
叡山えいざん苦行くぎょうし、南都に学び、あらゆる研鑽けんさんにうきみをやつしていたところで、それが単なる自分の栄達だけにすぎないならば、なんの意義があるのであろう。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分の一命も、年来研鑽けんさんしてきた兵学も、それを捧げ尽くすべき主を見失って、なんだか近頃は、世の中がつまらなくなった。——霧を吸って、机に頬づえを
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
光秀様の歌道は、細川藤孝(幽斎ゆうさい)殿と、御姻戚ごいんせきの間がらとなってからは、なおさら、研鑽けんさんの深いものがあり、かつて、滋賀の唐崎からさきに松を植えられて、その折
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前技、後技のことも、万国色道哲学における人類の研鑽けんさんはどこといっても変りはないが、その執拗度しつようどやねばりにおいては、多少、国情や体力の相違もあろうか。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし学問は終始怠らず、仏法の研鑽けんさんには、わけてなみならぬものがあった。すべてにむかって、その御精力は、精力の底までを、かたむけ尽さねば気がすまぬご気性だった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鹿島神宮の武林ぶりんに入って、天真神道流の研鑽けんさんに身をゆだね、元亀何年かには、越後の上杉謙信の幕将、松田尾張守に随身して、戦場をも馳駆したらしいが、謙信の歿後ぼつごは、ようとして
剣の四君子:03 林崎甚助 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おちこちの新関しんせきは撤廃し、記録所を興して、寺社の訴訟も親しく聴かれ、御余暇といえ、学殖のお養い、禅の研鑽けんさんなど、聖天子たるの御勉強には、大御心のたゆむお暇も仰げぬという。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし、その後には、権律師胤舜ごんりつしいんしゅんどのが、宝蔵院流の秘奥ひおうをうけ、二代目の後嗣こうしとして、今もさかんに槍術を研鑽けんさんして、多くの門下を養い、またう者はこばまずご教導も下さるとか伺いましたが
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
庄田喜左衛門は、役目は用人であるが、すでに早く新陰流に達し、石舟斎が研鑽けんさんして、家のりゅうというところの柳生流の奥秘も会得えとくしていた。——そして、彼は彼で、自分の個性と工夫を加えて
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大寨たいさいの初秋は、水清く、山うるわしく、また酒が美味うまかった。宋江はよく晁蓋ちょうがいと時事を語り、また涼夜りょうや灯火ともしびっては、書窓の下にかの三巻の天書をひもどき、呉用とともにその研鑽けんさんふけっていた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みな、自得じとく研鑽けんさんから通力つうりきした人間技にんげんわざであることが納得なっとくできた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寝食をわすれて、研鑽けんさんした。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)