旧字:檢校
宇都宮に知りびとがあるので、そこへ頼って行って按摩の弟子になりまして、それからまた江戸へ出て、ある検校の弟子になりました。
すぐに京都に上り、生田流、松野検校の門に入る。十五歳、業成り、勾当の位階を許され、久我管長より葛原の姓を賜う。時、文政九年也。
“検校”の意味
“検校”の解説
検校(けんぎょう)は、平安時代・鎌倉時代に置かれた荘官、社寺や荘園の監督役職名である。室町時代以降、盲官(盲人の役職)の最高位の名称と定着した。檢校あるいは建業とも書いた。
江戸時代になると、国の座をまとめる総検校を最高位として京都に置き、江戸には関東の座の取り締まりをする総録検校を置いた。
盲官の検校は、専用の頭巾・衣類・杖などの所有が許された。盲官では、位階順に別当、勾当、座頭などがあった。
(出典:Wikipedia)
江戸時代になると、国の座をまとめる総検校を最高位として京都に置き、江戸には関東の座の取り締まりをする総録検校を置いた。
盲官の検校は、専用の頭巾・衣類・杖などの所有が許された。盲官では、位階順に別当、勾当、座頭などがあった。
(出典:Wikipedia)
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