検校けんぎょう)” の例文
旧字:檢校
名手の割に余り世にも持てはやされない検校けんぎょうさんに、「残月」の緩やかな手のところでも弾いて貰ったら、或は調和するかも知れない。
六日月 (新字新仮名) / 岩本素白(著)
誰かが『徒然草』の好い注解本をはなわ検校けんぎょう方へ持ち行きこの文は何に拠る、この句は何よりづと、事細かに調べある様子を聞かすと
宇都宮に知りびとがあるので、そこへ頼って行って按摩の弟子になりまして、それからまた江戸へ出て、ある検校けんぎょうの弟子になりました。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
すぐに京都に上り、生田流、松野検校けんぎょうの門に入る。十五歳、業成り、勾当の位階を許され、久我管長より葛原の姓を賜う。時、文政九年也。
盲人独笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして、座頭以上、勾当こうとう、別当、検校けんぎょうなどの六、七十名だけが残って、しばらくは等持院の内で、茶と点心てんしんきょうをうけていた。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幼少の折、奥のひと間で品のよい婦人と検校けんぎょうとが「狐噲こんかい」を弾いていたあの場面が、一瞬間彼の眼交まなかいかすめた。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「ははあ、こいつはまた先祖は士分ではない、検校けんぎょうだ——検校が金をめて小旗本の株でも買ったんだろう」
御身おんみが家の下人の詮議せんぎか。当山は勅願の寺院で、三門には勅額をかけ、七重の塔には宸翰金字しんかんこんじの経文がおさめてある。ここで狼藉ろうぜきを働かれると、国守くにのかみ検校けんぎょうの責めを問われるのじゃ。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
その音一の周防から上洛したのは翌年の十月であるが、その後検校けんぎょうとなり相変らず実隆邸で『平家』を語り、七年九月に駿河国に下向した時には実隆の手紙をも頼まれたのである。
……こういう人びとのなかに、或るときなにがし検校けんぎょうとかいう琴の名手がいた。
日本婦道記:墨丸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
遠いから何をうたって、何を弾いているか無論わからない。そこに何だかおもむきがある。音色ねいろの落ちついているところから察すると、上方かみがた検校けんぎょうさんの地唄じうたにでも聴かれそうな太棹ふとざおかとも思う。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
四階とは検校けんぎょう別当べっとう勾当こうとう座頭ざとう、十六官とは座頭に四度の階級があり、勾当、別当、検校それぞれ次第があって、都合十六に分れていることを言い、七十三刻とは、半打掛から中老引ちゅうろうびきまで六十七刻
甲府勤番のころ、町方で検校けんぎょうが井戸にはまって死んだ。
顎十郎捕物帳:04 鎌いたち (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
検校けんぎょうの妾に顔を棄てに行き」
寄席 (新字新仮名) / 正岡容(著)
その気ぶりもなかったのは、大社の孝時たかとき、日ノ御碕みさき検校けんぎょう、鰐淵寺の頼源らいげんなどの下に不気味な宮方同心の層があるのを知っていたせいであろう。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
当人もかねてそれを懸念けねんしたらしく、地方じかたで舞を引き立てるように、今日は特に幸子の琴の師匠である菊岡検校けんぎょうの娘をわずらわして、三味線に出てもらったのであったが
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
深草の検校けんぎょうというのは、享保年間、京都に住んで三絃をよくした盲人であったが、老後におよんで人にいっていわく、「私の聞き得たところでは、天地の間には三百六十音がある」
大菩薩峠:27 鈴慕の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
盲人の望みは検校けんぎょうでございます。
名古屋には平家琵琶の井野川検校けんぎょうが古典を伝えている。この日も古式の服装で“宇治川先陣”の一曲を弾奏だんそうした。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
琴女は生涯しょうがい鵙屋せいを名のっていたけれども「門人」温井検校けんぎょうと事実上の夫婦ふうふ生活をいとなんでいたのでかく鵙屋家の墓地とはなれたところへ別に一基を選んだのであろうか。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
私に琵琶を教えてくれました検校けんぎょうが、何でも心得のある人でございましてね、その人から調子だけを教えていただきまして、あとは自分で工夫すると、どうやら当りがつくのでございますから
大菩薩峠:19 小名路の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「なにしろ明石あかし検校けんぎょうと仰っしゃるのは、当道派とうどうはの主座で、それに、死んだ将軍家とはお従弟いとこにあたる人だ。あれくらいなことはわけなくできたろうさ」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
菊岡検校けんぎょうと娘の徳子に来て貰い、徳子の地、妙子の舞で「袖香炉そでごうろ」、検校の三味線、幸子の琴で「残月」を出すことにして、急に半月ばかり前から、幸子は家で琴の練習を
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ほころびたさを、姿態しなにも胸にも秘しながら、毎日、午すこし過ぎると、江戸千家へ茶の稽古に、なにがし検校けんぎょうのもとへは琴の稽古に、欠かすことなく通っていた。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わざわざ大阪の南の方に住んでいる或る盲人の検校けんぎょうもとまで二人で稽古けいこに行くのである。
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
このほど検校けんぎょうのみゆるしを賜わった盲法師で、そのおん礼のため、左兵衛さひょうえかみ(尊氏)さまにともなわれて、今日、春の宮(東宮)へも伺うたよしを聞いております。
取り分けいまだにおもい出すのは、自分が四つか五つのおり、島の内の家の奥の間で、色の白い眼元のすずしい上品な町方まちかたの女房と、盲人もうじん検校けんぎょうとがこと三味線しゃみせんを合わせていた、———その
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
その夜は明石の検校けんぎょうを中心にかなり突ッ込んだ質疑や応答があったものであるらしい。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「たしか大阪の、何とか云う検校けんぎょうさんじゃあなかったんですか」
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
だが覚一は後年、明石に住んで“明石ノ検校けんぎょう”といわれ、後醍醐、光厳、後村上、光明の諸帝も彼の平家琵琶を愛された。盲目の彼一人には、南北朝の別もなくまた暗黒期もなかったのだ。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、老賊の老巧で、やりたい贅沢ぜいたくは、年に何度か、伊勢詣りの、検校けんぎょうの試験に上洛のぼるのだと称して、上方へ行って散財し、江戸では、導引暮らしの分を守り、決してをあらわさない。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾張春日井郡の丹羽勘助を抱きこみにやった今井検校けんぎょうもついきのう、恥辱を与えられてむなしく帰ってきたばかりだ。——秀吉は、尾藤甚右からのてがみを、神籤みくじの封を切るような心地でひらいた。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
検校けんぎょうが、おいとまを戴いて帰りたいと申しておりますが」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分は都の者で、検校けんぎょう允可いんかも持っている。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
検校けんぎょうは招いておいたか」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
検校けんぎょう