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御台所
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みだいどころ
ふりがな文庫
“
御台所
(
みだいどころ
)” の例文
旧字:
御臺所
暈
(
ぼか
)
して
胡麻化
(
ごまか
)
してしまう。偉いぞお菊、その呼吸だ。
御台所
(
みだいどころ
)
に成れるかもしれねえ。俺はお前の弟子になろう、ひとつ俺を仕込んでくれ
銅銭会事変
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
十四代将軍(徳川
家茂
(
いえもち
)
)の
御台所
(
みだいどころ
)
として降嫁せらるるという和宮様はどんな美しいかただろうなぞと語り合ったりしているところだった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
その中に
御台所
(
みだいどころ
)
の勝頼夫人は、白い花のような
容顔
(
かんばせ
)
にやや
茫
(
ぼう
)
としてみえる
現
(
うつつ
)
をたたえ、
館
(
やかた
)
の奥の丸にあるとおりに坐っていた。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「なに、
御台所
(
みだいどころ
)
じゃないよ。
御側室
(
ごそくしつ
)
さまだよ。そのうちには、持参金でもつけてどっかへ片付けてしまうかも知れないよ」
生々流転
(新字新仮名)
/
岡本かの子
(著)
十三代の将軍
温恭院殿
(
おんきょういんでん
)
(
家定
(
いえさだ
)
)の
御台所
(
みだいどころ
)
は、薩摩の
島津斉彬
(
しまづなりあきら
)
の娘さんであります。お
輿入
(
こしいれ
)
があってから僅か三年に満たないうちに、将軍が亡くなりました。
大菩薩峠:16 道庵と鯔八の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
▼ もっと見る
承元
(
じょうげん
)
二年
戊辰
(
つちのえたつ
)
。二月小。三日、
癸卯
(
みずのとう
)
、晴、
鶴岳宮
(
つるがおかぐう
)
の
御神楽
(
みかぐら
)
例の如し、将軍家御
疱瘡
(
ほうそう
)
に
依
(
よ
)
りて
御出
(
ぎょしゅつ
)
無し、
前大膳大夫
(
さきのだいぜんのだいぶ
)
広元朝臣
(
ひろもとあそん
)
御使として神拝す、又
御台所
(
みだいどころ
)
御参宮。
鉄面皮
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
主人の
足裏
(
あしうら
)
も
鯊
(
さめ
)
の
顋
(
あご
)
の様に
幾重
(
いくえ
)
も
襞
(
ひだ
)
をなして口をあいた。あまり
手荒
(
てあら
)
い攻撃に、虎伏す野辺までもと
跟
(
つ
)
いて来た
糟糠
(
そうこう
)
の
御台所
(
みだいどころ
)
も、ぽろ/\涙をこぼす日があった。
みみずのたはこと
(新字新仮名)
/
徳冨健次郎
、
徳冨蘆花
(著)
そうして万事
御台所
(
みだいどころ
)
本位で御機嫌を取っている。妻め
悉皆
(
すっかり
)
増長してしまって
宛然
(
まるで
)
女王
(
クイーン
)
だね。大きな目をして婆さん染みたところはトランプの
女王
(
クイーン
)
に能く似ているだろう
ぐうたら道中記
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
私抔
(
わたしなど
)
を御覧なせい、
御舘
(
おやかた
)
へ帰つて見りや、豚小屋から
臀
(
しり
)
の来さうな中に
御台所
(
みだいどころ
)
、
御公達
(
ごきんだち
)
、御姫様方と
御四方
(
およつかた
)
まで御控へめさる、
是
(
これ
)
で
私
(
わし
)
が
脚気
(
かつけ
)
の一つも踏み出したが最後
火の柱
(新字旧仮名)
/
木下尚江
(著)
その公方さま花の御所の御造営には
甍
(
いらか
)
に珠玉を飾り金銀をちりばめ、その
費
(
つい
)
え六十万
緡
(
さし
)
と申し伝えておりますし、また義政公御母君
御台所
(
みだいどころ
)
の住まいなされる高倉の御所の
腰障子
(
こししょうじ
)
は
雪の宿り
(新字新仮名)
/
神西清
(著)
五百
(
いお
)
は十一、二歳の時、本丸に奉公したそうである。年代を推せば、文政九年か十年かでなくてはならない。
徳川家斉
(
とくがわいえなり
)
が五十四、五歳になった時である。
御台所
(
みだいどころ
)
は
近衛経煕
(
このえけいき
)
の養女
茂姫
(
しげひめ
)
である。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
欣弥さんはお奉行様じゃ、むむ、奥方にあらず、
御台所
(
みだいどころ
)
と申そうかな。
錦染滝白糸:――其一幕――
(新字新仮名)
/
泉鏡花
(著)
御用
鍛冶
(
かじ
)
、行徳助宗、将軍家
御台所
(
みだいどころ
)
のお旨をうけ、要急のご祈願あって、高野山へお代参に参る途中じゃ、とこのように申し、御台さまのお手形所持いたしおったゆえ、否やなく通行許したのじゃ
右門捕物帖:31 毒を抱く女
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
もうそうなりゃアこっちのものだ。——さ、
御台所
(
みだいどころ
)
、お酌だ
小説 不如帰
(新字新仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
一 まゐり来てこの
御台所
(
みだいどころ
)
見申せや、め
釜
(
がま
)
を釜に釜は十六
遠野物語
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
彼女は
御台所
(
みだいどころ
)
付きの女房で
茅村
(
ちむら
)
の
局
(
つぼね
)
という。やがて勝頼の前へ来て、奥の丸からのお使いという旨をこう訴えていた。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼は簾の
隙間
(
すきま
)
を通して二度も将軍の
御台所
(
みだいどころ
)
を見ることができた。彼女は美しい黒い目をもち、顔の色が
鳶色
(
とびいろ
)
に見える美人で、その髪の形はひどく大きかったという。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
その公方さま花の御所の御造営には
甍
(
いらか
)
に珠玉を飾り金銀をちりばめ、その
費
(
つい
)
え六十万
緡
(
さし
)
と申し伝へてをりますし、また義政公御母君
御台所
(
みだいどころ
)
の住まひなされる高倉の御所の
腰障子
(
こししょうじ
)
は
雪の宿り
(新字旧仮名)
/
神西清
(著)
十四年七月二十二日に、
御台所
(
みだいどころ
)
の養子にせられ、九月十八日に津山の松平家に壻入し、十二月三日に松平邸に
往
(
いっ
)
た。四歳の
壻君
(
むこぎみ
)
である。文政二年正月二十八日には新居落成してそれに移った。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
「
御台所
(
みだいどころ
)
さまはやっぱりお怖いんでございましょう?」
四十不惑
(新字新仮名)
/
佐々木邦
(著)
(まだまだこんな程度でおまえの
良人
(
おっと
)
は終るものではない。いまに将軍家の
御台所
(
みだいどころ
)
とも仰がれる身にしてやるぞ)
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
天璋院
(
てんしょういん
)
といえば、当時すでに
未亡人
(
みぼうじん
)
であるが、その人を先の将軍の
御台所
(
みだいどころ
)
として徳川家に送った
薩摩
(
さつま
)
の島津氏などもつとに公武合体の意見を
抱
(
いだ
)
いていて、幕府有司の中にも
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「これでまず、幼君のご無事なことは確かだが、もう
一
(
ひ
)
ト
方
(
かた
)
の
御台所
(
みだいどころ
)
(
登子
(
とうこ
)
)のご安否は、いかがなものか?」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「新田殿との駈引きやら、諸国の武士の統合、それに
御台所
(
みだいどころ
)
のお行方もわからず、さすがお疲れとみえますな」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その方角にも迷ったのでしょう、車寄せの
破風
(
はふ
)
から足を回して、ふたたび大屋根の浅瀬を駆けながら、当番所、納戸前、
御台所
(
みだいどころ
)
の上まで伝わって来ますと
江戸三国志
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かいがいしく、
裳
(
もすそ
)
をくくしあげた女房が、
侍女
(
こしもと
)
ひとりをつれて、
御台所
(
みだいどころ
)
のお使いと称し、その混雑な
庭面
(
にわも
)
から、ほの暗い広間の中の人群れを見わたしていた。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
浜町
(
はまちょう
)
菖蒲河岸
(
あやめがし
)
の御船御殿というのは、将軍家
船
(
ふね
)
お
成
(
なり
)
の節に、
御台所
(
みだいどころ
)
づき大奥の女中たちが、よそながら
陪観
(
ばいかん
)
するお数寄屋であったが、いつからか、そこにあでやかな一人の貴婦人が棲むようになり
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
御台所
(
みだいどころ
)
(
登子
(
とうこ
)
)の御安否でございますか」
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“御台所”の解説
台所
御台所(みだいどころ)は、大臣・将軍家など貴人の妻に対して用いられた呼称。御台盤所(みだいばんどころ)も同じ。奥方様の意。
「御台」・「御台盤」とは身分の高い人の食事を載せる台盤を指す。
「台盤所」とは宮中や貴族の邸宅の配膳室(また調理する場所)を指す。台所はその略。
(出典:Wikipedia)
御
常用漢字
中学
部首:⼻
12画
台
常用漢字
小2
部首:⼝
5画
所
常用漢字
小3
部首:⼾
8画
“御台所”で始まる語句
御台所町
御台所政子