“島津斉彬”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
しまづなりあきら66.7%
しまずなりあきら33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
十三代の将軍温恭院殿おんきょういんでん家定いえさだ)の御台所みだいどころは、薩摩の島津斉彬しまづなりあきらの娘さんであります。お輿入こしいれがあってから僅か三年に満たないうちに、将軍が亡くなりました。
必らず島津斉彬しまづなりあきら氏一流の見に同じく先づ公武合体論を為して時の宜きに通ぜしめんと欲するに過ぎざらんか。然も彼に因りて日本人は祖国の歴史を知れり。日本人は日本国の何物たるかを知れり。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
島津斉彬しまずなりあきらの如きはその首領にして、幕士中における勝安芳の如き、もしくは長州における長井雅楽の如き、もしくは横井小楠、佐久間象山の如きも、その実際的経綸は
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
維新革命史中において、建設的革命家たる標式は、独り島津斉彬しまずなりあきらにおいてこれを見る。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)