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後詰
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ごづめ
ふりがな文庫
“
後詰
(
ごづめ
)” の例文
後詰
(
ごづめ
)
には、二本松の義貞の本陣からも、経ヶ島附近にある脇屋義助の陣からも、たちまち、これへいくらでも応援が可能であった。
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
もしまた仮りに、
飛騨
(
ひだ
)
の国を乗っ取ってみたところで、それを守る者、或いは
後詰
(
ごづめ
)
の頼みはどうなるのか、その辺の計画は一向にないらしい。
大菩薩峠:23 他生の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
結局この噂話は、一篇の笑話と化して
笑殺
(
しょうさつ
)
されるようになったが、その頃、また別の噂が
後詰
(
ごづめ
)
のような形で伝わり始めた。それはやっぱり鞄
変化
(
へんげ
)
に関するものであった。
鞄らしくない鞄
(新字新仮名)
/
海野十三
(著)
二ノ陣は傷の御前、
後詰
(
ごづめ
)
は峠なしの権次と、陣立てをこしれえてから、乗り込んで来たんだ。よもや、おいらの
面
(
つら
)
を忘れやしめえ! 用はこの面を見りゃ分るんだ。よく見て返答しろい!
旗本退屈男:09 第九話 江戸に帰った退屈男
(新字新仮名)
/
佐々木味津三
(著)
兎角する内に、横山の城中の者も
後詰
(
ごづめ
)
なきを恨み降参して敵へ加はるまじきにもあらず、信長当方へ打入りしより
以来
(
このかた
)
、心のまゝに働かせ候ふこと余りに云甲斐なし、早く御陣替然るべし。
姉川合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
▼ もっと見る
ところへ、
後詰
(
ごづめ
)
の張翼が、馬煙を捲いて逃げ帰ってきた。それはいいが、その同勢のあわて方といったらない。われがちに逃げこむや否
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後詰
(
ごづめ
)
として、そちらへ出張して行く——と見れば不自然でも、意外でもなんでもないことですが、ただマドロス君の海の中に於ける
独
(
ひと
)
り
相撲
(
ずもう
)
が
大菩薩峠:28 Oceanの巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
丸根、鷲津の
後詰
(
ごづめ
)
をせよと命じて手ぐすねひいて待ち構えて居た。
桶狭間合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
率
(
ひき
)
いて、
後詰
(
ごづめ
)
に出て来るにちがいない。——その裏を掻く戦法だ。そのために、上月城は
捨
(
す
)
て
餌
(
え
)
にしたのだ。怒るな、鹿之介
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その杖槍を縦横に打振ると、猿どもはバタバタとひっくり返ったり飛び散ったりするが、直ぐにまたその後から後から
後詰
(
ごづめ
)
が出で来るのであります。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
二度の失敗に、信長は、
後詰
(
ごづめ
)
の出兵をひかえたのみでなく、一応兵をのこらず
小牧山
(
こまきやま
)
へ
退
(
ひ
)
いて、その年は、待とうとした。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その中にも、岡田弥市と共に
後詰
(
ごづめ
)
の役を引受けた机竜之助は、またしても思いがけず島田虎之助と聞いて、親の
敵
(
かたき
)
に出会ったように肉がブリブリと動きます。
大菩薩峠:01 甲源一刀流の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
背後の部下はたちまち
蜘蛛
(
くも
)
の子みたいに逃げ散った。怪しみながら両将も逃げだすと、何ぞ計らん敵には堂々たる
後詰
(
ごづめ
)
がひかえていたのである。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
七兵衛も寝ながら
後詰
(
ごづめ
)
の身ごしらえしていたが、がんりきからいま忍び込んだ様子の首尾を
逐一
(
ちくいち
)
きいて
大菩薩峠:07 東海道の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「なんだって足下は、おれの
後詰
(
ごづめ
)
もせず、浮橋を焼かれるのを見ていたのだ。この報告は、つぶさに魏王へ申しあげるぞ」
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先方の
後詰
(
ごづめ
)
の形で現われたということをお角が見て取っていると、右の相撲は刀を抜いて、ひとり立っている美少年の方に向い、一人は手に携えていた太い棒をグルグルと振り廻して
大菩薩峠:29 年魚市の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
そして貴軍が
後詰
(
ごづめ
)
下さる日を期し、城中からも合図の火の手をあげ、内外より蜀軍を撃ち
挟
(
はさ
)
まんとの手筈ですから、何とぞ、お抜かりなくねがいたい
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
米友はその夥しい
後詰
(
ごづめ
)
を見ると、直ちに、これは「
折助
(
おりすけ
)
だな」と感じました。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
どうにでもしろッ、やいっ、斬るなら斬れ。骨拾いは、百人が二百人でも、
後詰
(
ごづめ
)
に、控えているんだ。いまどき、
武士面
(
さむらいづら
)
にびくついて、泣き寝入りを
松のや露八
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「よし、
後詰
(
ごづめ
)
はこちらでする。市五郎、
其方
(
そのほう
)
大儀でも
分部
(
わけべ
)
、山口、池野、増田へ沙汰をしてくれ、急いで
鷹狩
(
たかがり
)
を催すと言ってここへ集まるように。
表面
(
うわべ
)
は鷹狩だがこの鷹狩は火事よりせわしい」
大菩薩峠:14 お銀様の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
この度、備中の国へ、
後詰
(
ごづめ
)
のため、近日、
彼国
(
かのくに
)
に出馬あるべきに依り、先手の各〻、我に先だって戦場にいたり、羽柴筑前守の指図を相待つ
可
(
べ
)
き者也。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
いや宜しい。こういう女房が
後詰
(
ごづめ
)
にあれば、良人は前面に全力を出すことができる。大いに生涯可愛がってやろう。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
悪いことはすすめぬから、いまのうちに
柴田家
(
しばたけ
)
の
旗下
(
きか
)
について、
後詰
(
ごづめ
)
の
援兵
(
えんぺい
)
をあおぐが、よいしあんと申すものじゃ
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なおまた、五条辺に
後詰
(
ごづめ
)
していた
糟谷三郎宗秋
(
かすやさぶろうむねあき
)
の軍や、上加茂方面からも、六角時信の兵がじりじり寄せて
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「何をあわてる。姫路へ向って、一戦の用意だに固めておけば、騒ぐことは何もない。いざとなれば何時でも、毛利家の大軍が
後詰
(
ごづめ
)
に来ることになっている」
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
拙者
(
せっしゃ
)
は、のこりの者とともに
後詰
(
ごづめ
)
をなし、若君の旗本、ならびに、総攻めの
機
(
き
)
をうかがって、その時ごとに、おのおのへ
合図
(
あいず
)
をもうそう。さらばでござる」
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「なおなお兵力も軍需も、いくらでも甲州より
後詰
(
ごづめ
)
申さんとのお
館
(
やかた
)
の仰せであれば、飽くまで、この要害に
拠
(
よ
)
って、守るを主とし、城門を出て戦うことはせぬが得策」
上杉謙信
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その日の
午
(
ひる
)
過ぎから出陣を開始し、南安城の
後詰
(
ごづめ
)
に行くと
称
(
とな
)
えて、城外約三、四十里まで進んだ。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
河内
(
かだい
)
の
張楊
(
ちょうよう
)
は、呂布と
交誼
(
よしみ
)
があるので
後詰
(
ごづめ
)
して、呂布を助けんと称し、兵をうごかしました。
三国志:05 臣道の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
早々、丹波へ帰国、陣用意をととのえ、高松城包囲中の羽柴秀吉にたいし、山陰道より側面
牽制
(
けんせい
)
のふくみあって然るべし。——信長自身もやがて間もなく
後詰
(
ごづめ
)
に西下あらん。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「徳川、北畠の両兵力は、小牧山へあつめられ、あとは清洲にすこし
後詰
(
ごづめ
)
しておるのみだ。——思うに、家康の本国、三河の岡崎には、わずかな留守居しか残されておるまい」
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「敵は小勢」と
初手
(
しょて
)
にあまく観たのが案外だったので、その反作用からかたく堅陣をとってうごかなかった。加うるに、彼方の偽陣を見て、それも足利方
後詰
(
ごづめ
)
かと、誤算していた。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
街亭の要地を重視する孔明の用意は、それでもなお足らぬものを覚えたか、彼はさらに魏延を
後詰
(
ごづめ
)
として出発させ、また趙雲、
鄧芝
(
とうし
)
の二軍をもそこの掩護として、
箕谷
(
きこく
)
方面へ急派した。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ここにおいて、秀吉が
後詰
(
ごづめ
)
をなすぞ。城中との連絡のとれるまで、
怺
(
こら
)
えていよ」
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
精悍無比
(
せいかんむひ
)
ときこえた
亀井武蔵守
(
かめいむさしのかみ
)
の兵七百、
内藤清成
(
ないとうきよなり
)
の
手勢
(
てぜい
)
五百、
加賀爪甲斐守
(
かがづめかいのかみ
)
の一隊六百余人、
高力与左衛門
(
こうりきよざえもん
)
の三百五十人、
水野勝成
(
みずのかつなり
)
が
後詰
(
ごづめ
)
の人数九百あまり、
軍奉行
(
いくさぶぎょう
)
は
天野三郎兵衛康景
(
あまのさぶろべえやすかげ
)
。
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蜀
(
しょく
)
の
劉璋
(
りゅうしょう
)
へ、一書をおつかわしあって、玄徳は呉へ
後詰
(
ごづめ
)
を頼んできている。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
出ぬうちに攻める。それすら、彼もし驟雨の如く来て、甲府の大兵いちどに
後詰
(
ごづめ
)
せば、味方必敗のかたちに
墜
(
お
)
ち入るべしと、さし控えていた謙信が、何を今更、そのような暴戦を敢て選ぼうぞ
上杉謙信
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
前面に在る敵は、菊池方の
阿蘇
(
あそ
)
ノ大宮司
惟直
(
これなお
)
の軍勢だった。弟の
惟成
(
これなり
)
、いとこの
惟澄
(
これずみ
)
、みな一陣らしい。そのほか数千の
後詰
(
ごづめ
)
がみえる。とうてい足利勢とは比較にならない陣容だ、鉄壁の陣だ。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、同じ手は二度
効
(
き
)
くまい。しかし、たたかいも七分は勝目なしとおもわれる。朝敵の名を負った不利いかんともなし難い。よし一時は勝っても、官軍の義貞には、いくらでも
後詰
(
ごづめ
)
がつづこう」
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、特に指名して五千騎をさずけ、徐盛、丁奉を
後詰
(
ごづめ
)
にさし向けた。
三国志:10 出師の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なんぞ
測
(
はか
)
らん、曹純、牛金の
後詰
(
ごづめ
)
が、諸門を包囲し、また曹洪も引っ返してきて、勝手を知った間道から糧道まで、すべて外部から遮断してしまったので、寄手の甘寧と曹純はまったく位置をかえて
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「関羽の心裡には、まだ赤壁以来の感傷が残っています。悪くすると黄忠のために討死するやも知れません。それに小勢すぎます。わが君自ら
後詰
(
ごづめ
)
して、ひそかに力を添えてやる必要がありましょう」
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「たれぞに、もう三百も兵をつけて、
後詰
(
ごづめ
)
に添えてやろうか」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
留守も
後詰
(
ごづめ
)
もない、織田軍の全部はこれきりなのだ。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
(まだ、
後詰
(
ごづめ
)
は来ないか)
夏虫行燈
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「はや、
後詰
(
ごづめ
)
したまえ」
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後
常用漢字
小2
部首:⼻
9画
詰
常用漢字
中学
部首:⾔
13画
“後”で始まる語句
後
後生
後退
後方
後悔
後姿
後家
後手
後日
後世