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奥州
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おうしう
処で、
随筆に
書いた
方は、
初手から
筆者の
用意が
深い。これは
前にも
一寸言つた。——
奥州会津に
諏訪越中と
云ふ
大力の
人あり。
自分ばかりが
博識がるものなり、
菊塢は
奥州よりボツト出て、
堺町の
芝居茶屋和泉屋勘十
郎方の
飯焚となり、
気転が
利くより店の
若衆となり、
客先の
番附配りにも
わが
友なる——
園が、
自から
私に
話した——
其のお
話をするのに、
念のため
時間表を
繰つて
見ると、
奥州白河に
着いたのは
夜の十二
時二十四
分で——
しかし、
何うも
済みません、
第一
見た
事もありませんのに、
奥州二
本松と
云ふのは、
昔話や
何かで
耳について
居たものですから、
夢現に
最う
其処を
通つたやうに
思つたんです。
処で、
此の
随筆が
出処だとすると、
何のために、
奥州を
越前へ
移して、
越中を
備中にかへたらう、ソレ
或ひは
越中は
褌に
響いて、
強力の
威厳を
傷けやうかの
深慮に
出たのかも
計られぬ。