墳墓ふんぼ)” の例文
忌々いまいましげに振り返って、年の寄ったことも表示した。若い女性の半裸体がブザマに見えるようになれば、人生はもう墳墓ふんぼに近い。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
でも、わたくしぬるまで三浦家みうらけ墳墓ふんぼはなれなかったということは、その領地りょうち人民じんみんこころによほどふか感動かんどうあたえたようでございました。
「丞相、あなたのお眼には、そう映りますか。それがしの眼には、墳墓ふんぼに並べて埋葬まいそうする犬鶏けんけい木偶でくや泥人形のようにしか見えませんが」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この土地を英国人に売り渡した柔仏の朱丹は、ラッフルスから受取った六十万弗の中から二十万弗を同種族のものに分配して、残る十万弗で自分の墳墓ふんぼを作った。
マレー俳優の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
世のはて何處いづことも知らざれば、き人のしるしにも萬代よろづよかけし小松殿内府の墳墓ふんぼ、見上ぐるばかりの石の面に彫り刻みたる淨蓮大禪門の五字、金泥きんでいいろあらひし如く猶ほあざやかなり。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
彼らは皆その住み慣れた祖先墳墓ふんぼの地を捨てて、勇ましくも津軽の海の速潮を乗りきった。
初めて見たる小樽 (新字新仮名) / 石川啄木(著)
此時このときは一しゆべからざるの凄氣せいきたれたのである。此所こゝこれ、千すう年前ねんぜんひとほうむつた墳墓ふんぼである。その内部ないぶきながらつてつのである。白骨はくこつけるにあらぬか。
あの偉大な尚真王代の遺蹟いせきは、真に国宝に列するもので、とりわけ石彫の美は四百年後の今日も昔のままの姿で、美しく立派なものでありました。玉御殿も墳墓ふんぼとして世にも厳粛なものでありました。
沖縄の思い出 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
もし墳墓ふんぼを尋ねて
基督信徒のなぐさめ (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
もしかんを毛利家に通じ、彼に利をもってすれば、あわれ遠征宿年にわたる羽柴秀吉以下の軍は、中国の地を墳墓ふんぼとして、ふたたび都をかえりみることはできまい。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三代のあだを重ねたる關東武士くわんとうぶしが野馬のひづめ祖先そせん墳墓ふんぼ蹴散けちらさせて、一門おめ/\西海さいかいはてに迷ひ行く。とても流さん末の慫名うきなはいざ知らず、まのあたり百代までの恥辱なりと思はぬこそ是非なけれ。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
かざらんものと思いまして。……二条の第に、覚束おぼつかなくも、鉄砲をならべ、たてをかこみましたのも、足利あしかが御代々のいまや終ろうとする墳墓ふんぼに、多少のさむらいはあるぞと、花を
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太刀たちのみ残して、二人はよろいや持物のすべてを、光安入道の墳墓ふんぼのうちへ共にけた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
冀州攻略もひとまず片づくと、曹操は第一着手に、袁紹と袁家累代るいだい墳墓ふんぼまつった。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なぜならば、何たる因果か、王家の墳墓ふんぼといえば、ひつぎの中まで珠玉しゅぎょく珍宝ちんぽうを詰めこんでゆくものだから、秦朝の墳墓といい、漢室の墳墓といい、王妃の墓で発掘あばかれていないところはない位だ
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わが明智一党の最後の墳墓ふんぼと相成ったが、各〻にはもう武士として恥なき本分を尽し果されたことでもあれば、この上、求めて死をいそぐにあたらぬこと、それぞれの郷土に帰って、さらに
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
異国の帝王には、この世の宝玉や愛妃あいひへの執念しゅうねん墳墓ふんぼにまでしたがえていったような人もあるが、じぶんは今、臨命にさいして、妻子への未練も、王位や珍宝にたいする妄念も、何ら持ってはいない。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
限りなき治乱興亡を繰り返して来た墳墓ふんぼでない物はないのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)