喜多きた)” の例文
米原まいばら北陸線ほくりくせん分岐道ぶんきだうとて、喜多きたにはひとり思出おもひでおほい。が、けるとかぜつめたい。所爲せゐか、何爲いつもそゞろさむえきである。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
七夕祭の夜、喜多きた茶荘さそうに招かれた時、平山君や僕から言い出した催しとて、趣向の事や人の寄りなどに就いては、人知れず苦労していた。
友人一家の死 (新字新仮名) / 松崎天民(著)
能楽上の一大倶楽部クラブを起し、天下の有志を集めて依怙贔屓えこひいきなく金春こんぱる金剛こんごう観世かんぜ宝生ほうしょう喜多きたなどいふ仕手しての五流は勿論、わきの諸流も笛、つづみ、太鼓などの囃子方に至るまで
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
第一回は向島の喜多きた茶荘ちゃや、第二回は井の頭の翠紅亭すいこうてい、第三回は私の宅の二階で。
怪談 (新字新仮名) / 平山蘆江(著)
それからお喜多きたさんてひと覚えている、おせんちゃん、意地が悪いのと蔭口ばかりきくのでみんなに厭がられていたでしょう、あたしも、お弁当の中へ虫を入れられたことがあるわ
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「夜の白々明けに、踊りの師匠のお喜多きたさんが墓場へお詣りに行きましたよ」
拝啓 昨日は失敬本日学校でモリスに聞いて見た所二十八日の喜多きたの能を見に行くからますを一つ(上等な所。あまり舞台が鼻の先にない所を)とってもらいたいという事であります。どうか願います。
漱石氏と私 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
同 喜多きた郡 2
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
喜多きた一人ひとり俯向うつむいて、改良謙信袋かいりやうけんしんぶくろ膝栗毛ひざくりげを、しまものの胡坐あぐらけた。スチユムのうへ眞南風まみなみで、車内しやないあついほどなれば、外套ぐわいたういだとるべし。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「長崎屋のお喜多きたも十九だが、——あの娘と比べちゃお月様とすっぽんだ」
喜多きた食堂しよくだう飮酒のみく。……あのてつぼうにつかまつて、ぶるツとしながら繋目つなぎめいた踏越ふみこすのは、長屋ながや露地ろぢ溝板どぶいた地震ぢしんおもむきあり。あめ小留をやみにる。
大阪まで (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ところで、その、お差支さしつかへのなさをうらがきするため、かね知合しりあひではあるし、綴蓋とぢぶた喜多きた家内かないが、をりからきれめの鰹節かつをぶしにんべん買出かひだしにくついでに、そのねえさんのうち立寄たちよつて、同行三人どうかうさんにん日取ひどりをきめた。
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)